2024年12月24日火曜日

外は寒かったけれど、中はホットなサークルフェスティバルでした!

去る12月22日(日)に、年末恒例の三木労音「サークルフェスティバル2024」を開催しました。
毎年そうですが、今年も皆さんの腕によりをかけた模擬店、ステージ発表などで大いに盛り上がった会となりました。

入口には素敵なウェルカムボードが!
製作はチラシや舞台看板の題字も書いていただいた藤田悠真さん(いろはサークル)でした。

みんなで力を合わせて会場準備をしましたら、早速11:00から模擬店、バザーの開店です。

新婦人の店(地元産小麦粉、バザー、そして野菜)

ゆるカフェジャスミン(手作りお菓子、パン)、ドリンクコーナー

リユースHALE(手作りポーチ、フラダンスグッズや雑貨など)

事務局蚤の市(不用品バザー)

オカリナ店(雑貨と手作り佃煮など)

海の幸(手作り佃煮、昆布など)

どの店も多くの人が訪れて、皆さんおしゃべりをしながらお買い物を楽しみました。
今年もサークルフェスティバルお馴染みの賑やかな光景に気持ちもホッコリ(^^)

楽しそうな雰囲気につられて恐竜もやってきました(笑)

そしてお昼をはさんで13:00からは、お待ちかねのステージ発表の開始です。
今年も元気ハツラツ!「好奴(よしやっこ)」こと腰前さんの司会でスタート。

プログラム1番は民謡久栄会の三味線と唄から。
先日の浅野祥例会でも歌われた民謡メドレーを思い出しましたね。

2番はフェスティバル常連のオカリナやまびこ。
メンバーは2組に分かれて、前半はAグループの4人と伴奏で楽しいアンサンブルを披露しました。

3番はヨッシーサンバ♪。
先ほどの恐竜(娘2人)とお母さんによる親子の楽しいダンスで、会場が盛り上がりました。親子では初出場でしたね。

4番は初出場の又吉健二さんによるオカリナ独奏。
トリプルオカリナを駆使して、リズムの難しいJ-POPの曲を見事に演奏されました。

5番はこちらもフェスティバル常連のフラグループ、フラハレの皆さん。
今年は6月のコオルア例会のステージに立たれたこともあり、皆さん自信にあふれた優雅なダンスでした。

休憩をはさんで、今回特別企画として「絵本と音楽のライブ」を上演しました。
これは三木市立図書館で毎年開催している絵本の読み聞かせと生演奏のコラボレーション企画で、今回は会場が広いのでプロジェクターで絵本を拡大して、3名の読み手がそれぞれの作品を読む後ろで、ピアノとギターが生演奏。
客席にはこの企画を初めて観られた方も多かったようで、楽しんでいただけました。
さて、もう一度休憩をはさんで、ステージ発表後半の再開です。

プログラム6番は、マリアハープ合奏。
指導者のマリア味記子さん考案のバリアフリー楽器「マリアハープ」を、先生と生徒、そしてサックスのゲストを迎えて、美しい音色で演奏されました。

7番は前半にも登場しました、オカリナやまびこのBチーム。
先ほどと違うメンバー4人が、リズムも複雑なアンサンブルを披露されました。

8番は、この方も常連出演のはやしぶんきちさんによるアコーディオン弾き歌い。
ドラマチックな名曲を、声を張り上げ元気いっぱい歌いあげられました。

9番はご夫婦デュオ「いろは」による篠笛とピアノの演奏。
篠笛のソロ曲もあり、前回よりさらに挑戦されたステージでした。
バックの題字もお二人の子供さんによるものなので、隠れ親子共演でした。

ラスト10番は、前半にも登場されたフラハレより、アロアロチームのみのダンス、そして最後は全グループ全員参加しての賑やかで盛大なダンスで、華やかに締めていただきました。
師走で外は寒い木枯らしが吹いていましたが、大勢の方が集まってくださり盛り上がったことで、会場内はとっても温かく、ちょっと暑いぐらいになりましたね。
会を支えてくれたスタッフの皆さんにも大きな拍手を贈ります!

2024年もいろいろありましたが、今年もこうして無事フェスティバルを開催できたことに感謝いっぱいです。
来る2025年も、元気に楽しく、充実した一年にしていきましょう!

ありがとうございました!!

2024年12月16日月曜日

三味線、唄、トーク、お一人とは思えない浅野祥さんの充実したステージでした!

12月も早や半ばとなりました。時間が経つのはあっという間ですね。

さて、今月1日に行いました三木労音例会「浅野祥 津軽三味線コンサート」のご報告です。
今回は約半年ぶりとなった例会で、会員の皆さんも心待ちにしておられたことでしょう。久しぶりにたくさんの会員が参加し、熱気あふれる例会となりました。

浅野さんは、ソロにユニットにと活動も幅広く、ライブにレコーディングにと超多忙な中、今回三木までお越しいただきました。
そんな浅野さんに感謝の気持ちで、開場を前にスタッフで歓迎会をしました。
プレゼントした三木の特産物のキャラクターの入ったタオルを肩にされる浅野さん。
浅野さんの素晴らしいお人柄に身近にふれあい、スタッフ一同感激!

そして開演。
今回、ステージは浅野さんの独奏ですが、非常に内容が濃く、またバラエティーにも富み、たった一人とは思えない充実した内容でした。

津軽三味線の独奏では、津軽じょんから節や津軽あいや節など、津軽ものの味わいを十分に堪能させてもらいました。
音色の多彩さは流石で、力強いバチさばきから奇麗な弱音まで、幅広い音色に酔いしれました。

そして浅野さんが歌われた民謡も大変心に沁みました。とても伸びやかで気持ちよいお声でした。
津軽だけでなく、日本各地に伝わる民謡にも大変関心をお持ちということで、そんな民謡にまつわるお話も興味深く聞きました。

会場みなさんと一緒に「民謡メドレー」でほっこり。
手拍子や合いの手など、聞けば思わず出てしまうのは、ずっと歌い継がれてきた先人からの財産ですね。

アカペラで歌われたお声(ノーマイクで演奏された三味線も)はより心に響きました。

終演後は、会場から出て来られる皆さんが興奮の様子で、アンケートもたくさん回収箱に入り、「また来てほしい」という声も多く聞かれましたよ。


多忙な浅野さんは、終了後すぐに関東へお帰りになられましたが、地元の空気を少しでもと三木駅から神戸電鉄に乗ってお帰りになられました。

素晴らしい演奏、お話、感動のステージを本当にありがとうございました!!

【次回例会紹介】二人合わせて10本の弦が誘う、時空を超えて広がる音楽の旅 ― ジュスカ・グランペール (インストゥルメンタル・ アコースティック・デュオ)

次回例会は、心揺さぶるオリジナル楽曲と情熱的な演奏で、全国様々な場所でライブ活動を展開されているギターとヴァイオリンのユニット、ジュスカ・グランペールの登場です。
今回のブログでは、ジュスカ・グランペールのお二人へのインタビューをご紹介します。
聞き手 小巻健(三木労音事務局長)

左:高井博章さん、右:ひろせまことさん



―グループ名の「ジュスカ・グランペール」はフランス語で「おじいさんになるまで」という意味ということですが、名前に込められた思いと、フランス語で付けられた背景がございましたら教えてください。

ジュスカ 2人が出会って初めて一緒に音を奏でた時の新鮮さがずっと続きます様に、という想いでおじいさんというキーワードが出て来ました。そしてフランス語にこだわったのは、2人共通の好きなアーティストで、今から100年ほど前にフランスで活躍していたギタリスト、ジャンゴ・ラインハルト、そしてバイオリニスト、ステファン・グラッペリ。この2人が作り出したジプシースイングジャズが好きで、それにあやかってフランス語にしました。

―お二人がそれぞれ音楽を始められたきっかけを教えてください。

ひろせまことさん(以下、ひろせさん) 私の家は父は声楽、母はピアノ、姉はオルガンそして僕がバイオリンという音楽一家でして、うちの家の常識の中では音楽以外の選択肢はありませんでした。

高井博章さん(以下、高井さん) 3歳年上の兄の影響で中2からギターに目覚めました!それからは寝る時もギターを抱いて寝るような日々(笑) それから45年も気持ち褪せる事なく弾いている事が奇跡であり、感謝しかありません。

―グループを結成されたきっかけを教えてください。

高井さん 20代後半からヨーロッパ旅行に行くようになり、そこで見かけたギターとバイオリンのデュオ!とても素晴らしくて、、クラシックをメインとしながらもいろんな要素が入っていて。それから帰国しバイオリニストを探していたら、知人を介して面白いバイオリンを弾く人がいる!と教えてもらい、早速連絡をして僕のライブを観に来てもらいました!

ひろせさん そんなことでライブを見に行くと、赤いエレキをブンブン振り回して、飛び上がりながら弾いている高井がいました。ジャズとロックの混ざったような激しい音楽で大音量でした。しかも髪型はモヒカン! 到底一緒にできないだろうと思いながら聞いていましたが、楽屋に挨拶しに行くと、汗だくのモヒカン頭の人は丁寧に挨拶をすると「リハーサルをしましょう」が第一声でした。
後日ちょっと不安な気持ちでリハーサルに行って音楽をやり出すと、なんとも快適な感じ!あっという間に時間が経ちました。
リハーサルの最後に1枚の楽譜を渡してくれて、その曲を弾くと 初めてなのに「バチっ」と合い、とっても印象深いフラメンコ調の曲でした。この曲が2人を結びつけてくれました。 

―ジュスカ・グランペールの奏でられる音楽はいろんな音楽の要素がミックスされていますが、これまでにどんな音楽、またアーティストから影響を受けられましたか?

ひろせさん 幼少の頃はクラシック、中学の頃はハードロック、高校の頃はブルース、大学の頃はクラシックとジャズをよく聞いていました。ハードロックで好きなのはヴァン・ヘイレンやイングヴェイ・マルムスティーン。ブルースで好きなのはジョン・リー・フッカー、ジャズで好きなのはデクスター・ゴードン、クラシックで好きな演奏家はピンカス・ズッカーマン。

高井さん とにかくギターが好きで、ギターで弾ける音楽なら演歌も含めて、ほぼ全てを聴いてましたね!学生時代はフォーク・ロック・フュージョン、大学を卒業してからはジャズやフラメンコ等のラテン音楽に夢中になりましたね!ジプシースイング の生みの親・ギタリスト ジャンゴラインハルトは心の師匠ですね!そしてビートルズも大好きです。

―お二人はホールやライブハウス以外にも様々な場所で演奏されていますが、そんな中で印象に残っている場所や場面がありましたら教えてください。

ひろせさん 京都の上賀茂神社の観月祭で演奏したときの事、拝殿にて演奏していたのですが、演奏中楽器の音以外に風の音や水の流れる音が次第に大きく聞こえてきて、でも近くに水は流れていなかったので不思議だなって思いながら弾いていました。しばらくすると静かになってその後自分の足元から気のようなエネルギーのようなものが、ズバーっと通り抜けていって、木のように成長していったような気がしました。その状況は隣で弾いていた高井も同じように感じていたし、演奏後宮司様にお尋ねしたところ、満面の笑みで「いろんな神様がいらっしゃっていましたね」とおっしゃって、やっぱり本当だったんだ!と思ったことがありました

高井さん 春の桜の時期に、奈良の吉野で奉納演奏をもう20年近く毎年行ってます。
野外で美味しい空気を味わいながら自然に囲まれて演奏するのが大好きです!
神社やお寺・教会等、お祈りの場での演奏も素晴らしいですね!

―ジュスカ・グランペールとして、音楽を通してどんな活動をしていきたい、また何を伝えたいと思われますか?

ひろせさん 音楽は誰の耳にも平等に伝えることができます。皆んなで仲良く音を楽しむ事が出来ます。そんな音楽をたくさんの人に聞いてもらって皆んなが仲良くなってくれたら?そんな橋渡しの様な事が出来たら良いなぁと思っています。

高井さん 音楽は「心の薬」だと思っていて、やはり日々なくてはならないものだし、作った音楽や演奏で、心を癒したり元気付けたいと常々思っています。最近では、能登半島震災支援ライブに行った時に、音楽(芸術)がいかに心に大切なものかが痛いほど分かりましたし、そんな音楽をこれからも愛し奏でていきたいと思っています。

 
―1/26三木労音のステージに向けて、メッセージをお願いします。

ひろせさん 私たちの音楽は歌詞のないインストルメンタル音楽です。なので、いろんな想像を膨らませながら聞いてもらえる音楽だと思います。記憶の中や想像の世界、過去や未来、いろんな場所、宇宙にも簡単に行くことができます。いろんな旅を楽しんでもらえたら嬉しいです。

高井さん ギターの6本、バイオリンは4本の合計10本の弦の響き!そしてジュスカならではの緻密なアレンジ・演奏を楽しんでいただきたいと思います。



ジュスカ・グランペール プロフィール
ギター高井博章とバイオリンひろせまことによる、インストゥルメンタル・アコースティック・デュオ
1999年結成。共におじいさんになるまで楽しく続けて行きたいという気持ちをこめてフランス語でジュスカ・グランペール(おじいさんになるまで)と命名。ジプシージャズ、フラメンコ、タンゴ、クラシック、ラテン、邦楽など様々な要素を吸収した「ジュスカ・サウンド」は、情熱的で美しいメロディーを特徴とし、誰にでも受け入れられやすい音楽としてCMやTVラジオ等で使用されるなど、老若男女を問わず、幅広く人々に愛好されている。またライブは、コンサートホールやライブハウスに限らず、寺社・教会・博物館・大自然の中など様々な環境のもとに繰り広げ、たった2人、たった10本の弦が奏でる広い世界を持ったパフォーマンスが、高い評価を得ている。
ジュスカ・グランペールの代表曲「Gypsy Dance」が、SK-2サインズトリートメントのCMに使用されて以来、同CMをはじめ数々のCM音楽を担当。アルバム「mineral life」(鳥山雄司プロデュース)を葉加瀬太郎が音楽監督を務めるHATS(ハッツ)よりリリースしデビュー。現在10枚のアルバムをリリース。大竹しのぶ、押尾コータロー、KAN、クレモンティーヌ、ゴンチチ、紺野美沙子(朗読)、佐藤竹善、夏川りみ、葉加瀬太郎、一青窈、ロマーヌ(ジプシースイングギタリスト)等と共演。楽曲提供やレコーディング・ツアーサポート等を行う。
CM曲をはじめ、テレビドラマやバラエティ番組の挿入曲、NHKの番組テーマ曲や特番などの楽曲提供。現在、同局「おはよう関西」に楽曲提供。
2017年4月から2023年3月まで大阪のFM COCOLOにて、毎週金曜日24時~25時 ジュスカの番組「Daiwa Sakura Aid Jusqu’a Midnight Stroll』を6年間担当。2018年 小川珈琲TVCMに楽曲提供。
2024年8月、通算14枚目になる、結成25周年記念アルバム「FEVER25」をリリース。
公式ホームページ https://www.jusqua.com/


三木労音12・1月例会(第204回)
ジュスカ・グランペール コンサート
2025年1月26日(日)14:00開演
三木市文化会館小ホール
三木労音会員へ入会希望の方は、チラシ裏の入会申込書に会費2か月分(ジュスカ・グランペール例会から参加希望の方は12・1月分)と入会金(1,000円)を添えて、三木労音会員か事務局までお申し込み下さい。
ホームページからの入会申込みはこちら→http://www.mikiroon.com/info.html
詳細は三木労音事務局 TEL 0794-82-9775、またはメールinfo@mikiroon.comまでお問い合わせください。

2024年10月22日火曜日

【次回例会紹介】津軽三味線の伝統を踏襲しつつ、さらなる進化をめざす、次世代の継承者 ― 浅野 祥(津軽三味線奏者)

次回例会は、国内外の第一線でご活躍されている津軽三味線奏者・浅野祥さんの登場です。
今回のブログでは、浅野祥さんへのインタビューをご紹介します。
聞き手 小巻健(三木労音事務局長)

浅野祥さん



―浅野さんが津軽三味線を始められたきっかけは、お祖父さんの三味線だったそうですね。

浅野祥さん(以下、浅野さん) はい。祖父は大工の棟梁で、毎日朝から晩まで外で仕事をして、帰ってきて趣味の津軽三味線を弾いて、お風呂に入ると気持ちよさそうに民謡を歌う、そんな人でしたので、子どもの頃私も祖父と同居していましたが、家の中は常に民謡や三味線の音がしているという環境でした。
私が三味線をするようになると、祖父は「とにかく楽しくやりなさい」と。とはいえ、コンテストに挑戦するようになると、時に練習が嫌だと感じることもあり、そんな時祖父は、「じゃあ今日は1分だけでいいから一緒にやろう」と言って三味線に向かわせてくれました。そうして一旦弾きはじめると、気がついたら6時間ぐらい経っているのですけど(笑)。今思えばそうやってうまく導いてくれていました。
あともう一つ、「芸は身を助ける」ということもよく言われていました。子どもの頃はよく意味が分からなかったのですけれど、今になると三味線を弾いていることで世界中の色んな人と出会えましたので、三味線をやっていて良かったなと思います。
そんな祖父でしたが、大会三連覇を前に60代で他界しました。もし今、祖父に声をかけるとしたら「おかげさまで楽しくずっと弾いてるよ」と言いたいですね。

―浅野さんは海外での演奏機会も多いですが、海外で演奏したいと思うようになったきっかけ、また実際に演奏して気づかれたことを教えてください。

浅野さん 小学生の頃、自分でテーマを見つけてそれについて調べていくという授業があり、私は世界の戦争・紛争について調べました。その時に、被害を受けている人々に三味線を聞いてもらって癒しを届けたいなと思い、それが初めて海外の人に三味線を聞いてもらいたいと思うようになった時でした。
戦争について関心を持ったのは、前述の祖父から戦争の話を何度も聞かせてもらったことです。私の出身の仙台は、太平洋戦争の時に「仙台大空襲」という、東北の中で最も空襲の被害を受けた土地で、祖父もそれを経験しました。
実際に海外で演奏したのは、デビュー後にアメリカのワシントンDCにある「ケネディセンター」という、音楽家にとって登竜門のようなコンサートホール、そこで演奏したのが初めてでした。アメリカの聴衆は、三味線に対し無垢な状態で聴いてくださいましたが、演奏後スタンディングオベーションをいただき、そのストレートな反応にすごく驚いて、三味線という楽器、音は人に訴えかける力がすごくあるのだろうなと漠然と感じました。
私が10代の頃、三味線をやっているというと周りから奇異の目で見られがちだったのですが、心が折れることなく、自分の演奏をただ一生懸命届ければいいんだという考え方になれたのは、そのアメリカでのコンサートがとても大きな影響を及ぼしているなと思います。

―東日本大震災をきっかけに変化されたことがあったそうですね。

浅野さん 東日本大震災が起きたのは私が21歳の時、デビューして4年目くらいの時でした。それまではありがたいことに膨大な数のコンサートを行っていたのですが、東日本大震災が起きて、その流れがパタッと断ち切れ、一旦ゼロに戻りました。そこで僕は何のために、何がやりたくて頑張っていたのだったかと今一度心に問い、ショーアップされた三味線のコンサートだけでなく、今目の前にいる一人を喜ばせたい、そういう気持ちになれたことは、今思えば現在の演奏活動につながる大きな分岐点だったなと思います。
 また震災で仙台の実家が全壊したのですが、その家は大工だった祖父が自分で建てた家だったので、ただ廃棄処分されるのが嫌で、床柱から三味線を2挺作り、今でも時として使っています。

―浅野さんは津軽三味線演奏の他に民謡も歌われますが、民謡の魅力とは?

浅野さん 私は楽器の音だけで何かを伝えるということに特化してやってきましたが、一方で「人の声」が持つパワー、何かを伝えたい時に、楽器を演奏するよりも声で伝えた方が、明らかに伝わるスピードも深さも違うということを感じるようになり、自分でも歌うようになりました。
日本の民謡の面白さは、一つはその歌が生まれた土地の風土などが歌になって残っているということです。その土地の人々の気風なども歌として残っているものもあり、世界的に見てもここまで地域ごとに豊富に残っていることは珍しいそうです。今、グローバル化が良しとされ、インターネットでいつでも地球の裏側の情報が得られる時代ですけれども、ここに至るまでのそれぞれの地域での人々の歩みというのは、ネットや教科書で知るだけでなく、伝わってきた歌を聴くことでより身近に親しみをもって感じ、感謝する、そういう部分を僕は大切に歌って伝えていきたいです。
今、小学校公演に行くと、6年生でも東日本大震災を知らないくらい時が経ちましたが、あの時仮設住宅を100軒ぐらい回った時に聞かせてもらったお話は、また起り得るものなので、未来に教訓として伝えていくという点でも、民謡はその手段としても優れていると僕は思っています。
また、民謡という音楽を残していきたい、そのためには時代に合った進化をしていかないといけないと思い、ソロ以外に「MIKAGE  PROJECT」という若手邦楽器3人によるユニットで、民謡を現代のサウンドで再構築する試みをしています。
民謡もその昔は、歌い手が結構自由に独自のアレンジをして進化し続けてきたのですが、昭和の後期ぐらいからそれがピタッと止まった。コンクール文化が生まれたことで、ここの節は何回回してとか、そういう教則本が出たことで型が決まってしまい、それ以外の歌い方をした人、個性を出した人が排除されていった時代が続きました。本来、民謡というのは自由なはず、民の歌ですから。
私たちはJ-POPを聞いて育ってきた今の30~40代の方々に向けてサウンドの入口を広げて、どこからでも入ってきて下さいねという気持ちで活動を展開しています。

―津軽三味線の大切にしたい部分は?

浅野さん シンプルに言うと音色です。私は津軽三味線の音色がとにかく好きで、祖父の津軽三味線によって三味線の音色にズドーンと心を射抜かれた自分がいたので、その感動は三味線を弾いている限りいろんな方に届けたいですね。
その上でプロの演奏家としては、やっぱり自分が一番納得する音色を追求したい。それは楽器職人さんとも相談しながら、しかし一方的に職人に頼るでなく、奏者としては撥の厚みや当て方、角度などを研究し、最高の楽器から最高の音を出す努力を、大切にしています。
私は津軽三味線の音色の中でも「美しい弱音」が何より好きで、3枚目のアルバム『BELIEVE』をフランスのお城で録音した際、日本で弾くのと同じようにバシバシ叩いていると、石造りの壁に反響しすぎてメロディーがまったく分からず撥の音しか聞こえない(笑)、その時にやっぱり津軽三味線も弦楽器なのだから、メロディーを届けたいと思い、色々な奏法や音色を編み出したのがそのきっかけでした。

―他のジャンル、楽器とのコラボレーションも多く経験されていますが、そこからどのようなことを得られましたか?

浅野さん 津軽三味線は基本的に津軽の民謡を弾く楽器で、そこを突き詰めていくと津軽の音階でしか音楽を奏でられません。例えばジャズとやるのだったらジャズの音階やセオリーをしっかり勉強して、サルサをやるならサルサのリズムを一から勉強して、他ジャンルとコラボレーションする時にはそのように向き合っています。そうすると、例えば三味線は基本的に人差し指、中指、薬指の3本しか使わないですが、ジャズの音階を弾くためには小指を使わないといけない、またハープと合わせる時にはどうすれば津軽三味線の強めの音とハープが交わるのかと撥の当て方を変える、そんな風にいろんなことをやっていくと、逆にそれらの経験を持って津軽じょんがら節を弾くと、これは間違いなく自分だけのじょんがら節になると思いました。いろんなフィールドで様々ことを吸収して、それらをじょんがら節に還元したい、そこは常に意識していますね。おそらくそれを最初に実践したのが高橋竹山さん(初代)ではないでしょうか。当時は突拍子もない演奏と思われたと思いますが、それが津軽三味線の歴史の分岐点だったわけです。私もそのような創作的な音楽家でいたいし、伝統音楽を弾いているからこそ、一歩その型を破った新しいスタイルというものを生み出していきたいと強く思っています。
 
―影響を受けたアーティストを教えてください。

浅野さん 幅広く言うとフォークシンガーですね。僕がとても好きだったのは井上陽水さん、泉谷(しげる)さん、三上寛さんなど。あとは日本以外ではカントリー&ウエスタンのジョニー・キャッシュ。とにかく声とギター1本で観客を沸かせられるという、そこに憧れました。デビューした時は、上妻宏光さんとか吉田兄弟さんのようにバンドを従えてツアーをしたい思いもありましたが、そこをぐっとこらえて、まずは一人で90分なり2時間なりを、目の前のお客様を楽しませられる底力をつけようと思いました。それが出来るようになればバンドを従えたらより楽しいライブができるぞと、なぜか10代の時にそう思いました。
さらに幅広く言うと、マイケル・ジャクソンが僕の中でのバイブルです。彼の音楽ももちろん大好きなのですけれど、あのカリスマ性。後ろに従えているダンサーは世界各国から集めた一流の人達なんだろうけれど、真ん中で踊っているマイケルが一番観客の目を弾くというあのカリスマ性とステージング、あの感じがとても好きです。私も今では一流のゲストを迎えてのコンサートも行いますが、その人達に呑まれず常に自分が音楽を仕切るという時は、マイケルの姿を思い出しています。

―12月1日の三木労音例会は、どんなコンサートになりますか?

浅野さん もちろんコンサートでは津軽三味線のすべてを聞いていただきたいです。あの津軽らしさ、他の楽器には決して持ち合わせていない、津軽三味線だからこその音色、曲をたっぷり演奏します。と言うと、堅苦しそうと思われる方ももしかしたらおられると思いますが、初めて聴く方でもとても楽しめる、多分聞いたことのない津軽三味線のコンサートであることは間違いないです。
あと、津軽三味線は半分弦楽器、半分打楽器の楽器だと思っています。リズム感が命みたいな部分と、一方で小川が流れるような清らかな音色というのも実は持っている楽器で、それは津軽の人達の哀愁にも起因しているのかもしれません。とにかくその音色の幅広さというところにもぜひ注目してもらいたいです。
最近、日本のアニメが世界中で流行っていますが、そんなアニメにも津軽三味線の音色が結構使われています。私も今『推しの子』という作品で弾いていますが、そんなふうに知らず知らずのうちに耳にしている津軽三味線という楽器を、ぜひ目でも見に来て、楽しんでいただきたい。
民謡や三味線を全く知らない方でもきっと楽しめるステージになると思います。そこはご心配なく(笑)来ていただきたいです。

(このインタビューは浅野祥さんのご協力をいただき、9月17日にZoomにて実施しました。)



浅野 祥 プロフィール
宮城県仙台市出身|1990年3月2日生まれ
仙台第一高等学校|慶應義塾大学 卒業

祖父の影響により、3歳で和太鼓、5歳で津軽三味線を始める。
その後、三絃小田島流 二代目小田島徳旺氏に師事。
7歳の時、青森県弘前市で開催される津軽三味線全国大会に最年少出場し、翌年から各級の最年少優勝記録を次々と塗り替える。
2004年 津軽三味線全国大会、最高峰のA級で最年少優勝(当時14歳)その後、2006年まで連続優勝し、3連覇を達成。同大会の規定により、殿堂入りを果たす。※津軽三味線世界大会(旧大会名:津軽三味線全国大会)
2007年17歳でビクターエンターテインメントより「祥風」でメジャーデビュー。以降、コンセルトヘボウ(オランダ)、ケネディ・センター(アメリカ)でのコンサートをはじめ、アメリカ、ヨーロッパ、カナダ、アジア各国でコンサートツアーを行うなど、海外に向けても積極的に発信する。
民謡、Classic、Rock、Jazz、Pops、フラメンコなどジャンルにとらわれない演奏スタイルにより、石川さゆり、山下洋輔、宮沢和史、yamaなど、様々なアーティストとの共演を果たす。中学生時には元BO?WY・高橋まこと(ドラム)とバンドを組んでいた。
自身のアルバムでは世界的なミュージシャンとの創作にも取り組み、ジャズ界の巨匠ウィル・リー(ベース)や、同じくジャズ界の若きスタープレイヤー、マーカス・ギルモア(ドラム)、2度グラミー賞に輝いたリチャード・ストルツマン(クラリネット)らとアルバム制作を行う。
和楽器奏者としては初めて日本最大級の音楽フェス『MONSTER baSH』に3年連続で出演するなど、様々なロックフェスやジャズフェスに出演。
近年では”日本遺産×芸能”をテーマに掲げる文化庁主催『NOBODY KNOWS』への参加など、日本文化の掘り起しや普及にも積極的に取り組む。また、日本各地の民謡を現代の感覚で作編曲する「MIKAGE PROJECT」や複数の邦楽演奏家からなる「ART歌舞伎楽団」に参加し、新たな音楽シーンを切り拓いている。

愛用する三味線は三絃工房の「滋丹」
日本屈指の三味線メーカーである三絃工房と、2023年に三味線奏者として世界初のエンドースメント契約を締結。

このような国内外に向けて日本の伝統文化である津軽三味線の魅力を発信していく活動が認められ、浅野の活動が令和元年より政府公式プログラム「beyond2020」の承認事業プログラムに正式決定した。
本来の民謡、古典芸能の追及はもちろんのこと、幅広い世代に三味線の魅力を伝えるべく、津軽三味線の可能性を追い求める孤高の若き津軽三味線奏者。

◆レギュラー番組 TBC東北放送『杜の都信用金庫 プレゼンツ 浅野祥 ラジオ “祥”case』 毎週火曜日16:40~放送中
◆レギュラー番組 AuDee “TOKYO FM & JFN系列38局” 『いぎなり!! ミカゲ民謡!!』
毎週金曜日20:00~放送中
◆レギュラー番組 NHKラジオ第1『民謡をどうぞ』(番組放送作家:浅野祥)
毎週金曜日12:30~放送中
公式ホームページ http://sho-asano.com/


三木労音10・11月例会(第203回)
浅野 祥 津軽三味線コンサート
2024年12月1日(日)14:00開演
三木市文化会館小ホール
三木労音会員へ入会希望の方は、チラシ裏の入会申込書に会費2か月分(浅野祥例会から参加希望の方は10・11月分)と入会金(1,000円)を添えて、三木労音会員か事務局までお申し込み下さい。
ホームページからの入会申込みはこちら→http://www.mikiroon.com/info.html
詳細は三木労音事務局 TEL 0794-82-9775、またはメールinfo@mikiroon.comまでお問い合わせください。

2024年7月4日木曜日

「三木市制70周年記念 三木の歌 うたう会」市内5か所の公民館で開催します!!

以前の投稿でも紹介しました「三木市制70周年記念 三木の歌 うたう会」を、この7月~8月の間に三木市内の計5か所の公民館をツアーして開催することになりました!


日程、会場は以下のとおりです。どなたでも参加できます!

7月14日(日)14:00~15:30 青山公民館2F講習室 定員30人
7月28日(日)10:30~12:00 細川町公民館1F講座室 定員20人
8月11日(日)14:00~15:30 自由が丘公民館1F講座室 定員40人
8月18日(日)10:30~12:00 中央公民館2F第1研修室 定員30人
8月18日(日)14:00~15:30 別所町公民館2F視聴覚室 定員20人

各会場共通 参加費 100円(楽譜代) 
※うたう会参加者で三木労音会員以外の方は、9月8日(日)「ダ・カーポ コンサート」(14:00~三木市文化会館小ホール、三木労音例会)の一般券4,500円が4,000円になります。

主催 三木労音 TEL 0794-82-9775/メール info@mikiroon.com

先日6/23に開催した「うたう会」はこんな感じで行いました😊

ぜひ多くの方のご参加をお待ちしています!!!!

2024年6月27日木曜日

極上のハーモニーと美しいダンスに、ハワイの風を感じたひとときでした!

今年は6月も終わりのほうになってから梅雨に入り、蒸し暑い日が続いていますね💦

さて少し前になりますが、まだ梅雨入り前の、しかもひときわ蒸し暑かった6月16日(日)、6・7月例会「コオルア ハワイアンコンサート」を三木市文化会館で開催しました。

開演前の時間にロビーで歓迎会をさせていただきました☆

写真中央がコオルアのマーティーさん、右がノリコさん、そして左がダンサーのユーキさん。

三木労音では初めてとなるハワイアン音楽のコンサート。
出演者もスタッフも、そして共演の地元フラグループ「フラハレ」(写真後部)の皆さんも、共に良いコンサートにしましょうと心をひとつにしました。

そしていよいよ開演。
幕が上がるとともに、コオルアのお二人の何ともリラックスした涼やかなサウンドと歌声が会場を包みました。

「コオルア」とは、「緩い」「2」という意味とお聞きしていましたが、音楽でゆったりと気持ちも身体も緩み、そして曲間のトークでもまったりとした関西弁の味で楽しいお話を聞かせていただき、皆さんを非日常の空間へといざなっていただきました。

そしてコンサート前半のハイライトは、地元フラグループの「フラハレ」の皆さんの共演ステージ。
総勢14名。ずらっと並ばれた姿は壮観でしたね!
間に2曲を挟んで、衣装も替えて2回ステージにご登場いただきました。
日ごろの練習の成果を余すことなく発揮され、「踊ることが楽しい」という気持ちが弾けた笑顔いっぱいのステージでしたね😊
コオルアのお二人も、皆さんのダンスで笑顔になれたと言ってくださいました。

そしてコンサート後半はプロダンサーのユーキさんのご登場。
ハワイのホテルで観れるようなフラショーのコンセプトのダンスに、観客の心は一気にリゾートへ。
いで立ち端麗、表情も豊か、全身の隅々まで思いが行き渡るような表現力に、思わずため息がこぼれるほどでしたね。

コオルアの歌うハワイアンソングは、古いハワイ語や英語の曲が中心なのですが、歌う前にその背景などをお話してくださるので、言葉が分からずとも楽しめます。
何よりお二人のとても良いお声、ハーモニーが本当に心地よく、そしてマーティーさんのスラックキーギター(緩めた調弦という意味だそう。ここにも「ゆるむ」が・・・)とノリコさんのウクレレによる豊かなサウンドで、言葉を超えて伝わってくるものがありました。

最後は再びユーキさんも登場。
雪の女神の美しいドレスを着た姿に、最後まで魅了されました。

今回のコンサートをいかに楽しんでもらおうかと、コオルアのお二人もユーキさんも多くの準備をしていただいたとのこと、その心づくしに本当に感謝です。
そのおかげで、私たちは歌と楽器、そして地元ダンスチームとソロのプロダンサーと2種のダンスから、ハワイの豊かな文化と歴史を感じることができたような、バラエティー豊かなステージを楽しませていただきました。

お三人とも関西を中心にご活躍されていますので、ぜひどこかに聴きに行ってみられてはいかがでしょうか。
また三木にお越しいただける機会ができればいいですね。
コオルアのマーティーさん、ノリコさん、そしてユーキさん、本当にありがとうございました!

受付付近に飾っていたお花は、ノリコさん宛に愛知から届いたものでした。