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2025年6月9日月曜日

【次回例会紹介】音楽を手渡しで届けたい ― いのちの美しさを伝える一期一会のひとときを  大島花子さん(歌手)

次回例会は、歌手の大島花子さん、そしてサポートいただくギタリストの笹子重治さんにご登場いただきます。
今回のブログでは、大島花子さんへのインタビューをご紹介します。
聞き手 小巻健(三木労音事務局長)




―大島花子さんはこのたび三木労音へは初めてご出演いただきますが、大島さんがこれまで各地の労音に出演されて、何か印象に残っていることはありますか?

大島花子さん(以下、大島さん) どの会場もそれぞれに印象深かったのですが、お客様の〝音楽愛〟を感じたのが全ての会場での共通点です。
楽屋でのあたたかなおもてなしも、労音さんのコンサートならではで毎回感動しています。

―大島さんが歌手として生きていこうと決意されたきっかけを教えてください。

大島さん 歌うことが好きということが根底にあるのはもちろんですが、音楽だけでは生活できなかったので、デビュー前にOLや塾講師をしていた時期がありました。
通勤電車で音楽に助けられた経験を経て、音楽の素晴らしさを身をもって感じ、自分はそれを届ける側に立ちたいと思いました。

―大島さんは坂本九さんの歌を歌い継いでおられますが、歌以外のところで坂本九さんから受け継いでいきたいと思われることがあれば教えてください。

大島さん 音楽はどの音楽も歌い伝えていくものなので、父を継いでいるという感覚はないのですが、誰かを楽しませたいという思いが父は強い人だったと思っています。
そのマインドは私の中にもあり、DNAを感じる部分ですし、そんな思いでこれからも歌を歌っていきたいと思っています。

―大島さんは平和や人権をテーマにした歌を歌われ、また講師活動もされていますが、そのようなことを考えるようになられたきっかけ、原点のようなことがありましたら教えてください。

大島さん 命が大切だ、ということは言うまでもないところかと思いますが、父を突然亡くしたことや、子育てをしたことでよりその想いは強くなったように思います。
そんな思いをコンサートで伝えていたところ、人権をテーマにした自治体の講演などにお声がけいただくようになりました。

―よく共演しておられるギターの笹子重治さんは、大島さんにとってどのような存在でしょうか?

大島さん ステージでのパートナーであり、師のような存在であり、演奏中はオーケストラの指揮者のように音楽を作ってくれる存在でもあります。
歌い手としては、私が一番心地よく泳ぐことができる海のような存在でもあり、旅では美味しいものを巡る友のような存在でもあります(笑)

―大島さんがステージに立たれる時に大切にしておられることを教えてください。

大島さん その瞬間を生きることに集中しています。

―コンサートに向けてメッセージをお願いします。

大島さん その日、その場所、客席の皆様も含めてのその日のメンバーだからこそ生まれる瞬間に出会うことが本当に楽しみです。
同じ楽曲であっても7月6日限りの音色になるかと思いますのでお見逃しのないよう、ぜひご一緒に、一期一会の瞬間を生み出していただければと思います!
お会いできること、心から楽しみにしています!




大島花子 プロフィール
坂本九、柏木由紀子の長女として東京に生まれる。
東洋英和女学院大学入学と同時にミュージカル「大草原の小さな家」で初舞台。その後、役柄ではなく自分の言葉で表現したいと歌手を志し、作詞作曲を開始。OLや塾講師などをしながら、ライブハウスなどで活動を開始。
2003年、父・坂本九の「見上げてごらん夜の星を」でメジャーデビュー。
11歳の時に飛行機事故で父親を失うという出来事、また36歳で長男の出産を経験し、脈々と繋がっていくいのち、かけがえのない日常の輝き、いのちのうつくしさと大切さ、などをテーマに歌を手渡しするように届けている。
2010年からはショーロクラブの笹子重治(ギター)とのデュオを中心にライブ活動を行っており、様々な楽曲を独自の世界観で表現し好評を博している。
また、坂本九の遺した楽曲の継承者としての役割を果たすべく、その代表曲「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん夜の星を」などを歌い伝えている。
出産を機にはじめた親子ライブ、国際協力NGO ジョイセフの妊産婦支援をはじめ、行政主催の人権啓発イベント、被災地支援活動やチャリティー・ライブ、老人ホームや障がい者施設、ホスピタルでのライブなど、歌を通しての心のふれあいも積極的に行い、その活動はNHK始め数々の報道番組やドキュメンタリーでも取り上げられ、WOWOW制作の 『被災地に歌う「上を向いて歩こう」~大島花子・父と紡ぐ心のメロディー~』は衛星放送協会が選ぶ最優秀ドキュメンタリー賞にノミネートされた。
2014年 ファーストアルバム「柿の木坂」発売。アルバムに収録された坂本九作詞/作曲「親父」はその独自の世界観が好評を博し、同年3月9日にはUSENチャートの1位を獲得した。
2017年にシングルとして発表した「ヨイトマケの唄」では母の立場での新たな解釈に、作者の美輪明宏から激励の言葉が寄せられた。
2018年6月、セカンド・アルバム「ひめりんご」を発売。タイトル曲の「ひめりんご」は東日本大震災の被災者支援から生まれた曲。
2021年10月、サード・アルバム「百日紅の木下で」を発売。父・坂本九の代表曲「上を向いて歩こう」、「見上げてごらん夜の星を」を収録。
「ここで君を待ってるよ」はJR石岡駅の発車メロディーに採用される。
オフィシャルサイト https://hanakooshima.com/

笹子重治プロフィール
1958年、神戸市生まれ。ブラジリアン・スタイルの奏法の影響を受けたギタリストとして、パウリーニョ・ダ・ヴィオーラやナラ・レオン等多くの来日ブラジル人アーティストとセッションを重ねた後、86~87年にかけてブラジルで活動。帰国後、インストゥルメンタルトリオ、ショーロクラブを結成し、現在までに25枚のアルバムをリリース。
また、2004年には新たなインストゥルメンタルトリオ、コーコーヤを立ち上げ、アルバムを、サントラも含め5枚発表するかたわら、EPO、比屋定篤子、桑江知子、Ann Sally、大島保克、宮沢和史、NUU、古謝美佐子、畠山美由紀、松田美緒、照屋実穂、手嶌葵、吉田慶子、鈴木重子、大島花子、純名里沙、MAKO、落合さとこ、池田綾子、城戸夕果、かとうかなこ、小松亮太、江藤有希等、ブラジル系のみならず、J-POPから民謡までの歌手やインスト奏者のサポート、CDプロデュース、レコーディング、アレンジ等、多方面で活躍中。2016年には、サウンドプロデュースした大島花子「親父」が、USEN演歌チャート1位獲得。
2010年、初のソロアルバム「onaka-ippai」発表。最新作は、プロデュース&演奏では、桑江知子の40周年記念アルバム「stopmotion」を19年7月にリリース。またショーロクラブとして、2020年10月に「武満徹ソングブック・コンプリート」を発表。2021年3月に自身の作品集「plataforma」を、5月にはコーコーヤ4作目のオリジナル作品集を発表。
作曲の分野でも、ふたつのインストユニットを中心とした多数の楽曲の他、各共演歌手との共作、ブラジルの国民的作詞家パウロ・セザル・ピニェイロ、ルーツサンバの長老、故ギリェルミ・ジ・ブリート、日本でも人気の高いシンガーソングライター・ジョイスとの共作などもあり、それぞれCD化されている。
ホームページ https://www.sasa-g.com/
 


三木労音6・7月例会(第207回)
大島花子コンサート with 笹子重治
2025年7月6日(日)14:00開演
三木市文化会館小ホール
三木労音会員へ入会希望の方は、チラシ裏の入会申込書に会費2か月分(大島花子例会から参加希望の方は6・7月分)と入会金(1,000円)を添えて、三木労音会員か事務局までお申し込み下さい。
ホームページからの入会申込みはこちら→http://www.mikiroon.com/info.html
詳細は三木労音事務局 TEL 0794-82-9775、またはメールinfo@mikiroon.comまでお問い合わせください。

2025年4月28日月曜日

【次回例会紹介】アカペラの街・神戸が誇る3つのグループから、手練れの歌い手が集結したスペシャルユニット ― 8692 (アカペラユニット)

次回例会は、男女混声のアカペラユニット8692にご登場いただきます。
今回のブログでは、8692のメンバーへのインタビューをご紹介します。
聞き手 小巻健(三木労音事務局長)

8692メンバー
(写真左からRennさん、HARUさん、IWAjIさん、MAHさん、Gottiさん)



―8692とはどのようなグループでしょうか?

IWAjIさん 3つのアカペラグループから集まった男性三名、女性二名、合わせて五人組の混声アカペラユニットです。86年生まれのメンバーと92年生まれのメンバーで作ったユニットなので8692です。
歌っている曲のジャンルは、J-POP、昭和の曲や、ジャズ、洋楽ナンバーなど、数多くレパートリーにしています。その中で大人っぽい雰囲気、上質な雰囲気を作りたいと思っています。

―メンバーお一人ずつ、所属グループ、ご自身のアカペラ歴とアカペラに関心を持ったきっかけを教えてください。また、自分のキャラクターを表す曲を1曲挙げるとすれば?

HARUさん 2023年に三木労音で25周年公演をさせていただきましたクイーンズ・ティアーズ・ハニーという女性だけのアカペラグループに所属をしています。アカペラ歴は19年目になり、これまでの人生の半分をアカペラに費やしてきたのだなと最近思いました。きっかけは2023年のインタビューでもお話しましたように、三木市で「音卵(おんたま)」というアマチュアのアカペラグループに加入した時です。当時アカペラグループ宝船が地元のジャズカフェベイシーでライブをされた時に、音卵でオープニングで出演させてもらい、その頃から本腰を入れて練習を始め、そのつながりから今のネストという音楽事務所に入りました。
キャラクターを表す1曲ですか。なかなか選びきれませんが、1曲選ぶとしたらやっぱり私は情熱的な曲を歌ってる時に生きている実感がしますので、『エルクンバンチェロ』というラテンの曲かなと思います。

MAHさん 私もHARUちゃんと同じく女声アカペラグループ「クイーンズ・ティアーズ・ハニー」でリードボーカルをしています。アカペラ歴は17年ぐらいです。アカペラに関心を持ったきっかけは今のネストに入った時で、知り合いの人がネストでプロを目指す育成グループを作っていて、メンバー募集のオーディションに誘われました。それまで私はアカペラ未経験で、ネストで初めてアカペラを知りました。
自分のキャラクターを表す曲は全く想像がつかないんですけど、8692のレパートリーで言うと、温かいイメージのあるいきものがかりさんの『ありがとう』かなと思いました。

Gottiさん 僕はザビエルズという男声アカペラグループでリーダーをしています。アカペラを始めたのは学生時代ですけど、本格的に始めたのはネストに入ってからです。
僕は大学を卒業して一度就職しましたが、やはり好きなことを仕事にしたいと思うようになり、神戸にネストというアカペラを専門にしている事務所があるというのを知って、オーディションを受けて事務所に入りました。それから数えて15年ぐらいが経ちました。
僕の1曲は、8692では僕がリードボーカルを取る数少ない曲の中から、ジプシー・キングスの『ボラーレ』です。8692の中では僕はひょうきんな、ちょっと砕けた感じのキャラクターを出したいと思っていますので、曲の中でちょっとボケを挟んだりして、皆さんを盛り上げたいと思います。

Rennさん 僕もザビエルズで、ベースボーカルを担当しています。僕が中学高校の時に「ハモネプリーグ」というテレビ番組があり、それでアカペラを知りました。さらにボイスパーカッションというパートに興味を持ちまして独学で練習していましたが、できる人に直接教えてもらいたいと、大学入学を機にアカペラサークルに入りました。ここから数えるとアカペラ歴は15年ぐらいです。
大学に入って最初はボイスパーカッションをしていましたが、先輩から「お前ちょっと声が低いからベースもやってみたら」と誘われて、ベースもやるようになりました。
大学2年生の時に、サークルのバンドでザビエルズのライブのオープニングアクトに出たことがきっかけでザビエルズと初めて出会い、半年後に大学をやめて神戸に拠点を移し本格的にプロ活動を始め、その後ザビエルズに加入して今に至ります。
自分を表す曲というと、ベースをやっていますので分かりやすく『スタンド・バイ・ミー』でしょうか。8692でも歌っています。曲中、僕以外の四人がそれぞれリードボーカルを交互に歌うのですが、僕だけは途中「喋る」というコーナーがありますので、注目してください(笑)。

IWAjIさん 僕以外はみんな三木労音例会出演経験者とさっき知って、びっくりしました(笑)。女性二人は知っていたのですが、男性二人も「黒船」で出演(※2021年1月例会)していたのですね。
所属グループは8692の中では唯一シュガーズというグループからやってきており、シュガーズではリーダーをやっております。アカペラを知ったのはレンと同じで、中学3年の時ハモネプを見たことがきっかけです。中学高校の頃に少しだけアカペラにチャレンジしたことはありますが、実際にアカペラ歴として始まったのは大学でアカペラサークル入ってからです。そこから数えると丸20年、今年で21年目のアカペラ歴があることになります。
自分のキャラクターを表す曲と言うと、歌って気持ちが入る、人気がある曲では秦基博さんの『泣き笑いのエピソード』(NHK朝ドラ「おちょやん」の主題歌)をあげたいのですが、実際の自分の性格はそんなに素直ではない(笑)ので、8692で歌っているガーシュインの『サマータイム』が、5拍子で途中リズムも変わったりとすごい癖があるアレンジで、多分僕もそういう奴だと思っています(笑)。

―皆さんのお話の中にも出てきた「神戸のアカペラ事務所ネスト」について教えてください。

Gottiさん 僕たちそれぞれのグループが所属しているアカペラに特化した音楽プロダクションで、全国的にも他にない音楽事務所だと思います。遡ること阪神大震災後、チキンガーリックステーキという男声アカペラのパイオニア的グループが誕生し、CASHBOXというライブハウスの存在と共にアカペラの人気が高まってきた中で、チキンガーリックステーキを支えてきた今の社長が立ち上げられたのがネスト事務所です。その後様々なアカペラグループを輩出し、「アカペラの街・神戸」というイメージを作ったひとつの要素になっているかなと思います。

MAHさん ネストには育成グループというものがありまして、私が声をかけてもらった時はV&V(ビアンビ)という育成グループがあり、私も最初そこに入っていたのですが、プロのグループでメンバーが脱退してメンバーを探さないといけない時に、育成グループから力をつけた人がメンバーに入ったり、育成グループの中で演奏レベルが上がってくればそこからプロのグループができたり、そういう機会があります。

IWAjIさん 昔、ネストの社長は外の方から「工場長」と言われていたことがありました。ネストに入れば誰でもプロになれる、言い方は少し語弊があるかもしれないですが、それぐらい「やる気さえあれば誰でも絶対プロに仕立てあげる」という強い社長のマインドのおかげで、ずっと多くのグループを擁しながら続けていられる事務所であると思います。

―8692の結成のきっかけと、このグループのコンセプトを教えてください。

Rennさん きっかけは5年前のコロナ禍の時期、あの時それぞれのグループでの活動がほとんどストップしてしまう中、ネストのみんなで何かできることがないかと考え、グループの垣根を超えたユニットが複数生まれました。その中で各グループの活動歴が長い人たちで組んだのが8692です。

HARUさん あのコロナ禍中は集まれないという状況があったじゃないですか。なのでそんなに集まってたくさん練習をしなくても瞬発力で演奏できるメンバー、またGottiやIWAjI君、そして私もですが、メインのグループでアレンジを担当している楽譜をかけるメンバーで、普段ならやらないような特別感のするライブをネット配信でやろうということが初めでした。

IWAjIさん 冒頭に言いました「上質なアカペラを作りたい」というのは後から固まってきたもので、最初は歴が長いメンバーだからこそできるような企画、例えば30分で即興アレンジをしたり、演奏する中で即興的に各メンバーのパートをチェンジしたり、そんな企画をやるために結成しました。

HARUさん このユニットも5年になるので、最初に集まった時よりお互いに補い合うことが出来るように感じています。アカペラは、一人一人の声だけでは大したことはできませんが、五人で声を出した時に、どういうところを自分が補えばいいか、また自分が足りないところを隣の人がやってくれているとか、そういう信頼関係がすごく大事だと思います。8692で5年が経ち、いい時期に三木でコンサートができることを嬉しく思います。

―メンバーお一人ずつ、あらためてご自分にとってのアカペラの魅力を教えてください。

IWAjIさん すごく原点的なことですが、人の声だけで演奏するというところです。すごく当たり前のことですがこれがやっぱり魅力かなと。これが根っこにあり、そこから枝分かれをして、一つはメンバーさえ集まればどこでもできる、もう一つは声だけなのにこんなことができるのかと思わせる、「声のサーカス」といえるような曲芸的、刺激的なところ、そしてもう一つは人の声は喋るために使うので、楽器の音色よりも気持ちが伝わりやすい。そんな声が合わさると、その効果はさらに大きくなるでしょう。あと声という楽器は本当に同じものがない、もちろん楽器もそうですが、人の声は本当に一人ひとり誰もが違っていると思いますので、集まるメンバーによって全然違うカラーが出るというのも魅力で、この8692のメンバーでないと出せない音色があるというのも魅力だと思います。

Rennさん アカペラの魅力は挙げるときりがないですが、メンバー同士で顔を見合わせてできるということがすごくいいなと最近思うことがありました。一人だと味わえない、オーケストラぐらい人数が多くてもなかなか難しい。一方楽器などの普通のバンドでも顔を見合わせることはできると思うのですが、アカペラの場合はさらに顔色を伺うというほどで、今隣にいる人がどんな表情、気持ちで歌っているのかが見えやすい、それがいいところだなと。最近もザビエルズのライブ中に思いました。

Gottiさん 僕も数ある中で強いてあげるとすれば、アカペラはチームプレーであることと思います。日時を合わせて集まり、声色などを揃えていくなどかなり手間がかる、その手間を経て一人では出来ないものが出来るというところが魅力だと思います。メインのグループと並行して他のユニットの日程を合わせていく、そこに練習までの準備、ライブまでの準備もついてきます。あとはメンバーも人間同士、気持ちの読み合いや気の使い合い―僕ができているかどうかは別の話ですが―も大事で、それらの面倒くささを乗り越えてこそ、聞く人にも伝わるものがあるのだと思います。

MAHさん 私もアカペラは人の声だけで音楽を成立させるという、すごくシンプルなところが魅力だと思います。8692にはアレンジを出来る人が三人いるのですが、編曲する人によっても個性が出ます。キューティーハニーでは主にHARUちゃんがアレンジをしていますが、楽譜を見た時にこういう風に歌って欲しいのかなということを、練習で具体的に詰めていき、練習や本番で上手くできた時はすごく気持ち良いです。あと、家での練習は一人ですけど、みんな揃って歌うとグッと入るものがあり、そこで掴んでいくところもいいなって思いますね。私たちが気持ちよく歌えているのがお客さんに伝わっていたら嬉しいです。

HARUさん キューティーハニーで普段やっている私のアレンジのやり方は、メンバーそれぞれのものまねをしながら各パートの楽譜を書いていくというものですが、8692では男性パート、特にベースのレン君の音などは絶対出ないので、8692ではそれぞれがこういう風に歌うだろうなと想像しながら楽譜を書いています。楽譜もすでにあるものをするのもいいのですが、新たに作っていく作業も大事にしています。それぞれの特徴を活かしながら違う声同士がまとまって曲になる、メンバー一人ひとりが活きるように楽譜を書けると大成功!。その辺りも今回は聞いてほしいです。

―最後に三木労音例会への抱負をお願いします。

MAHさん 三木労音では年に6回コンサートを開催されておられ、いろんな音楽を聞かれているお客様が多いと思いますが、8692の混声グループだからこその重厚なハーモニーを表現できたらいいなと思っています。精一杯頑張りますのでよろしくお願いします。

Rennさん 楽器には出せないアカペラの魅力を、三木市の皆さんに楽しんでいただきたいです。個人的にも三木に歌いに行くのはかなり久しぶりなので、三木の皆さんに会えるのも楽しみにしております。全力で頑張りたいと思いますのでよろしくお願いします。

Gottiさん ザビエルズでもこれまで三木市には定期的にライブを行っていた時期もあり、またFMみっきぃでは番組をやらせていただいていたこともありますので、三木には非常に親近感を感じています。久しぶりに三木の皆さんと会えるというのを楽しみにしていますし、黒船でも出演させていただいた素敵なホールで歌えるというのも非常に楽しみにしていますので、頑張りたいと思います。

HARUさん 三木市文化会館は私が小学校の時に初めて立ったステージです。そうした経験があったから歌の世界に入れたし、すごく思い出のある場所です。8692はレパートリーが幅広く、年齢層が限定されていないので、いろんな方にお越しいただき楽しんでもらえたらなと思います。クイーンズ・ティアーズ・ハニーとはまた違った魅力がある8692で、皆さんとまた楽しいひとときを過ごせたらなと思っています。私も楽しみにしております。

IWAjIさん 8692として初参加、個人的にも三木労音例会に出演するのが初めてで、いろんな初めてを楽しく味わいに参りたいなと思っていますし、会員の皆さんにとっても初めての8692ないし初めてのイワジを楽しんでいただけるように頑張りたいと思っています。この8692の公演が小ホールでは収まりきらないよとなって大ホールに行けるのを目指して頑張っていきたいと思います。

このインタビューは4月12日にZoomで実施いたしました。
8692の皆さん、ご協力ありがとうございました!





アカペラユニット8692
神戸のアカペラ事務所Nestに所属している3つのグループQueen's Tears Honey、the XAVYELLS、シュガーズ から集まった混声アカペラユニット。
洋楽・邦楽問わず親しみやすいナンバーをお贈りいたします。
アカペラスペシャリスト5人による最高のステージをお楽しみください。


三木労音 第202回振替例会
アカペラユニット 8692  LIVE in MIKI
2025年5月24日(土)14:00開演
三木市文化会館小ホール
三木労音会員へ入会希望の方は、チラシ裏の入会申込書に会費2か月分と入会金(1,000円)を添えて、三木労音会員か事務局までお申し込み下さい。
ホームページからの入会申込みはこちら→http://www.mikiroon.com/info.html
詳細は三木労音事務局 TEL 0794-82-9775、またはメールinfo@mikiroon.comまでお問い合わせください。
体験入会も受付中!くわしくは三木労音事務局まで。

2025年3月31日月曜日

【次回例会紹介】温かく、粋に、時に郷愁をともなって、自由奔放に繰り広げられる音のかけあい ― パリャーソ(続木力〔ハーモニカ〕+谷川賢作〔ピアノ〕) 

次回例会は、ハーモニカ奏者の続木力さんとピアニストの谷川賢作さんのユニット「パリャーソ」にご登場いただきます。
今回のブログでは、パリャーソのお二人へのインタビューをご紹介します。
聞き手 小巻健(三木労音事務局長)

左:続木力さん 右:谷川賢作さん



―今回パリャーソとして三木労音例会に初めてご出演いただきますが、ピアノの谷川賢作さんは、以前お父様の谷川俊太郎さん(2024年11月逝去)と共に三木で演奏をされたことがあるそうですね。(2007年みきおはなし会*絵本の森主催「詩の朗読と音楽のコンサート」)

谷川賢作さん(以下、谷川さん) はい。その時父は75歳ですごく元気で、羽田から朝の便で伊丹に飛び、そこから車で三木へ。公演終演後は神戸空港から夜の便で当日戻ったことを覚えています。父もまだまだすごく忙しく、日帰りの行程になったのだと思います。今回のパリャーソ公演で、三木のことを深められるといいです。

―谷川さんは作曲活動やソロまた様々なユニットでの演奏活動と幅広く活動されていますが、谷川さんにとっての「パリャーソ」の魅力、また続木さんとの出会い、「道化師」という名前をつけられた動機を教えてください。

谷川さん 敬愛する音楽家、エグベルト・ジスモンティさんに「パリャーソ」という曲があります。そこからユニット名をとりました。
続木さんとは昔自由が丘にあった「アンクルトム」というライブハウスのオーナーを通じて知り合いになり意気投合しました。
パリャーソの魅力は、自由奔放に楽しく歌いまくるハーモニカの魅力です。あと私のジャンルを横断したオリジナル曲もお楽しみ頂ければ幸いです。

―パリャーソの演奏する楽曲は、ジャズスタンダードはもとより映画音楽、童謡、フォーク、歌謡曲、オリジナルと多岐にわたっていますが、選曲や演奏する際に心掛けておられることがありますか?

谷川さん 初めての会場でも、もう何度も演奏している会場でも、常に「一期一会」の気持ちで、いい演奏をしようと思います。
ジャンルを超えた選曲に関しては特にその個々のジャンルのことを意識したことはありません。どの曲も丁寧に演奏したいです。

―谷川さん、続木さん、それぞれが音楽と出会った時の思い出、音楽を生業にしようと思われたきっかけ、今、どのような思いで音楽に取り組まれているかを教えてください。

谷川さん 小学1年の時に母のすすめでクラシックピアノを習いはじめました。その後「クラシック曲の練習」が嫌で一度やめてしまうのですが、高校の頃にまた自ら音楽に戻ってきました。以来すでに半世紀近く音楽と共に生きています。
取り組むというか、音楽は生活の一部なのですが、とにかく新鮮な気持ちで毎日向き合いたいです。若い頃に比べて日常に瑣末な用事が増えてたいへんなのですが、それでもできるだけ音楽に没入したいです。

続木力さん(以下、続木さん) 高校時代に日本のブルースハーモニカの草分け、妹尾隆一郎さんの演奏をライブで聴いたのが、ハーモニカを始めるきっかけになりました。
その後色々あって、パリを中心にヨーロッパの路上で演奏するようになり、徐々に仕事をもらえるようになりました。89年にフランスのロックアーティスト、ジャック・イジュランさんのサポートをするようになった頃には、生き方の方向が決まっておりました。
ハーモニカを始めて間もない頃から、音使いや表現の仕方を自分なりに工夫することをやって来ましたが、これからもハーモニカが吹けなくなるまで探究してゆくことになりそうです。

―4月26日の三木労音例会へのメッセージをお願いします。

谷川さん おそらく「パリャーソ」のことを知らない方が大勢いらっしゃると思うのですが、百聞は一見にしかずで、初パリャーソの多くの方のご来場をお待ちしています。ハーモニカという楽器の多彩な表現に驚かされると思います。私のなんだかよくわからないけど、多分面白いであろうMCにもご期待ください。

続木さん 演奏の機会を頂き、ありがとうございます。初めての場所で、初めての方々に聴いて頂けるのはとっても嬉しく、楽しみにしております。




パリャーソ [ 続木力+谷川賢作 ] プロフィール
もじゃもじゃ頭が揺れ、細い目が線になり、うなり声が上がると、力強いリズムとタッチが空間を揺さぶる。これに呼応し、続木のハーモニカが震える。さらに谷川がアグレッシブに反応し、温かく粋なかけ合いが続く。ときには郷愁を漂わせたり、雄大なスケールを感じさせたり・・・、ふたりの持ち味が小気味よく交差する。(絹川賢治)
パリャーソとは、ポルトガル語でピエロ、道化師の意味。ジャズにしっかりと軸足をおきつつも、ポップスから童謡・ラテンまでジャンルにとらわれず、古今東西の名曲を演奏する二人組。2001年12月の結成以来、全国各地でのライブ、コンサートはすでに400本近い。ヨーロッパ各地で研鑽を積んだ続木と作・編曲家としても多彩な活動を繰り広げる谷川との粋なかけあいは多くのファンを魅了している。

続木力 Tsuzuki Chikara(ハーモニカ)
1958年京都生まれ。 自由学園高等科在学中に、日本のブルースハーモニカの草分け、妹尾隆一郎の演奏に接し、ハーモニカを独学する。
77年、家業の製パン技術を学ぶべく渡仏するが、80年頃からパリを中心にヨーロッパを旅して路上演奏するようになり、ジャンルを問わず数多くの多国籍ストリートバンドに参加する。
89年より、フランスのシンガー・ソングライター、ジャック・イジュランのレコーディング、コンサートツアーなどでサポート。
92年に帰国し、ジャンルを越えてセッション活動をしている。
97年にリーダーアルバム「ディライト」を、ホリプロ・ポニーキャニオンよりリリースした他に、小林桂、鈴木重子、西村由紀江、六角幸生、その他数多くのレコーディングに参加。
現在は、谷川賢作(p)とのデュオユニット「パリャーソ」、宮野弘紀(g)吉川よしひろ(cello)とのトリオ「S.K.B」、実兄の続木徹(p)との「続木ブラザーズ」、小泉清人(g)とのデュオなど、幅広く演奏活動を行っている。

谷川賢作 Tanikawa Kensaku (作・編曲家/ピアニスト)
1960年東京生まれ。ジャズピアノを佐藤允彦に師事。演奏家として、現代詩をうたうバンド「DiVa」ハーモニカ奏者続木力とのユニット「パリャーソ」、また父である詩人の谷川俊太郎と朗読と音楽のコンサートを全国各地で開催。80年代半ばより作・編曲の仕事をはじめ、映画「四十七人の刺客」「竜馬 の妻とその夫と愛人」NHK「その時歴史が動いた」テーマ曲等。88、95、97年に日本アカデミー賞優秀音楽賞受賞。06年びわ湖ホール制作 「雷の落ちない村」の音楽監督(コンサートライブCD「雷の落ちない村」13年7月にリリース)ピアニスト舘野泉に組曲「スケッチ・オブ・ジャズ」を献呈。画家、山本容子の絵とエッセイで綴る「Jazzing」の音楽 プロデュース。兵庫県立芸術文化センター制作の音楽劇「赤毛のアン」富山県文化振興財団委嘱作品「少年少女のための交響詩 ~めざめる羽 はばたく四季~」 (作詩/覚和歌子)2009年3月初演。金沢ジュニアオペラスクール第二期音楽監督。兵庫県立ピッコロ劇団「赤ずきんちゃんの森の狼たちのクリスマス」「歌うシンデレラ」映画「カミハテ商店」(2013おおさかシネマフェスティバル音楽賞受賞作品、監督・山本起也) 2020年度船橋市文化芸術ホール芸術アドバイザー。最新刊の楽譜集「スケッチ・オブ・ジャズ2」(音楽之友社刊)最新CDは「よしなしうた」(TRBR-0021) 音楽を担当した最新映画「のさりの島」(監督・山本起也)「僕は猟師になった」(監督・川原愛子)「おかあさんの被爆ピアノ」(監督・五藤利弘)今年、全国公開予定。
谷川賢作オフィシャルサイト http://tanikawakensaku.com/


三木労音4・5月例会(第206回)
パリャーソ結成25周年記念コンサート
"春風とともにパリャーソが三木にやってくる"
2025年4月26日(土)14:00開演
三木市文化会館小ホール
三木労音会員へ入会希望の方は、チラシ裏の入会申込書に会費2か月分(パリャーソ例会から参加希望の方は4・5月分)と入会金(1,000円)を添えて、三木労音会員か事務局までお申し込み下さい。
ホームページからの入会申込みはこちら→http://www.mikiroon.com/info.html
詳細は三木労音事務局 TEL 0794-82-9775、またはメールinfo@mikiroon.comまでお問い合わせください。

2025年2月26日水曜日

【次回例会紹介】今、ありのままの自然体で、心に寄り添う口笛の優しさを伝える ― 柴田晶子さん(口笛奏者)

次回例会は、2018年の例会で初登場いただき大好評を博した、口笛奏者の柴田晶子さんに再度ご登場いただきます。
今回のブログでは、柴田晶子さんのその後の活動などをお聞きしたインタビューをご紹介します。
聞き手 小巻健(三木労音事務局長)

柴田晶子さん



―前回2018年は素敵なコンサートをありがとうございました。その以後、どのようなお仕事をされましたか?

柴田晶子さん(以下、柴田さん) まず、前回三木労音を訪れた際は、会場でスタッフの皆さんに歓迎していただき、ありがとうございました。初めての経験で感動したことをすごく覚えています。そして三木労音をきっかけに、その後、姫路労音、宍粟労音などにも出演させていただきました。
三木労音に出演した翌年の2019年はたくさんの仕事に恵まれました。
まずは初めてのアメリカ・ニューヨークでの演奏。コンサートは歌の方など何人かと一緒に出演したのですが、個人ではずっと夢だったセントラルパークのストリート演奏ができたことがとても楽しかったです。初めてチップもいただきましたが、そのお金は今でもアルバムに貼っています。
また、その年のNHK大河ドラマ「いだてん」の音楽に口笛で参加しました。作曲家の大友良英さんとは、以前福島県のイベントで直接お会いして以来、大友さんが担当されるテレビドラマに口笛が必要な時に声をかけていただけるようになりました。テーマ曲はすごく大人数での演奏でしたが、全員で一度に演奏して録音する「一発録り」で、楽譜も録音の現場で初めて配られ、それも大友さんの手書きの譜面で、ざっとさらうとすぐに本番録音。「今の緊張感がいいね」と、勢いやニュアンスを大事にされている方でした。実際のドラマの放送は、どこで口笛が使われているかとドキドキしながら毎回見ていました。
あと、私は口笛を吹く前は船の関係の仕事をしていたのですが、そのつながりで豪華客船の「飛鳥Ⅱ」で2回演奏したことも大きな仕事でした。
この頃本当に絶頂期の真っ只中で、アメリカのロスで行われた口笛の大会に出場して優勝し、これで世界一3冠になりました。その翌年2020年には埼玉県からグローバル賞というのをいただきました。
でも、それを最後にコロナ禍に突入してしまいました。

―コロナ禍の期間に、それまでの人生から大きく転換することがあったそうですね。

柴田さん 演奏が次々とキャンセルになり、そこではたと自分自身を振り返る時間ができました。これまで休日は演奏で出かけることが多く、家庭生活をないがしろにしていましたが、夫ともこれからの人生のことを話し合い、2022年の夏に娘を授かりました。
しかしその後、産後の具合が悪化し、手術が必要になるなどで強い不安に襲われ、眠れない日が続き、一時精神的にかなりまいってしまうということがありました。家族のサポートを受けて少しずつ回復して元気になりましたが、この時の辛い経験が自分の価値観を変える大きなきっかけになりました。
それまでの私は、エンターテイナーとして、口笛でこんなすごいことができるんだぞ、ということを見てほしくて演奏している部分もあったのですが、辛い思いをされている方、心が弱っている方には、こういう音色だったら届くかな、ということをより思って演奏していこうという気持ちに変わりました。また「このように聞いてほしい」という強い意思の音より、雨の音や風の音のように自然に流れているような音色を出したい、また出せるのが口笛の魅力なのだなということを再発見しました。そしてこの間の経験から、これまでより更に、一つ一つの演奏を自分にとっても皆さんにとっても思い出に残るものになるように、大切に取り組みたいと思うようになりました。

―今回ステージで共演してくださる方はどんな方ですか?

柴田さん ピアニストの飯田俊明さんは、すごく面白い方です。いろんな方の伴奏をされて引き出しがものすごくたくさんある方で、アレンジ力がすごい。今回のコンサートの演奏曲もすべて飯田さんのアレンジしたものを予定しています。口笛を活かしてくださるアレンジを毎回してくださっています。
飯田さんは、2021年のNHK-BSドラマ「生きてふたたび」という保護司の方を描いたドラマで音楽を担当され、そのエンディングテーマ曲に私の口笛をメインで使っていただきました。ドラマの内容は、刑務所から出てきた方が社会復帰できるように寄り添っていく保護司の活動が背景にあり、そのテーマ曲も内容も相まってすごくいい曲で、口笛が誰かに寄り添うような優しい音色だと再確認できるような曲にしてくださったことがとても嬉しく、今回のコンサートでも演奏する予定です。
チェロの三木千晴さんはとても柔かい喋り方でほんわかとした雰囲気の方ですが、チェロの音色は時にとても力強く、芯のある音色のとても素晴らしいチェリストです。お名前も三木さんで三木労音と共通しますし(笑)。チェロと口笛はすごくいい取り合わせで、音域が離れていることで、チェロが入ると口笛も吹きやすくなります。
そしてゲスト口笛奏者の中田成実さんは、初めて会ったのはまだ彼女が中学生の時でした。口笛大会で初めて会って、その時から音色がとても綺麗で、すごく私好みの音色なのです。また年齢は私よりかなり下ですが、普通に友達として仲良くなれるぐらいとても素敵な人柄で、その人柄が音色に出ているような真っ直ぐないい音色で演奏されます。
また、中田さんも三木さんも、今子育て中で良いママ友でもあります(笑)。

―今回のコンサートの内容を少しだけご紹介いただけますか?

柴田さん 今回プログラムの中に、イタリア映画音楽の「ニュー・シネマ・パラダイス」を予定しているのですが、その時演奏のバックに私がイタリアで撮った写真を流して、演奏と共に見ていただこうと思っています。
イタリアには2011年からコロナ前まで毎年演奏に行かせていただいていまして、それも大きな都市ではなく、小さな村の小さな教会などで演奏をしましたが、観光地でない昔からの街並みが残っているような場所にたくさん行けたので、写真を撮りたくなる風景にたくさん出会えました。
カメラは父親から譲り受けたフィルムカメラです。デジタルカメラは枚数を気にせず撮れますが、フィルムの場合、撮れる枚数が限られますので、いろいろ吟味して撮ることが面白いですね。またフィルムは現像するまで出来上がりがわからないというドキドキもあって、「このいい風景は絶対失敗したくない、この1枚にかける!」というような気合も入ります。コンサートではそうして撮った写真の中から選んだ写真をご覧いただきます。
そして今回のコンサートでは、短い時間ですが口笛のワークショップも行います。1番基礎の音の出し方から、音程を変えるコツなどをレクチャーしますので、ご一緒に吹いてみましょう。家で練習する際のポイントなどもご紹介します。口笛を吹ける方、吹けない方も楽しんでいただければ幸いです。
あと、チェロとピアノと口笛というアンサンブルのハーモニーと、中田さんとの珍しい口笛の二重奏を楽しんでいただきたいと思います。

―普段、息抜きの時にはどのようなことをされますか?

柴田さん 家で生活する時間が長くなったので、部屋で植物や熱帯魚を眺めています。生き物といるのが楽しくて。あと、娘の日々成長していく姿を見ていると癒されますね。もう2歳半になりますが、10か月ぐらいの時に私の口の形を真似て口笛らしきものを吹いていたのですよ! まだ喋ることができなかった頃のことですが、言語を覚え始めてからは吹けなくなったのです(笑)。今はおしゃべりに夢中で、口笛はやってくれないです(笑)。

―最後に三木労音会員の皆さんへメッセージをお願いします。

柴田さん 2018年にお会いした方はお久しぶりです。以前と比べて心境が変わりましたが、今のありのままの私を見て聞いて楽しんでいただければ幸いです。また今回初めて聞いてくださる方は、人間の体からこんな音色が出るのですよということを知っていただければと思います。
今回はワークショップで口笛を体験していただきますので、家で何かしている時に、鼻歌を歌うような感じで口笛を吹くようになるなど、口笛がより身近になっていただければ嬉しいです。

※このインタビューは柴田さんにご協力いただき、2月12日にZoomにて実施しました。




柴田晶子 プロフィール
秋田県秋田市出身、埼玉県さいたま市育ち。
「音楽としての口笛」を世に広めるべく、数少ないプロ奏者として活動を行っている。
国際口笛コンクールにおいて、2010 年(中国)/2012 年(アメリカ)の二度、女性成人部門で総合優勝を果たす。
近年は同コンクールの大会審査員を務め、また2014年には最も活躍した口笛奏者に贈られる「Entertainer of the Year」を受賞。
2011年以降、毎年海外でも演奏を行い各地で好評を博す。2012年埼玉県川口市より「芸術奨励賞」を受賞。
2019年マスターズ口笛音楽コンクール(アメリカ)において男女総合優勝を受賞。2020年埼玉県より「埼玉グローバル賞」を受賞。
3オクターブという広音域とあたたかみのある澄んだ音色に定評がある。
加えて、オルゴールやマリオネットも添えて詩情溢れる世界を創り、パフォーマンスの幅を広げている。
演奏活動の他、テレビ・ラジオへの出演や口笛教室講師等、多方面で活躍している。
公式ホームページ https://akikoshibata.com/


三木労音2・3月例会(第205回)
柴田晶子 口笛コンサート
2025年3月23日(日)14:00開演
三木市文化会館小ホール
三木労音会員へ入会希望の方は、チラシ裏の入会申込書に会費2か月分(柴田晶子口笛コンサート例会から参加希望の方は2・3月分)と入会金(1,000円)を添えて、三木労音会員か事務局までお申し込み下さい。
ホームページからの入会申込みはこちら→http://www.mikiroon.com/info.html
詳細は三木労音事務局 TEL 0794-82-9775、またはメールinfo@mikiroon.comまでお問い合わせください。

2024年12月16日月曜日

【次回例会紹介】二人合わせて10本の弦が誘う、時空を超えて広がる音楽の旅 ― ジュスカ・グランペール (インストゥルメンタル・ アコースティック・デュオ)

次回例会は、心揺さぶるオリジナル楽曲と情熱的な演奏で、全国様々な場所でライブ活動を展開されているギターとヴァイオリンのユニット、ジュスカ・グランペールの登場です。
今回のブログでは、ジュスカ・グランペールのお二人へのインタビューをご紹介します。
聞き手 小巻健(三木労音事務局長)

左:高井博章さん、右:ひろせまことさん



―グループ名の「ジュスカ・グランペール」はフランス語で「おじいさんになるまで」という意味ということですが、名前に込められた思いと、フランス語で付けられた背景がございましたら教えてください。

ジュスカ 2人が出会って初めて一緒に音を奏でた時の新鮮さがずっと続きます様に、という想いでおじいさんというキーワードが出て来ました。そしてフランス語にこだわったのは、2人共通の好きなアーティストで、今から100年ほど前にフランスで活躍していたギタリスト、ジャンゴ・ラインハルト、そしてバイオリニスト、ステファン・グラッペリ。この2人が作り出したジプシースイングジャズが好きで、それにあやかってフランス語にしました。

―お二人がそれぞれ音楽を始められたきっかけを教えてください。

ひろせまことさん(以下、ひろせさん) 私の家は父は声楽、母はピアノ、姉はオルガンそして僕がバイオリンという音楽一家でして、うちの家の常識の中では音楽以外の選択肢はありませんでした。

高井博章さん(以下、高井さん) 3歳年上の兄の影響で中2からギターに目覚めました!それからは寝る時もギターを抱いて寝るような日々(笑) それから45年も気持ち褪せる事なく弾いている事が奇跡であり、感謝しかありません。

―グループを結成されたきっかけを教えてください。

高井さん 20代後半からヨーロッパ旅行に行くようになり、そこで見かけたギターとバイオリンのデュオ!とても素晴らしくて、、クラシックをメインとしながらもいろんな要素が入っていて。それから帰国しバイオリニストを探していたら、知人を介して面白いバイオリンを弾く人がいる!と教えてもらい、早速連絡をして僕のライブを観に来てもらいました!

ひろせさん そんなことでライブを見に行くと、赤いエレキをブンブン振り回して、飛び上がりながら弾いている高井がいました。ジャズとロックの混ざったような激しい音楽で大音量でした。しかも髪型はモヒカン! 到底一緒にできないだろうと思いながら聞いていましたが、楽屋に挨拶しに行くと、汗だくのモヒカン頭の人は丁寧に挨拶をすると「リハーサルをしましょう」が第一声でした。
後日ちょっと不安な気持ちでリハーサルに行って音楽をやり出すと、なんとも快適な感じ!あっという間に時間が経ちました。
リハーサルの最後に1枚の楽譜を渡してくれて、その曲を弾くと 初めてなのに「バチっ」と合い、とっても印象深いフラメンコ調の曲でした。この曲が2人を結びつけてくれました。 

―ジュスカ・グランペールの奏でられる音楽はいろんな音楽の要素がミックスされていますが、これまでにどんな音楽、またアーティストから影響を受けられましたか?

ひろせさん 幼少の頃はクラシック、中学の頃はハードロック、高校の頃はブルース、大学の頃はクラシックとジャズをよく聞いていました。ハードロックで好きなのはヴァン・ヘイレンやイングヴェイ・マルムスティーン。ブルースで好きなのはジョン・リー・フッカー、ジャズで好きなのはデクスター・ゴードン、クラシックで好きな演奏家はピンカス・ズッカーマン。

高井さん とにかくギターが好きで、ギターで弾ける音楽なら演歌も含めて、ほぼ全てを聴いてましたね!学生時代はフォーク・ロック・フュージョン、大学を卒業してからはジャズやフラメンコ等のラテン音楽に夢中になりましたね!ジプシースイング の生みの親・ギタリスト ジャンゴラインハルトは心の師匠ですね!そしてビートルズも大好きです。

―お二人はホールやライブハウス以外にも様々な場所で演奏されていますが、そんな中で印象に残っている場所や場面がありましたら教えてください。

ひろせさん 京都の上賀茂神社の観月祭で演奏したときの事、拝殿にて演奏していたのですが、演奏中楽器の音以外に風の音や水の流れる音が次第に大きく聞こえてきて、でも近くに水は流れていなかったので不思議だなって思いながら弾いていました。しばらくすると静かになってその後自分の足元から気のようなエネルギーのようなものが、ズバーっと通り抜けていって、木のように成長していったような気がしました。その状況は隣で弾いていた高井も同じように感じていたし、演奏後宮司様にお尋ねしたところ、満面の笑みで「いろんな神様がいらっしゃっていましたね」とおっしゃって、やっぱり本当だったんだ!と思ったことがありました

高井さん 春の桜の時期に、奈良の吉野で奉納演奏をもう20年近く毎年行ってます。
野外で美味しい空気を味わいながら自然に囲まれて演奏するのが大好きです!
神社やお寺・教会等、お祈りの場での演奏も素晴らしいですね!

―ジュスカ・グランペールとして、音楽を通してどんな活動をしていきたい、また何を伝えたいと思われますか?

ひろせさん 音楽は誰の耳にも平等に伝えることができます。皆んなで仲良く音を楽しむ事が出来ます。そんな音楽をたくさんの人に聞いてもらって皆んなが仲良くなってくれたら?そんな橋渡しの様な事が出来たら良いなぁと思っています。

高井さん 音楽は「心の薬」だと思っていて、やはり日々なくてはならないものだし、作った音楽や演奏で、心を癒したり元気付けたいと常々思っています。最近では、能登半島震災支援ライブに行った時に、音楽(芸術)がいかに心に大切なものかが痛いほど分かりましたし、そんな音楽をこれからも愛し奏でていきたいと思っています。

 
―1/26三木労音のステージに向けて、メッセージをお願いします。

ひろせさん 私たちの音楽は歌詞のないインストルメンタル音楽です。なので、いろんな想像を膨らませながら聞いてもらえる音楽だと思います。記憶の中や想像の世界、過去や未来、いろんな場所、宇宙にも簡単に行くことができます。いろんな旅を楽しんでもらえたら嬉しいです。

高井さん ギターの6本、バイオリンは4本の合計10本の弦の響き!そしてジュスカならではの緻密なアレンジ・演奏を楽しんでいただきたいと思います。



ジュスカ・グランペール プロフィール
ギター高井博章とバイオリンひろせまことによる、インストゥルメンタル・アコースティック・デュオ
1999年結成。共におじいさんになるまで楽しく続けて行きたいという気持ちをこめてフランス語でジュスカ・グランペール(おじいさんになるまで)と命名。ジプシージャズ、フラメンコ、タンゴ、クラシック、ラテン、邦楽など様々な要素を吸収した「ジュスカ・サウンド」は、情熱的で美しいメロディーを特徴とし、誰にでも受け入れられやすい音楽としてCMやTVラジオ等で使用されるなど、老若男女を問わず、幅広く人々に愛好されている。またライブは、コンサートホールやライブハウスに限らず、寺社・教会・博物館・大自然の中など様々な環境のもとに繰り広げ、たった2人、たった10本の弦が奏でる広い世界を持ったパフォーマンスが、高い評価を得ている。
ジュスカ・グランペールの代表曲「Gypsy Dance」が、SK-2サインズトリートメントのCMに使用されて以来、同CMをはじめ数々のCM音楽を担当。アルバム「mineral life」(鳥山雄司プロデュース)を葉加瀬太郎が音楽監督を務めるHATS(ハッツ)よりリリースしデビュー。現在10枚のアルバムをリリース。大竹しのぶ、押尾コータロー、KAN、クレモンティーヌ、ゴンチチ、紺野美沙子(朗読)、佐藤竹善、夏川りみ、葉加瀬太郎、一青窈、ロマーヌ(ジプシースイングギタリスト)等と共演。楽曲提供やレコーディング・ツアーサポート等を行う。
CM曲をはじめ、テレビドラマやバラエティ番組の挿入曲、NHKの番組テーマ曲や特番などの楽曲提供。現在、同局「おはよう関西」に楽曲提供。
2017年4月から2023年3月まで大阪のFM COCOLOにて、毎週金曜日24時~25時 ジュスカの番組「Daiwa Sakura Aid Jusqu’a Midnight Stroll』を6年間担当。2018年 小川珈琲TVCMに楽曲提供。
2024年8月、通算14枚目になる、結成25周年記念アルバム「FEVER25」をリリース。
公式ホームページ https://www.jusqua.com/


三木労音12・1月例会(第204回)
ジュスカ・グランペール コンサート
2025年1月26日(日)14:00開演
三木市文化会館小ホール
三木労音会員へ入会希望の方は、チラシ裏の入会申込書に会費2か月分(ジュスカ・グランペール例会から参加希望の方は12・1月分)と入会金(1,000円)を添えて、三木労音会員か事務局までお申し込み下さい。
ホームページからの入会申込みはこちら→http://www.mikiroon.com/info.html
詳細は三木労音事務局 TEL 0794-82-9775、またはメールinfo@mikiroon.comまでお問い合わせください。

2024年10月22日火曜日

【次回例会紹介】津軽三味線の伝統を踏襲しつつ、さらなる進化をめざす、次世代の継承者 ― 浅野 祥(津軽三味線奏者)

次回例会は、国内外の第一線でご活躍されている津軽三味線奏者・浅野祥さんの登場です。
今回のブログでは、浅野祥さんへのインタビューをご紹介します。
聞き手 小巻健(三木労音事務局長)

浅野祥さん



―浅野さんが津軽三味線を始められたきっかけは、お祖父さんの三味線だったそうですね。

浅野祥さん(以下、浅野さん) はい。祖父は大工の棟梁で、毎日朝から晩まで外で仕事をして、帰ってきて趣味の津軽三味線を弾いて、お風呂に入ると気持ちよさそうに民謡を歌う、そんな人でしたので、子どもの頃私も祖父と同居していましたが、家の中は常に民謡や三味線の音がしているという環境でした。
私が三味線をするようになると、祖父は「とにかく楽しくやりなさい」と。とはいえ、コンテストに挑戦するようになると、時に練習が嫌だと感じることもあり、そんな時祖父は、「じゃあ今日は1分だけでいいから一緒にやろう」と言って三味線に向かわせてくれました。そうして一旦弾きはじめると、気がついたら6時間ぐらい経っているのですけど(笑)。今思えばそうやってうまく導いてくれていました。
あともう一つ、「芸は身を助ける」ということもよく言われていました。子どもの頃はよく意味が分からなかったのですけれど、今になると三味線を弾いていることで世界中の色んな人と出会えましたので、三味線をやっていて良かったなと思います。
そんな祖父でしたが、大会三連覇を前に60代で他界しました。もし今、祖父に声をかけるとしたら「おかげさまで楽しくずっと弾いてるよ」と言いたいですね。

―浅野さんは海外での演奏機会も多いですが、海外で演奏したいと思うようになったきっかけ、また実際に演奏して気づかれたことを教えてください。

浅野さん 小学生の頃、自分でテーマを見つけてそれについて調べていくという授業があり、私は世界の戦争・紛争について調べました。その時に、被害を受けている人々に三味線を聞いてもらって癒しを届けたいなと思い、それが初めて海外の人に三味線を聞いてもらいたいと思うようになった時でした。
戦争について関心を持ったのは、前述の祖父から戦争の話を何度も聞かせてもらったことです。私の出身の仙台は、太平洋戦争の時に「仙台大空襲」という、東北の中で最も空襲の被害を受けた土地で、祖父もそれを経験しました。
実際に海外で演奏したのは、デビュー後にアメリカのワシントンDCにある「ケネディセンター」という、音楽家にとって登竜門のようなコンサートホール、そこで演奏したのが初めてでした。アメリカの聴衆は、三味線に対し無垢な状態で聴いてくださいましたが、演奏後スタンディングオベーションをいただき、そのストレートな反応にすごく驚いて、三味線という楽器、音は人に訴えかける力がすごくあるのだろうなと漠然と感じました。
私が10代の頃、三味線をやっているというと周りから奇異の目で見られがちだったのですが、心が折れることなく、自分の演奏をただ一生懸命届ければいいんだという考え方になれたのは、そのアメリカでのコンサートがとても大きな影響を及ぼしているなと思います。

―東日本大震災をきっかけに変化されたことがあったそうですね。

浅野さん 東日本大震災が起きたのは私が21歳の時、デビューして4年目くらいの時でした。それまではありがたいことに膨大な数のコンサートを行っていたのですが、東日本大震災が起きて、その流れがパタッと断ち切れ、一旦ゼロに戻りました。そこで僕は何のために、何がやりたくて頑張っていたのだったかと今一度心に問い、ショーアップされた三味線のコンサートだけでなく、今目の前にいる一人を喜ばせたい、そういう気持ちになれたことは、今思えば現在の演奏活動につながる大きな分岐点だったなと思います。
 また震災で仙台の実家が全壊したのですが、その家は大工だった祖父が自分で建てた家だったので、ただ廃棄処分されるのが嫌で、床柱から三味線を2挺作り、今でも時として使っています。

―浅野さんは津軽三味線演奏の他に民謡も歌われますが、民謡の魅力とは?

浅野さん 私は楽器の音だけで何かを伝えるということに特化してやってきましたが、一方で「人の声」が持つパワー、何かを伝えたい時に、楽器を演奏するよりも声で伝えた方が、明らかに伝わるスピードも深さも違うということを感じるようになり、自分でも歌うようになりました。
日本の民謡の面白さは、一つはその歌が生まれた土地の風土などが歌になって残っているということです。その土地の人々の気風なども歌として残っているものもあり、世界的に見てもここまで地域ごとに豊富に残っていることは珍しいそうです。今、グローバル化が良しとされ、インターネットでいつでも地球の裏側の情報が得られる時代ですけれども、ここに至るまでのそれぞれの地域での人々の歩みというのは、ネットや教科書で知るだけでなく、伝わってきた歌を聴くことでより身近に親しみをもって感じ、感謝する、そういう部分を僕は大切に歌って伝えていきたいです。
今、小学校公演に行くと、6年生でも東日本大震災を知らないくらい時が経ちましたが、あの時仮設住宅を100軒ぐらい回った時に聞かせてもらったお話は、また起り得るものなので、未来に教訓として伝えていくという点でも、民謡はその手段としても優れていると僕は思っています。
また、民謡という音楽を残していきたい、そのためには時代に合った進化をしていかないといけないと思い、ソロ以外に「MIKAGE  PROJECT」という若手邦楽器3人によるユニットで、民謡を現代のサウンドで再構築する試みをしています。
民謡もその昔は、歌い手が結構自由に独自のアレンジをして進化し続けてきたのですが、昭和の後期ぐらいからそれがピタッと止まった。コンクール文化が生まれたことで、ここの節は何回回してとか、そういう教則本が出たことで型が決まってしまい、それ以外の歌い方をした人、個性を出した人が排除されていった時代が続きました。本来、民謡というのは自由なはず、民の歌ですから。
私たちはJ-POPを聞いて育ってきた今の30~40代の方々に向けてサウンドの入口を広げて、どこからでも入ってきて下さいねという気持ちで活動を展開しています。

―津軽三味線の大切にしたい部分は?

浅野さん シンプルに言うと音色です。私は津軽三味線の音色がとにかく好きで、祖父の津軽三味線によって三味線の音色にズドーンと心を射抜かれた自分がいたので、その感動は三味線を弾いている限りいろんな方に届けたいですね。
その上でプロの演奏家としては、やっぱり自分が一番納得する音色を追求したい。それは楽器職人さんとも相談しながら、しかし一方的に職人に頼るでなく、奏者としては撥の厚みや当て方、角度などを研究し、最高の楽器から最高の音を出す努力を、大切にしています。
私は津軽三味線の音色の中でも「美しい弱音」が何より好きで、3枚目のアルバム『BELIEVE』をフランスのお城で録音した際、日本で弾くのと同じようにバシバシ叩いていると、石造りの壁に反響しすぎてメロディーがまったく分からず撥の音しか聞こえない(笑)、その時にやっぱり津軽三味線も弦楽器なのだから、メロディーを届けたいと思い、色々な奏法や音色を編み出したのがそのきっかけでした。

―他のジャンル、楽器とのコラボレーションも多く経験されていますが、そこからどのようなことを得られましたか?

浅野さん 津軽三味線は基本的に津軽の民謡を弾く楽器で、そこを突き詰めていくと津軽の音階でしか音楽を奏でられません。例えばジャズとやるのだったらジャズの音階やセオリーをしっかり勉強して、サルサをやるならサルサのリズムを一から勉強して、他ジャンルとコラボレーションする時にはそのように向き合っています。そうすると、例えば三味線は基本的に人差し指、中指、薬指の3本しか使わないですが、ジャズの音階を弾くためには小指を使わないといけない、またハープと合わせる時にはどうすれば津軽三味線の強めの音とハープが交わるのかと撥の当て方を変える、そんな風にいろんなことをやっていくと、逆にそれらの経験を持って津軽じょんがら節を弾くと、これは間違いなく自分だけのじょんがら節になると思いました。いろんなフィールドで様々ことを吸収して、それらをじょんがら節に還元したい、そこは常に意識していますね。おそらくそれを最初に実践したのが高橋竹山さん(初代)ではないでしょうか。当時は突拍子もない演奏と思われたと思いますが、それが津軽三味線の歴史の分岐点だったわけです。私もそのような創作的な音楽家でいたいし、伝統音楽を弾いているからこそ、一歩その型を破った新しいスタイルというものを生み出していきたいと強く思っています。
 
―影響を受けたアーティストを教えてください。

浅野さん 幅広く言うとフォークシンガーですね。僕がとても好きだったのは井上陽水さん、泉谷(しげる)さん、三上寛さんなど。あとは日本以外ではカントリー&ウエスタンのジョニー・キャッシュ。とにかく声とギター1本で観客を沸かせられるという、そこに憧れました。デビューした時は、上妻宏光さんとか吉田兄弟さんのようにバンドを従えてツアーをしたい思いもありましたが、そこをぐっとこらえて、まずは一人で90分なり2時間なりを、目の前のお客様を楽しませられる底力をつけようと思いました。それが出来るようになればバンドを従えたらより楽しいライブができるぞと、なぜか10代の時にそう思いました。
さらに幅広く言うと、マイケル・ジャクソンが僕の中でのバイブルです。彼の音楽ももちろん大好きなのですけれど、あのカリスマ性。後ろに従えているダンサーは世界各国から集めた一流の人達なんだろうけれど、真ん中で踊っているマイケルが一番観客の目を弾くというあのカリスマ性とステージング、あの感じがとても好きです。私も今では一流のゲストを迎えてのコンサートも行いますが、その人達に呑まれず常に自分が音楽を仕切るという時は、マイケルの姿を思い出しています。

―12月1日の三木労音例会は、どんなコンサートになりますか?

浅野さん もちろんコンサートでは津軽三味線のすべてを聞いていただきたいです。あの津軽らしさ、他の楽器には決して持ち合わせていない、津軽三味線だからこその音色、曲をたっぷり演奏します。と言うと、堅苦しそうと思われる方ももしかしたらおられると思いますが、初めて聴く方でもとても楽しめる、多分聞いたことのない津軽三味線のコンサートであることは間違いないです。
あと、津軽三味線は半分弦楽器、半分打楽器の楽器だと思っています。リズム感が命みたいな部分と、一方で小川が流れるような清らかな音色というのも実は持っている楽器で、それは津軽の人達の哀愁にも起因しているのかもしれません。とにかくその音色の幅広さというところにもぜひ注目してもらいたいです。
最近、日本のアニメが世界中で流行っていますが、そんなアニメにも津軽三味線の音色が結構使われています。私も今『推しの子』という作品で弾いていますが、そんなふうに知らず知らずのうちに耳にしている津軽三味線という楽器を、ぜひ目でも見に来て、楽しんでいただきたい。
民謡や三味線を全く知らない方でもきっと楽しめるステージになると思います。そこはご心配なく(笑)来ていただきたいです。

(このインタビューは浅野祥さんのご協力をいただき、9月17日にZoomにて実施しました。)



浅野 祥 プロフィール
宮城県仙台市出身|1990年3月2日生まれ
仙台第一高等学校|慶應義塾大学 卒業

祖父の影響により、3歳で和太鼓、5歳で津軽三味線を始める。
その後、三絃小田島流 二代目小田島徳旺氏に師事。
7歳の時、青森県弘前市で開催される津軽三味線全国大会に最年少出場し、翌年から各級の最年少優勝記録を次々と塗り替える。
2004年 津軽三味線全国大会、最高峰のA級で最年少優勝(当時14歳)その後、2006年まで連続優勝し、3連覇を達成。同大会の規定により、殿堂入りを果たす。※津軽三味線世界大会(旧大会名:津軽三味線全国大会)
2007年17歳でビクターエンターテインメントより「祥風」でメジャーデビュー。以降、コンセルトヘボウ(オランダ)、ケネディ・センター(アメリカ)でのコンサートをはじめ、アメリカ、ヨーロッパ、カナダ、アジア各国でコンサートツアーを行うなど、海外に向けても積極的に発信する。
民謡、Classic、Rock、Jazz、Pops、フラメンコなどジャンルにとらわれない演奏スタイルにより、石川さゆり、山下洋輔、宮沢和史、yamaなど、様々なアーティストとの共演を果たす。中学生時には元BO?WY・高橋まこと(ドラム)とバンドを組んでいた。
自身のアルバムでは世界的なミュージシャンとの創作にも取り組み、ジャズ界の巨匠ウィル・リー(ベース)や、同じくジャズ界の若きスタープレイヤー、マーカス・ギルモア(ドラム)、2度グラミー賞に輝いたリチャード・ストルツマン(クラリネット)らとアルバム制作を行う。
和楽器奏者としては初めて日本最大級の音楽フェス『MONSTER baSH』に3年連続で出演するなど、様々なロックフェスやジャズフェスに出演。
近年では”日本遺産×芸能”をテーマに掲げる文化庁主催『NOBODY KNOWS』への参加など、日本文化の掘り起しや普及にも積極的に取り組む。また、日本各地の民謡を現代の感覚で作編曲する「MIKAGE PROJECT」や複数の邦楽演奏家からなる「ART歌舞伎楽団」に参加し、新たな音楽シーンを切り拓いている。

愛用する三味線は三絃工房の「滋丹」
日本屈指の三味線メーカーである三絃工房と、2023年に三味線奏者として世界初のエンドースメント契約を締結。

このような国内外に向けて日本の伝統文化である津軽三味線の魅力を発信していく活動が認められ、浅野の活動が令和元年より政府公式プログラム「beyond2020」の承認事業プログラムに正式決定した。
本来の民謡、古典芸能の追及はもちろんのこと、幅広い世代に三味線の魅力を伝えるべく、津軽三味線の可能性を追い求める孤高の若き津軽三味線奏者。

◆レギュラー番組 TBC東北放送『杜の都信用金庫 プレゼンツ 浅野祥 ラジオ “祥”case』 毎週火曜日16:40~放送中
◆レギュラー番組 AuDee “TOKYO FM & JFN系列38局” 『いぎなり!! ミカゲ民謡!!』
毎週金曜日20:00~放送中
◆レギュラー番組 NHKラジオ第1『民謡をどうぞ』(番組放送作家:浅野祥)
毎週金曜日12:30~放送中
公式ホームページ http://sho-asano.com/


三木労音10・11月例会(第203回)
浅野 祥 津軽三味線コンサート
2024年12月1日(日)14:00開演
三木市文化会館小ホール
三木労音会員へ入会希望の方は、チラシ裏の入会申込書に会費2か月分(浅野祥例会から参加希望の方は10・11月分)と入会金(1,000円)を添えて、三木労音会員か事務局までお申し込み下さい。
ホームページからの入会申込みはこちら→http://www.mikiroon.com/info.html
詳細は三木労音事務局 TEL 0794-82-9775、またはメールinfo@mikiroon.comまでお問い合わせください。

2024年6月24日月曜日

【次回例会紹介】人々の心の中にある〝歌〟を紡いで50年、幸せ運ぶ家族のハーモニー。 ― ダ・カーポ (フォークグループ)

次回例会は、『野に咲く花のように』『結婚するって本当ですか』などのヒット曲でお馴染みのフォークグループ、ダ・カーポの登場です。
今回のブログでは、ダ・カーポへのインタビューをご紹介します。
聞き手 小巻健(三木労音事務局長)

ダ・カーポ
写真左から、榊原広子さん、榊原まさとしさん、榊原麻理子さん



―前回、三木労音へお越しいただいた時(2020年8月)は、コロナ禍真っ只中でのコンサートとなりましたが、当時を振り返って今どのようなことを思われますか?

ダ・カーポ 私達音楽に携わっている者にとっても、大変厳しく辛い時期でした。90%以上の仕事が中止、延期になり、またいつまで延期になるのか分からない状況でした。
皆さんの前で歌えない悶々とした中、三木労音のコンサートが私達を精神的に救ってくれたと、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。

―昨年8月にダ・カーポデビュー50周年を迎えられ、おめでとうございます! この間、全国各地で50周年記念コンサートを開催されていますが、ステージに立たれる中で感じてこられたことを教えて下さい。

ダ・カーポ 有難うございます。あっという間の50年でした。ステージに立っていると、50年間歌って来たことが自分でも信じられない気持ちです。
振り返ると、様々なハードルが立ちはだかり、超えることが困難な時期もありましたが、必ず誰かが手を差し伸べて下さり、また支えていただきました。そんな方々の顔を思い浮かべながら歌っています。
でも、なんと言っても力になったのは、ダ・カーポの歌を聴いて下さるファンの皆さんだと改めて思っています。


―ダ・カーポが近年最も変化があったことは何でしょうか?

ダ・カーポ 私ごとで恐縮ですが、なんと言っても娘に子供が誕生したことでしょうか。私達にとっては初孫です。コロナの収束の兆しが見えて来た頃でもあり、私達に希望の明るい光をくれました。
不思議なことに、曲作りにも影響して、スランプに陥っていて苦しんでいたのですが、創作意欲に火を灯してくれました。
50周年記念のオリジナルアルバムもリリースすることが出来ました。新しい生命の力に改めて驚いているところです。

―50周年を迎えられた今、音楽活動の中で大切にしていることを教えて下さい。

ダ・カーポ 今、歌いたい歌、また、歌うべき歌を作り歌うことでしょうか。

―コンサートへのメッセージをお願いします。

ダ・カーポ また、三木労音のステージで歌えることを大変嬉しく、感謝しています。ダ・カーポの50年の歴史と、今のダ・カーポを皆さんに聴いていただきたいと思っています。
先日、日本童謡協会から特別賞をいただきました。これまで100曲以上の童謡、抒情歌をレコーディングし、コンサートなどで大切に歌って来ました。そんな活動を評価していただいたのかと、大変嬉しく思っています。
当日はヒット曲から童謡、そして、ニューアルバムからたっぷりとお届けしたいと思います。また、パリで研鑽を積んできた榊原麻理子のフルートと、豊かな音色の榎本潤さんのピアノとのデュオもお楽しみに。
9月8日のコンサートで、皆さんとお会いできるのを楽しみにしております。

ダ・カーポより動画メッセージもいただいています!





ダ・カーポ プロフィール
いつまでも初心を忘れないようにという意味でダ・カーポ(音楽用語で最初に戻るという意味) と名付け、榊原まさとしと広子のデュオは1973年「夏の日の忘れもの」でデビュー。
翌年、フォーク調のさわやかなハーモニーで、「結婚するって本当ですか」の大ヒットを生む。
その後「野に咲く花のように」、「宗谷岬」、「よこはま詩集」、「ベストパートナー」など数々のヒット曲の他、これまでに数多く の TV の主題歌、キャンペーンソングなどに歌声を響かせている。
童謡、叙情歌、フォークソング、世界の名歌集のカヴァーアルバムなどもリリースし、幅広いレパートリーを持つ。
2人の娘、榊原麻理子は2008年よりメンバーに加入。2013年~2020年パリでのフルート留学にて研鑽を積み、帰国後メンバーに復帰。
2012年4月からは榊原広子がNHK-FM「音楽遊覧飛行」のパーソナリティを務めている。
2023年4月にデビュー50周年記念として発売した配信シングル「今日がいちばん若い日!」が、2023年4~5月のNHK「ラジオ深夜便」の『深夜便のうた』として放送されると、シルバー世代から大きな反響があり、現在もコーラスグループを中心に、たくさんの人々に歌われている。
6月にはオリジナルアルバム「未来への贈りもの」(オリジナル曲7曲収録)、2枚組ベストアルバム「ベスト・オブ・ダ・カーポ」、7月にDVD「ダ・カーポ ライブ&ベスト」、11月にCD-BOX「ダ・カーポ大全集ベスト」(5枚組)を発売。
8月にはデビュー50周年を迎えた。
今も変わらぬ歌声は、世代を超えて、根強い人気を得ている。
ダ・カーポ公式ホームページ http://business1.plala.or.jp/dacapo/

榎本 潤(ピアノ) プロフィール
国立音楽大学ピアノ専攻科を経て同大学院を修了。小林道夫、柳川守、ダン・タイ・ソンの各氏に師事。
第34回北九州芸術祭にて最優秀伴奏賞及び全日空賞受賞。ソリストとして、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団、ザルツブルク室内管弦楽団等と共演。また、岡本知高(ソプラニスタ)、錦織健(テノール)、古澤巌(ヴァイオリン)、大谷康子(ヴァイオリン)、山形由美(フルート)、赤坂達三(クラリネット)の各氏ら著名アーティストと全国各地で共演を重ねる。またチェンバロ、指揮、作曲、編曲など多方面で活躍。BS-TBS『日本名曲アルバム』、BSテレビ東京『おんがく交差点』等に出演。
現在、国立音楽大学及び同大学院講師(ピアノ)。Jスコラーズ音楽監督。


三木労音8・9月例会(第202回)
ダ・カーポ デビュー50周年記念コンサート
2024年9月8日(日)14:00開演
三木市文化会館小ホール

参加費 会員/会費のみ 一般/4,500円(中学生以下2,000円)
三木労音会員へ入会希望の方は、チラシ裏の入会申込書に会費2か月分(ダ・カーポ例会から参加希望の方は8・9月分)と入会金(1,000円)を添えて、三木労音会員か事務局までお申し込み下さい。
ホームページからの入会申込みはこちら→http://www.mikiroon.com/info.html
詳細は三木労音事務局 TEL 0794-82-9775、またはメールinfo@mikiroon.comまでお問い合わせください。

2024年5月13日月曜日

【次回例会紹介】ハワイに行ったことがある人もない人も、聴けば皆、ハワイが恋しくなる楽園音楽 ― KO'OLUA(ハワイアンユニット)+YUHKI(フラダンサー)

次回例会は、音楽でハワイの風を感じさせるユニット「コオルア」の登場です。
コオルアは、ハワイアン独特のギター奏法「スラックキーギター」の名手でボーカルのマーティーさんと、ウクレレとボーカルのノリコさんのお二人による、歌と楽器のユニット。
今回のブログでは、コオルアのお二人に、ゲストダンサーのユーキさんを交えてのインタビューをご紹介します。
聞き手 小巻健(三木労音事務局長)

KO'OLUA(コオルア) 左・MARTYさん、右・NOLIKOさん

YUHKI(ユーキ)さん



―まずはコオルアのお二人それぞれが、音楽を始められたきっかけ、またハワイアン音楽に出会われた経緯を教えて下さい。

マーティーさん 私がギターを始めたのは中学生の頃、周りでギターを弾ける友人が少なかったので、ギターが弾けるとモテる(笑)。そんなことで始めて、最初は本屋で買ってきたクラシックギターの教則本から始めて、その後は、当時流行っていた吉田拓郎さん、泉谷しげるさんなどのフォークソングを、自分でも歌を作りながら遊んでいました。そのうち外国のフォークソングに傾倒してゆき、大学生の頃にはカントリー&ウエスタンのバンドボーイもやらせていただくようになりました。
その後自分のバンドを持って、音楽活動をしていたある時、京都で遅くまで飲み歩いていたところ、開いている店を探して出会った店がハワイアンカフェでした。当時ハワイアンについてはよく知らなかったのですが、飲めるのだったらと入店、そこで流れていた音楽が耳に留まり、お店の人に「これ何という音楽ですか?」と聞いたら、「ハワイアンですよ」と。私がそれまでイメージしていたハワイアン音楽とは全然違っており、「これかっこええやん!」と衝撃を受け、そこからそのお店に通うようになったのがハワイアンとの出会いでした。

ノリコさん 私はフラの方から入りました。私がOLをしていた頃、時代はバブル期で、ハワイには買い物で何度も行きました。ある時一緒に行った友達に、せっかくハワイに来たのだからハワイらしいことをして帰ろう、と誘われて受けたフラのレッスンがきっかけで、そこから沼にはまりました(笑)。旅行から帰ってきたらすぐにフラの教室を探して通うようになりました。
また、フラのレッスンを受けた旅行でウクレレも買って帰りました。部屋の飾りになるかもしれないと安いものだったのですが、その後たまたますぐに日本在住のハワイ人の方と知り合い、その方がウクレレを弾いて歌う方で、ウクレレ持っているのだったら一緒に遊ぼう、と誘われたことを契機に、ハワイアン音楽にのめり込んでいきました。

―お二人が出会われて、コオルアを結成されたきっかけは?

マーティーさん 先ほどのハワイアンカフェに通うようになり、お店のオーナーさんとも親しくなって、ある時「ハワイアン音楽もやってみない?」と言われました。その時はまだカントリーのバンドをやっていましたが、ハワイアン音楽はまだよく知らない、でも曲のコード進行などカントリーと似ている部分もあったので、安請け合いしました。すると「実はこのお店のお客に女子大生ぐらいの別嬪のフラダンサーがいる」と話を振られたので思わず「紹介して」と(笑)。ひっかかったんですね(笑)。それで彼女(ノリコさん)に出会いました。
彼女に、今度出演するカントリーのライブでハワイアンコーナーをやるので、そこでフラを踊ってくれないかと声をかけたのですが、その時に、フラダンスはどんな曲でも勝手に踊れるものではなく、歌詞に合わせた振り付けがあり、こちらで選んだ曲がレパートリーになかったら踊れないことを初めて知りました。まずは相談して数曲を決め、カセットテープに入れてもらって帰りましたが、歌詞がハワイ語で全然わからない!歌詞を覚えるのに非常に苦戦しました。その時、ハワイアンをやるのだったらハワイ語もやらないといけないと思い、そこからハワイ語も勉強するようになりました。
その後カントリーのバンドも解散し、私自身はハワイアンに傾倒してゆき、そのうち一人でギターを弾いて歌うハワイアンミュージシャンとして活動を始めました。そしてCDを録音する段になって、少しウクレレの音を入れたいと思った時、確か彼女はウクレレが弾けたなと思い出し、声をかけました。

ノリコさん 私がハワイアンカフェでウクレレで遊んでいたのを彼が聴いてたので、初めてソロのハワイアンのアルバムを出すことになった時、私にウクレレで2曲だけ参加してほしいと頼まれました。その時私はまだステージでも弾いたことがないド素人ですよ(笑)。いいのかな?と思いつつ参加し、その後の「レコ発ライブ」にもついて行きました。2曲横でウクレレを弾くだけでしたが(笑)。

マーティーさん いや、フラも踊ってもらいました。そのうち歌もやろうか、ということに。最初は上手いんだけどカラオケの歌い方だったので、声域の広げ方、地声の響かせ方を少し練習して、すぐにデビュー(笑)。
そうして最初は、スラッキーマーティー・ウィズ・ノリコという形で2枚のCDを作るまで活動していましたが、3枚目を出す頃には二人でコーラスもやっていましたので、そろそろグループ名にしようと「コオルア」という名前をつけました。どういう名前にするか相談する中で、バンド名の頭の音が母音だと弱いので、子音で、K、P、Tなどの音の方がいいのじゃないかということで、ハワイ語辞書を片手に探しました。
コオルアというのは彼女が見つけたのですが、実はハワイ語の中でもたいそう古く、語源であるポリネシア祖語まで遡ったところにある言葉です。その意味は、二人で協力して何かをするというパートナー的なものです。また、「コオ」と「ルア」には、それぞれ「緩める」と「2」という意味もあります。二つ合わせて「ゆる~い二人」(笑)。まあそんな言葉遊びみたいなことで決めました。

ノリコさん 初めてのCDが2005年なので、そこから数えるともう19年になります。


―今回ご一緒に出演いただくダンサーのユーキさんとは?

マーティーさん 神戸市西区にあるハワイアンカフェ・ミューズキッチンのママさんの紹介で2017年に初めて出会いました。

ユーキさん 私はその頃ミューズキッチンでフラのレッスンや時にスタッフとして関わっていて、マミーの紹介でライブを聴かせていただきました。そしてその年、ミューズキッチン主催の大蔵海岸で行われるイベントのゲストにお二人が出られることとなり、私もその頃プロでやっていきたいことをマミーに相談していたので、初めて同じステージに出演させていただました。それが最初の出会いです。

―ユーキさんがフラを始めたきっかけは?

ユーキさん 私は元々小学校の教員をしていたのですが、帰るのがいつもすごく遅くて、休みがない生活が続いていました。そんな生活を続けるうちに、「帰れる日」を作りたくて、何か習い事をしようと考え、いろいろ考えた末にタヒチアンダンスの体験会に行ってみました。そこでフラもやっていたので、ついでに体験したのがきっかけでレッスンを受けるようになりました。そこからはまって、そのうち教員も辞めてハワイに留学しました。
ハワイから帰ってきて、学んだことを何かの形にしたいと、再度働きながら模索していたところ、先のミューズキッチンでの出会いがあり、プロとしてやっていく足がかりをつかみました。

マーティーさん 最近はコオルアとユーキとの3人で、音楽とフラのショーを、ライブハウスやイベント、企業さんのパーティーなどでやったりしています。

―あらためてハワイ音楽について教えて下さい。

マーティーさん 世界中でいろんな民族がそれぞれの音楽を持っていたように、ハワイにもハワイの音楽が昔からありました。古い時代のハワイの音楽は、例えば楽器にスポットを当てますと、太鼓などの打楽器、それから笛、弦楽器といえば板状のものに1本弦を張っただけの、口琴のスタイルのような、すごくシンプルな楽器を使っていました。
そこへ西洋人がやってくると同時に西洋の音楽が入ってきて、ハワイ音楽と西洋音楽の融合が進みます。一つはキリスト教の宣教師が伝えた讃美歌によって、西洋の音階とコーラスが、もう一つは畜産の技術を教えにやってきたメキシコのカウボーイたちによってギターが、それぞれハワイに入ってきました。初めてギターを手にしたハワイの人達は、彼ら自身のやり方で弾きはじめた、というのがハワイの近代音楽の始まりと言われています。そのハワイの人達が自由な発想で弾き始めた奏法が、現在のハワイアン音楽で使われているスラックキーギター、私が今弾いている奏法になります。
ウクレレが入ってきたのはそれよりも後で、ポルトガル系の人によって伝わりました。アフリカのマデイラ諸島、そこは当時ポルトガル領だったのですが、そこからの移民がハワイに渡ってきました。その時に持ち込まれたマデイラ諸島で使われていた小型の楽器がウクレレの原型になったと言われています。それがコンパクトで便利で、ハワイの王族たちが気に入って弾き出し、徐々に庶民に広がったそうです。
その後、アメリカ音楽がどっとハワイに入ってきて、ジャズの影響を受けたハワイアンソングもたくさん作られました。今では英語の歌詞のハワイアンソングもたくさんあります。
現在では様々なスタイルのハワイアン音楽がありますが、その根底にはハワイ独特のリズム感というものがあり、いくら近代的なギターを使ったとしてもそれは残っている、その根源的なリズムが音楽の遺伝子に残っているのでしょう。
ただ、今ではハワイでもハワイ語を喋れる人は減っています。昔は親のハワイ語を聞いて育ったという人がいましたが、今ではあまりいなくなりました。一部では幼少の頃からハワイ語で教育するという方法も行われているのですが、大多数は英語ですね。
コオルアが演奏する音楽は、ハワイ語の歌詞が中心で、その他にも古い英語の歌詞の曲、あとは日本語の曲も歌います。

―ステージではどのようなことを大切にされていますか?

マーティーさん 基本は、歌う時はお互いの歌をよく聞き合う、相手が弾いている音はしっかり聞くということを常に気をつけています。あとは僕がしゃべりすぎないよう注意するぐらい(笑)。ハワイアンソングを好きな方でも、言葉が分からないけどメロディーやハワイ語の響きがとても心地良いので聴くという方が多いと思います。ただ私達としては、これはどんな歌で、この歌を作った人はどんな思いで作ったのかということを伝えたい。だからついしゃべってしまいます(笑)。

ノリコさん それを喜んでくださるお客さんは多いのですが、長くなってくるとお客さんの様子を見て、そろそろやめさせないと(笑)。そんな調整をしています(笑)。

ユーキさん 私がやっているフラは、手の動きや表情で歌詞の内容を伝えるのが役割なので、歌詞をちゃんと理解する、あと、それにあった景色を、頭の中ではなく、そこにあるかのように踊る事です。コオルアさんと一緒にやる時は、踊っている時にもお互い見合いながら目で会話しています。

マーティーさん 先ほどお互いの歌や楽器の音を聞きながらと言いましたけれど、ユーキさんが入って3人での時は、僕らもユーキさんの踊りを見ていて、彼女は踊りで歌の風景や感情を表現していて、私達はそれを言葉とメロディーで表現している、だから3人が一体となることを心掛けています。

―最後に6/16の三木労音例会のステージにむけて一言お願いします。

ユーキさん コオルアさんの音楽は、ライブの時に「寝ていてもいいですよ」と言われているように自由に聴けます。リラックスして楽しんでもらって、梅雨時期でしんどくなりやすいと思いますので、心だけでも軽くして帰ってもらえたらと思います。

ノリコさん 私はユーキさんのフラが、ハワイに行ったことがない、ハワイを知らないという人にお勧めです。本当にハワイのホテルなどで観れるようなフラのショーをそのまま持ってきてくれます。

マーティーさん 皆さんの中にはハワイに旅行されたことがある人もあれば、ハワイを知らない人もおられるでしょう。でもハワイを知らない人でも「ハワイっていいな」とか、「ハワイ行きたいな」、あるいは「行ったことないのにハワイが恋しくなってきた」と思うようなステージをお届けできればいいなと思います。ハワイの空気感を伝えたいです。
今回は地元のフラグループ「Hula Hale(フラハレ)」さんとの共演もありますが、Hula Haleの皆さんにも楽しく踊っていただきたいです。それも楽しみにしています。





KOʻOLUA プロフィール
ハワイのルーツ音楽のひとつのスラックキー・ギター(変則チューニング奏法)とウクレレ、そしてデュエットハーモニーをフィーチャーした二人組ユニット。日本とハワイで演奏活動中。
その素朴な演奏スタイルから紡ぎ出されるローカル・ハワイアン・テイストで心地よい癒し系サウンドは、ハワイを知らない人でさえハワイが恋しくなる、と言われる。
また、二人の洗練されたハワイ語ハーモニーとギター奏法の美しさは、ハワイ現地でも高い評価を得ており、ハワイの音楽フェスティバルに招待出演、ハワイの音楽大賞にファイナリストとしてノミネートの他、豊富なハワイでのライブ演奏経験を持つ。

YUHKI プロフィール
2013年、フラダンスを始める。2014年、ハワイに留学。2015年、ハワイの名門ハレクラニホテルのトップダンサーである、カノエ・ミラーに師事。
2018年、プロフラダンサーとしての活動をスタート。2019年7月末にオープンしたハレクラニ沖縄のフラ ソリストとして、グランドオープンより月に2回ステージに立つ。
2019年~ハワイアンイベントや企業パーティーなどへのゲスト出演も多数。ポリネシアンショーのプロデュースも手がける。
長身を活かし、モデル活動を並行して行っている。コンテスト受賞歴も多数。

共演 Hula Hale プロフィール
2008年から三木労音サークルフェスティバルに参加。2年ごとに三木山森林公園で合同ホイケを開催するほか、施設でのボランティア活動も。踊れば踊るほどフラの虜になってしまったメンバー、現在は月2回のレッスンで勉強中。


三木労音6・7月例会(第201回)
KOʻOLUA (コオルア)ハワイアンコンサート
2024年6月16日(日)14:00開演
三木市文化会館小ホール
三木労音会員へ入会希望の方は、チラシ裏の入会申込書に会費2か月分(コオルア例会から参加希望の方は6・7月分)と入会金(1,000円)を添えて、三木労音会員か事務局までお申し込み下さい。
ホームページからの入会申込みはこちら→http://www.mikiroon.com/info.html
詳細は三木労音事務局 TEL 0794-82-9775、またはメールinfo@mikiroon.comまでお問い合わせください。

2024年3月18日月曜日

【次回例会紹介】人生を、愛を、自由を、人間らしく生きる喜びを 生涯をかけて追求してきたシャンソンの世界 ― 島本弘子 (シャンソン歌手)

次回例会は、三木労音28年ぶり3度目のご出演となる、シャンソン歌手の島本弘子さんをお迎えします。
今回のブログでは、島本弘子さんへのインタビューをご紹介します。
聞き手 小巻健(三木労音事務局長)
平位実千代(三木労音事務局)

島本弘子さん



―島本さんがシャンソンに出会われたきっかけ、そしてシャンソン歌手になろうと思われた理由をお聞かせ下さい。

島本弘子さん(以下、島本さん) 私が子どもの頃はまだ戦後まもない貧しい時代でした。ピアノが好きなものの親に習わせてほしいとも言いだせず・・・そうするうちに高校生の時に演劇コンクールで特別賞をいただき、それをきっかけに、何か表現に関わる仕事に携わりたいと思うようになりました。
大学に入学し、演劇部に入り浸りの毎日の中で、芝居をやりたいという気持ちが強くなり、1、2年自分の気持ちを見つめた後に大学を中退し、劇団に入りました。
劇団の活動をしていた25歳の時、シャンソン好きの友人が私にジュリエット・グレコ、ジルベール・ベコー、越路吹雪さんなどのレコードをたくさん貸してくれました。それまで全然知らなかったシャンソンをそこで初めて知ることになり、メロディーの素晴らしさもさることながら、詞の内容が本当に奥深く、素晴らしいと感動しました。早速私も歌いたいと思い習いに行きました。あの「さとうきび畑」を作った寺島尚彦さんのところにも何度かレッスンに行ったこともあります。
その頃、劇団で小劇場の公演もやっており、芝居の幕間にギターの弾き語りで歌うことがありました。周りから褒められたりする中で、歌なら芝居と違いたった一人でもできるな、こちらのほうが自分の性格に合っているなと思うようになり、30歳の時に、もう歌手になろうと思い、そこで歌手に転向しました。

―シャンソンの特徴はどのような点でしょうか。

島本さん 「シャンソンは3分間のドラマ」と言われるほどドラマ性が強く、1曲の中でもメロディーの部分とともに、語りの部分が必ずと言っていいほど入っているのが特徴です。
ですので、歌うこと以外に非常に芝居、朗読、語りの要素が必要となってきます。
そういうところもあり、芝居をやるのもシャンソンを歌うのも、私の中では何の矛盾もありませんでした。もちろん中身は違いますけれど、10年間やってきた芝居の経験も活かせますし、歌は元々好きでしたので。

―島本さんが舞台に立たれる際に大切にされていることをお聞かせ下さい。

島本さん ステージでは「伝える」ということをとても大切にしております。今自分の口に出して発した言葉、歌詞がちゃんとお客様に伝わっているかなと、それを反芻しながら、客席にいるお客様一人一人に語りかけるつもりで歌っています。
そのため作品は必ず日本語で歌います。シャンソンはフランス語の「歌」という意味で、原曲は当然フランス語ですが、日本で歌われる際には日本語訳詞で歌われます。これが大変なのですが、いくら曲が良くても訳詞の内容がピンとこないということもあります。そんな時は、私の演出を担当して頂いていたアン・あんどう氏(作詞家、構成・演出家。故人)や、矢田部道一氏(シャンソン歌手、作詞家。故人)によく頼んでおりまして、私のために作っていただいた訳詞も20曲ぐらいあります。それらを含めて既存の訳詞の中から、自分にいいなと思うものを今まで歌い続けてきました。
本番前のリハーサルは必ず本番と同じ通りに行います。今は足腰が悪いので椅子に座って歌いますけれど、声を出すことについては今も全く平気です。出せば出すほど声は出てきます。

―島本さんといえば反戦や平和をテーマにした歌が印象的ですが、その原点の思いをお聞かせ下さい。

島本さん 私は1940年生まれですので、多少なりとも戦争を体験しております。幼少の頃は京都でしたのでそんなに戦災には遭わなかったですが、やはり経験した人間ですので、そのことは何が何でも伝えなければならないという気持ちがあります。
今も戦争ほど非人道的なものは絶対ないと思っておりますので、現在のロシアのウクライナ侵攻にしても、イスラエルのガザ侵攻にしても、本当に憤りを感じています。一日も早く戦争が終わることを心から願っております。

―50年以上にわたり長く歌手活動を続けていらっしゃいますが、その中で得られた思い、また今のご境地をお聞かせ下さい。

島本さん 50年以上も続けてこられた仕事に巡り合えたことは、本当に幸せなことだと思っております。今後も声と身体が続く限り少しでも長く歌い続けたいと思っています。昔と今と舞台に立つ時の気持ちは全く変わっておりません。
これまで各地で労音のステージに立ってまいりましたが、労音のお客様はとても熱心で、私大好きなのですよ。できることなら毎回でも、どこへでも出ていきたい気持ちです。

―4月14日の三木労音例会にむけて、会員の皆さんへメッセージをお願いします。

島本さん 今回初めてシャンソンをお聞きになる方にも、シャンソンの素晴らしさを分かっていただけるように、私も一生懸命丁寧に歌いたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

(2024年3月2日 電話にてインタビュー取材)




島本弘子 プロフィール
京都生まれ。京都教育大学を中退。新劇を志して上京。
舞台芸術学院を卒業後、劇団「新劇場」を経て、シャンソンを宇井あきら氏に師事。
1975年、東京厚生年金ホールで第一回リサイタルを開き、以後、各地でリサイタルを催す。現在、東京では春と秋の2回(春は小金井宮地楽器大ホール、秋は大手町よみうりホール)のリサイタル、そして京都では毎年、11月に新・都ホテルでディナーショーを開催している。
“人生を、愛を、自由を、人間らしく生きる喜びを”、これは島本弘子が一貫して追い求めてきたテーマです。
1994年秋のリサイタルで文化庁芸術祭賞を受賞(越路吹雪氏、深緑夏代氏に続きシャンソン界では3人目の受賞です)。
これまで6枚のCDをリリース。2020年には歌手生活50周年を迎え、現在も精力的に活躍中。

ピアノ伴奏 にしかわまこと プロフィール
大阪教育大学特設課程音楽科ピアノ専攻在学時より、ポピュラー音楽の研修を重ね、同大学中退後演奏活動に入る。
現在は主にシャンソンの分野において伴奏ピアニストとして演奏に携わる傍ら、編曲・録音などの活動も行っている。
立川清登、ボニー・ジャックス、伊東ゆかり、北村英治、紙ふうせん、坂本スミ子各氏のサポートメンバーピアニストとして活躍。


三木労音4・5月例会(第200回)
島本弘子 シャンソンリサイタル2024
2024年4月14日(日)15:00開演
三木市文化会館小ホール
三木労音会員へ入会希望の方は、チラシ裏の入会申込書に会費2か月分(島本弘子例会から参加希望の方は4・5月分)と入会金(1,000円)を添えて、三木労音会員か事務局までお申し込み下さい。
ホームページからの入会申込みはこちら→http://www.mikiroon.com/info.html
詳細は三木労音事務局 TEL 0794-82-9775、またはメールinfo@mikiroon.comまでお問い合わせください。

2024年1月17日水曜日

【次回例会紹介】兄弟で織りなす唯一無二の連弾サウンド 。情熱と哀愁のステージを、三木で!― レ・フレール (1台4手連弾ピアノデュオ)

次回例会は、斎藤守也(もりや)さんと斎藤圭土(けいと)さんお二人のピアニストによるデュオ「レ・フレール」にご出演いただきます。
今回のほわいえでは、レ・フレールのお二人へのインタビューを中心にご紹介します。
聞き手 小巻健(三木労音事務局長)

【レ・フレール】 斎藤守也(兄/写真左)、斎藤圭土(弟/写真右)



―レ・フレールはフランス語で「兄弟」という意味だそうですが、お二人それぞれご自身の性格や音楽を始めた時期、きっかけを教えて下さい。

斎藤守也さん(以下、守也さん) 僕が音楽を始めたきっかけは、11歳の時に家にあったキーボードで作曲を始めたのがきっかけでした。作曲といっても、つたないもので、鍵盤で遊ぶように「この音はカッコいいな」と思うものをただ並べるような作品でしたが、その1年後の12歳にはピアノを習い始めました。
性格は、泣き虫、頑固、内省的、といった感じですかね。人からは職人肌と言われることがあります。

斎藤圭土さん(以下、圭土さん) 6歳でピアノを始めました。きっかけは直感で習いたいと思いました。

―レ・フレールを結成したきっかけを教えて下さい。

圭土さん 飼い犬が交通事故に遭い、手術費の捻出のためにコンサートを開いたのがきっかけです。

―お二人の演奏スタイルは「キャトルマンスタイル」と言われていますが、一般的なピアノ連弾とどのようなところが違いますか。

守也さん お互いの腕を交差させるクロス奏法や、弦をハンカチ等でおさえるミュート奏法を用いたり、演奏しながらプリモとセコンドが入れ替わったりするのがキャトルマンスタイルの特徴だと思います。レ・フレールの楽曲には左手でリズムを刻む楽曲が多く、会場のお客さんが手拍子をしてくれたり、ピアノでバンド演奏のような雰囲気を表現しているのもレ・フレールの特徴の一つだと思います。

―レ・フレールのコンサートは客席と一体になるライブ感が特徴ですが、ステージに立たれる時に心掛けておられること、大切にしておられることを教えて下さい。

守也さん お客さんに楽しんでもらう為に、まずは自分自身がピアノの演奏を楽しむということを心がけてます。
そして目の前のお客さんの反応を僕は大切にしています。演奏中には客席の雰囲気を感じながら自分の音に集中していますが、曲によっては鍵盤ではなくお客さんの表情を実際に見ながら演奏することもあります。また、賑やかな曲でも会場の端まで音が届くように意識したり、静かな曲では自分の指先にお客さんの意識が集中するような演奏を心がけています。

圭土さん 音楽を楽しむ事です。

―2022年で結成20周年を迎えられたそうですが、これまで活動の中で印象的だったこと、大きな転換点になったことがございましたら教えて下さい。

守也さん 20年前のお客さんが今でも応援して下さっていることも多く、当時は幼かった子が立派な大人になり、現場で一緒に仕事をしたりすることもあって、そういった再会はとても印象に残っています。
転換期としては、レ・フレールデビュー10年を期にソロアルバムをリリースしたのが個人的な転換期であったと思います。
その頃から様々なソロ活動を始めたんですが、中でも病院や福祉施設を訪れて演奏する活動や、障害や病気のある方でも楽しめるバリアフリーコンサートのプロデュースを手掛けたことが僕にとってとても大きな事でした。とてもやり甲斐のある活動なので、僕のライフワークとして今後も続けて行こうと思っています。

圭土さん 初期の活動は幼稚園ライブが主だったので、子どもの前で演奏する事が多かったのですが、20年経つと当時子どもだった子が立派に成長して再会する事があるので、なんとも言えない喜びを感じます。

―レ・フレールとして、またそれぞれ個人としての今後の夢を教えて下さい。

圭土さん レ・フレールは一人ではできないスタイルなので、お互いが大丈夫ならそれぞれのペースを見ながらやって行ければと思います。ソロとしては、ブギ・ウギ・ピアノの発展です。

守也さん レ・フレールとしては二人がお爺さんになっても連弾していることです。個人としてはバリアフリーコンサートや訪問演奏を通して障害や病気と闘う方々に音楽を届け続けることです。

―2月のコンサートにむけて、メッセージをお願いします。

圭土さん 連弾のコンサートやパフォーマンスは中々見れないので、是非楽しんでください。僕も楽しみにしています。

守也さん 今から2月のステージをとても楽しみにしています。僕自身も全力で演奏するので、みなさんと一緒に最高のコンサートにしましょう!



プロフィール

レ・フレール(斎藤守也・斎藤圭土)
2002年に斎藤守也(さいとうもりや・兄)と斎藤圭土(さいとうけいと・弟)が、故郷・横須賀で結成。コンポーザー・ピアニストとして、交響曲や器楽セッションを想起させる独創的なオリジナル楽曲と、その斬新かつ繊細な1台4手連弾のプレイスタイル、そしてライブパフォーマンスで「ピアノ革命」と話題に。ジャンルを問わず、あらゆる年齢層を惹き付け、聴く人の魂を揺さぶる、熱い唯一無二のオリジナルサウンドは高い評価をうけ、ピアノ一台で世界各国の聴衆を熱狂の渦に巻き込む。また、TV・舞台・映画など多岐にわたる楽曲の提供実績がある。これまでに6枚のオリジナルアルバムを発表。2019年9月にはディズニー公式アルバム『Disney on Quatre-Mains(ディズニー・オン・キャトルマン)』をウォルト・ディズニー・レコードよりリリース。2021年9月には津軽三味線の第一人者・吉田兄弟とのコラボレーションアルバム『吉田兄弟×Les Frères』をユニバーサル ミュージックよりリリースした。そして、2022年8月には6枚目となるオリジナルアルバム『Timeless』(Universal Music)をリリースし、同年9月に結成20年を迎えた。
公式サイト https://lesfreres.jp/

斎藤守也(さいとうもりや) ピアニスト/コンポーザー
幼少期より音楽に興味を持ち、自己流で作曲をする。12歳でピアノを始め、15歳でルクセンブルク国立音楽学校に留学。ガーリー・ミューラー氏に師事し、クラシック・ピアノを専攻。その他、音楽理論等を学ぶ一方で、オリジナル楽曲の作曲活動を続ける。2002年に弟・圭土と1台4手連弾ユニット「レ・フレール」を結成。各地でコンサートを開催しながらも2017年に初ソロアルバム『MONOLOGUE』をリリース。子ども、ピアノ教師向けワークショップやヤマハ音楽教室教材録音参加、誰もが一緒に音楽を楽しめる機会と環境づくりをテーマとする「小さき花の音楽会」プロジェクトではプロデューサーをつとめるなど、音楽活動を広く行っている。

斎藤圭土(さいとうけいと) ブギ・ウギ・ピアニスト/コンポーザー
6歳からクラシック・ピアノを学び、15歳よりルクセンブルク国立音楽学校に留学。これまでに世界13カ国で公演を行うなど、多角的かつ精力的に活動を展開。
ブギ・ウギ・ピアニストとして、日本人で初めて国際ブギ・ウギ・フェスティバルに招聘され、定期的にヨーロッパで演奏。2015年、細野晴臣氏(YMO)のバンドにピアニストとして参加。細野氏に「日本人唯一のブギ・ウギ・ピアニスト」と称される。
2020年10月にソロピアノ作品集『PIANO PRAYER』をリリース。
メロディアスで詩的、物語性のある楽曲のもつユニバーサルな魅力は、国内外で高い評価を得、作曲家としての実績も着実に積んでおり、今後の活動にさらに期待が高まる。


三木労音2・3月例会(第199回)
三木労音33周年記念
レ・フレール ピアノコンサート
2024年2月18日(日)14:00開演
三木市文化会館小ホール
参加費 会員/会費のみ 一般/5,000円(中学生以下3,000円)
三木労音会員へ入会希望の方は、チラシ裏の入会申込書に会費2か月分(レ・フレール例会から参加希望の方は2・3月分)と入会金(1,000円)を添えて、三木労音会員か事務局までお申し込み下さい。
ホームページからの入会申込みはこちら→http://www.mikiroon.com/info.html
詳細は三木労音事務局 TEL 0794-82-9775、またはメールinfo@mikiroon.comまでお問い合わせください。

2023年11月29日水曜日

【次回例会紹介】みんなの “一生懸命”が響き合う、ライブの楽しさ伝える最強バンド! ― ワタナベフラワー(ロックバンド)

次回例会は、神戸を拠点に活躍中のワクワクロックンロールバンド・ワタナベフラワーにご出演いただきます。
今回のブログ記事では、バンドの中心人物、ボーカルのクマガイタツロウさんのインタビューを中心にご紹介します。
聞き手 小巻健(三木労音事務局長)
2023年11月20日神戸某所にて取材

ワタナベフラワー(中央がクマガイタツロウさん)



―まずはバンドの始まりから教えて下さい。

クマガイタツロウさん(以下、クマガイさん) 僕は元々バンドをやりたくて家を追い出された、いわゆる「勘当」というやつですよ。で、いろんなバンドでギターを弾いていたんですけど、自分が作る歌を自分で歌うバンドをやりたいと思って作ったのがこのバンドです。2001年からですが、最初のメンバーはもういないです。バンド名は、当初メンバーの一人が「ザ・パフパフ」という名前を言いだして、最初は僕もそれで一生やるわけじゃないし何でもいいんちゃう、と思ってたんですけど、よく考えてみると僕がボーカルで「こんばんは、『ザ・パフパフ』です」って言いたくないなと思って(笑)。そうしていたら練習帰りの車の中から「ワタナベフラワー」っていうお花屋さんが見えて、そこから取りました。当時カタカナで意味のないバンド名がよかったので、それだけで決めたんですけど、ここまで来るとは思わなかった。でも最初から小さい子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで楽しめるようなロックがいいなと思っていました。まあ最初のうちはそんなに強く意識してたわけではなかったんですけどね。

―他のメンバーが加入したのは?

クマガイさん もう何年になるのかな。ムサさんの参加は翌年ぐらいからだったんじゃないかな。イクちゃんも15年ぐらいやってるかな。元々うちのバンド全員、イクちゃんもムサさんもそれぞれ自分のバンドを持っていたんですよ。だから全員作曲も出来る。今はイクちゃんと僕とで半々ぐらいかな。でも誰が作ったにしても、僕が歌ったらどんな曲もワタナベフラワーの音になることを目指しているんで、そこはあんまり誰が作ってとかのこだわりはないですね。

―現在ワタナベフラワーは、バンドとして初の神戸市との公民連携を結び、様々なテーマソングや地域応援歌を歌われていますが、地元に密着した活動をはじめられたきっかけを教えて下さい。

クマガイさん 元々僕は西宮の生まれ育ちなんですよ。でもライブハウスが西宮にあんまり無くて、で、神戸か大阪か、いろいろやっていく中で神戸の方が落ち着いていていいなって思って、その後神戸を中心にやっていました。その後に大阪、東京と、活動拠点もいろいろ変わってきたんですけど、今のスタイルになったきっかけは、神戸市灘区の水道筋商店街での出来事です。元々僕は「商店街のヒーロー」になりたいっていう夢があったので、水道筋商店街の組合に自分たちで企画を持ち込んで、毎月1回商店街のアーケードの中でのライブを10カ月連続でやったことがあったんですよ。でも最初、めちゃくちゃ反対された人がいて、コーヒー屋のおっちゃんやったんですけど。そのおっちゃんに「お前誰や」「どこのもんやねん」みたいな、そら僕ら水道筋に住んでなかったし、「なんで商店街の予算でお前らのライブやらなあかんねん」みたいな感じで。でも僕はライブ観てもらったら分かるんでって言ってやり続けたんですよ。で、10カ月後の最終日に、おっちゃんが僕のとこ来て「もう終わりなんか」って。僕が「これで終わりです。お世話になりました。水道筋好きになりました。」って言ったら、コーヒーチケット持ってきてくれて、「これ、あげるわ。」って。「いや、買います、普通に飲みに行きます。」って言ったら「あんたに飲んでほしいねん」って言われて。めっちゃグっと来るでしょ。あと最後のライブの時に水道筋の法被を着させてもらったんですね。それって「その町の子」として認められたってことじゃないですか。普通よそ者は着れないんでね。それが大きいきっかけやったんかなって思いますね。「クマちゃんも水道筋の子やから」って言ってもらって、それが嬉しくて、神戸のことをよりやりたいと思ったきっかけでしたね。
さらに遡ると、実は僕、小学校5年の時に、突然母親が駆け落ちで家を出ていったんですよ。親父は長距離トラックの運転手で、3日に1回しか帰ってこない。弟と二人で自分らでご飯作ったり、洗濯、掃除したりせなあかん生活になったんです。その時に近所のおじちゃんおばちゃんが「ご飯食べていき」って言うてくれたり、市場や商店街のおっちゃんが「おかえり」って言ってくれたり、そういうことがあったので、商店街や市場には思い入れがあるんです。
それから、水道筋商店街でライブをしている中で「摩耶山で音楽フェスやってよ」という声をいただくことがありまして。ちょうど水道筋商店街の上が摩耶山で、フェスやるんやったらここやなと、みんなに喜んでもらいたいし、水道筋も通って見てほしいと思ったのもあったので、「神戸ストラット(※堂々と歩くの意)」というフェスをそこから始めました(2015年開催)。このフェスでは東北の震災孤児や被災した子供たちに、震災から20年経ったら神戸はこんなに明るくなったよ、というのを背中で見せたいっていう思いから始まったんです。
その後、摩耶山で毎年やってよって言う声もあったんですけど、僕は神戸市9区あって、まだまだ知らんところ、ええとこがあるんちゃうか、それを見せていくフェスにしようと思って、毎年区を変えてやってきたんです。コロナ禍で止まってしまったんですけど。

―神戸市の各区に実際に住んでみられたそうですね。

クマガイさん 2020年の緊急事態宣言でどこにも行けない時に、自分が何ができるかって思ったんですよ。以前から僕は「神戸で一番の男になりたい」ってずっと思っていて、何が一番か、それは「一番盛り上げている奴」、そのためにはやっぱり神戸のことを一番知らなあかんと。どうしたらいいか、と考えて思い至ったのが「住む」。ライブできない、イベントもない、「今や」って思って実行しました。住んでみて、お店とか場所とかいいとこを発見して、それを配信して知ってもらおうとyoutubeで配信したんです。お店とか場所とかはイベントと違って一気に人が集まるんじゃなくてちょっとずつみんなに行ってもらうじゃないですか。それやろうと思って、で1年かけて9区全てに住んでみました。
心に残る出会いがそれぞれ9区全部にありましたね。そういう経験を通じて、自分の中で神戸に対しての愛情も深くなっていったって思うんです。

―今年は史上初の神戸まつり応援隊長を務められましたね。

クマガイさん 9区住み終わった時点で、神戸市に言いに行ったんですよ。「神戸まつりの本祭の前日の土曜日にある、9区それぞれのお祭りの全てで歌わしてくれ、ギャラ無しでいいんで。」って。毎年言い続けて、ようやく今年それが叶いましたね。
 なんか自分に説得力が欲しかったんです。「神戸のバンド」というからには、ちゃんと神戸のええとこを発信できるバンドでいたいなという気構えがあったんやと思いますね。

―『一生懸命はやめられない』というライブでは毎回歌われている素敵な曲がありますが、それについて教えていただけますか。

クマガイさん 2014年に「森脇伝説」というテレビ番組のテーマソングとして作ったんですけど、森脇健児さんから電話かかってきて、「ウルフルズの『ガッツだぜ!!』って曲あるやろ、あれのもっとええやつ書いて」って言われて(笑)。森脇さんはコツコツとやってはる方なんで、森脇さんをイメージしながらも、僕らは「応援ソング」みたいなのがなかったので、「頑張れって言わずに応援できるような歌」ということをテーマにして作りました。
 さっきも言ったように、自分が小学校の時に自分らで頑張らなあかん状況になって、僕はいろんなおっちゃん、おばちゃん、商店街の人、ご近所さんにすごいお世話になって生きてきました。バンド活動も一生懸命やってきて、振り返ったらもう22年。時には「NHKみんなのうた」をやらしてもらったり、テレビ、ラジオなど、いろんなメディアで世に出るタイミングがありましたが、そんな時、昔、西宮でご飯食べさせてくれてたおばちゃんとかに、地元に帰った時に声をかけられるんですよ。「クマくん見たでー」「出とったな」とか。水道筋商店街の人達もみんな声かけてくれたりして、そういう時、一生懸命やってたらこんな風に周りの人が喜んでくれるタイミングがあるんやな、と気づいたんです。もちろんライブは目の前の人に喜んでもらうためにやるし、それもいいんですけど、それ以外の所にも届く瞬間は、自分が一生懸命やってきたからこういう瞬間があるんやろうな、だからまた恩返ししたい、と思いますね。
この歌をライブで歌っている時、自分自身にも言っている歌やと思いますね。だって普段は一生懸命出来ない時もあるじゃないですか。でもその瞬間はやっぱり一生懸命歌わないと伝わらないし、そこはみんなメンバーとかスタッフとかも、ぐっとこの曲の時は集まる感じがしますね。



―ワタナベフラワーのライブは様々な工夫が凝らされていますが、ライブへの思いを教えて下さい。

クマガイさん 元々1時間半とか2時間のワンマンライブは、いろんな演出を自分達で考えてやっていました。でもお祭りやイベントに呼んでもらう機会が増え、時間的にも毎週ライブがあって、イベント出演の演出まで手が回らなくなったんですよ。またコロナ禍でライブが減って、1本のライブの大切さにあらためて気づいた。ワンマンライブにはいろんな事情で来れない、そんな人にとって短い時間のイベント出演のステージでも、その1回が全てじゃないですか。だからそこにもワンマンライブと同じぐらいの情熱をかけるべきなんちゃうかとメンバー同士で話をして、毎回その時しか見れない演出を作る。コスプレで演出しようとか、手作りでこんなことしようとか、時にはプロの手を借りて花火上げてみようとか、もちろん予算と時間の制約もありながらやるんですけど、その時その時しか見れない演出をやっていきたいですね。
三木にはこれまでにも何度か来たことがありますが、ライブに向けてはメンバーと話をして、掘り下げて考えていきたいと思っています。

―今後の目標を教えて下さい。

クマガイさん たくさんある中の一つに「紅白歌合戦に出たい」というのがあるんです。これは、最初の所属事務所の社長が、僕らが事務所を出て東京の事務所に行った時に「行ってこい。それでどうしてもだめやったらうちに戻ってこい」って気持ちよく送り出してくれた、めっちゃいい人やったんです。その社長が、僕らが東京でメジャーデビューした時にラジオにコメントくれたんですよ。その時社長自身は闘病中やったのに。その社長は嘉門達夫さんの幼馴染みで、「俺は(嘉門)達夫も含めていろんなやつを紅白に送り出してきたけど、ワタナベフラワーも絶対紅白行けるから、コツコツやれ」って。僕、紅白はそんなに好きやなかったんですけど、僕らが出て社長の言葉を証明したい。社長はその後亡くなられたんですけど、自分が歌っているうちに実現したいですね。なんかね、「白組トップバッター、ワタナベフラワーです」って、白組のトップバッターやのに赤い衣装で出る(笑)、お前なんやねん、みたいな感じを描いています。

―三木のライブにむけてメッセージをお願いします。

クマガイさん これはいつもライブで言っていることですけど、「知っているか知らないかじゃなくて、知ろうとする気持ちが大事」、「楽しいか楽しくないかじゃなくて、楽しもうと思う気持ちが大事」、これを伝えたいですね。楽しもうとした時点であなたは偉い。みなさんもぜひ楽しもうとしていただければ嬉しいです。ライブはみんなで作るものなんでね。



ワタナベフラワー メンバー全員に聞いてみた
【問】 三度の飯より好きなもの(こと)


クマガイタツロウさん(ボーカル)
【答】 漫画を読みながら寝る
その日に嫌なことがあってもこれをやれば幸せになります。

ムサさん(ベース)
【答】 アニソン(アニメソング)
伝説の名曲にもまだ見ぬ新曲にも、愛と勇気と友情と努力根性勝利熱血SF宇宙科学セクシーラブコメ無敵ロボットスペクタクル大河ロマンが詰まっているから。

イクローさん(ギター)
【答】 ラジオ
めちゃくちゃおもしろいのにまだ光が当たっていないお笑い芸人さんのラジオが特に好きです!

やっちんさん(ドラム)
【答】 機械
人見知りとパソコン好きが高じてITの仕事をしておりますが、モノの考え方やドラムのリズム、立ち居振る舞いもデジタル寄りです。

ichiさん(キーボ-ド)
【答】 古い鍵盤楽器
楽器1つ1つに個性があります。音も温かくて鳴りが気持ちいいです。最近は曲作りの時にWurlitzer 200Aを弾いています。



ワタナベフラワー プロフィール
Vo.クマガイタツロウ Gu.イクロー Ba.ムサ Key.ICHI Dr.やっちんの5人で活動中のワクワクロックンロールバンド。
「ブルーハーツやキダタローさんばりに15秒くらいで覚えられておもしろい音楽。」と「あんまり何を言ってるか分からないけど楽しそうなMC」で様々なお祭り、ライブハウス、幼稚園のイベント等に出演。
NHKみんなのうたを始め、TVCMタイアップ等も長年活動してるだけあって物凄く多い。
ヴィッセル神戸応援大使を始め、多くの応援大使も務める「応援番長」でもある。
バンドとして初の神戸市との公民連携を結び、神戸市公認のバンドとなり「本当にいいの?」と困惑しながらも頑張っている。
KissFM KOBE、ラジオ関西、明石ケーブルTVにレギュラー出演中。
公式ホームページ https://watanabeflower.com/

三木労音12・1月例会(第198回)
ワクワクロックンロールバンド ワタナベフラワー LIVE in みき
2024年1月14日(日)14:00開演
三木市文化会館小ホール
参加費 会員/会費のみ 一般/親子ペア券4,000円
※親子ペア券は大人1名+中学生以下のお子様1名の料金です。
※大人1名の参加の場合も同額になります。
※その他に高校生、障がい者割引有。また子ども人数追加の場合などはお問合せ下さい。
三木労音会員へ入会希望の方は、チラシ裏の入会申込書に会費2か月分(ワタナベフラワー例会から参加希望の方は12・1月分)と入会金(1,000円)を添えて、三木労音会員か事務局までお申し込み下さい。
ホームページからの入会申込みはこちら→http://www.mikiroon.com/info.html
詳細は三木労音事務局 TEL 0794-82-9775、またはメールinfo@mikiroon.comまでお問い合わせください。