2026年8月24日月曜日

【次回例会紹介】気取らない人柄、凛とした姿、ギターを友とした人生は味わい深い音色へ ― 荘村清志 (ギター奏者)

次回例会は、長きにわたって日本のクラシックギター界を牽引してこられた、まさしく日本を代表するギター奏者の荘村清志さんの登場です。
今回のブログでは、荘村清志さんへのインタビューをご紹介します。
聞き手 小巻健(三木労音事務局長)

荘村清志さん



―荘村さんがギタリストになろうと決意されたのはいつ頃、どのようなきっかけでしたでしょうか。

荘村清志さん(以下、荘村さん) それにはもう少し遡ってお話します。私がギターを始めたのは9歳の時、きっかけはそもそも私の父親です。父がクラシックギターを愛好していて、ギタリストになりたいと思っていたらしいのですが、当時クラシックギターで生活している例がほぼなく、また父は長男ということもあり、諦めてサラリーマンになりました。ギタリストの夢を捨てざるを得なかったことが心残りだったのか、自分の子供ができ、4人兄弟の1番末っ子が9歳の時にギターを教え始めた、それが私でした。
当時、私も何がなんだかわからない状況で、父親が会社から帰ってくると必ず1時間のレッスンを言われるままに受けていました。父は私がうまく弾けている時はすごくご機嫌なのですが、弾けなくなるとだんだん顔が鬼のようになってきて(笑)。当時「地震・雷・火事・親父」と言われていましたが、まさにそのような存在。ただでさえ日頃から怖い存在なのに、私が弾けないと「なんで出来ないの」とだんだん苛ついて一層恐ろしくなり、ひっぱたかれたりこそなかったですが、時々怖くて泣いたりもしました。でも父親としてはこれでやめられては困るので、泣いている私を宥めてレッスンを再開させようとする、最初はそんなことの繰り返しでした。
その頃の私の家族の住まいは岐阜でしたが、私が中学生の時に父親の会社の関係のため家族で東京に引っ越すことになり、それからは小原安正先生という、日本のギター界の基礎を作られた方にレッスンを受けるようになりました。この先生がまたすごく怖い、風貌が昔の剣豪宮本武蔵みたいな方(笑)。レッスン中もニコリともしなくて、子供心に怖かったという記憶がありますが、基本を全て教えてくださり、すごく感謝しています。
そんな生活が続く中、ある時スペインからナルシソ・イエペス先生(映画「禁じられた遊び」の演奏で有名な巨匠)がいらして、歓迎パーティーで私がギターを弾きましたところ、先生から「スペインに来たら教えてあげる」という確約をいただき、1964年に16歳でスペインに留学することになりました。
この頃の私はまだ父親のレールに乗っかっていて、背中を押されて行ったという感じでした。スペインで約4年間ギターの勉強をして、日本に帰ってきたのが1969年。帰国後デビューリサイタルを行いました。でもここまでの過程は好きとか嫌いではなく、もっと上手くなりたい一心で、ひたすら努力をしていたという感じでしたので、ある時点で何かきっかけがあってギタリストになろうと決意したというより、なんとなくじわじわとこうなっていって、気づいたらギターの道に入っていたという感じです。
そのデビューリサイタルは、技術的には上手くいった一方、内容的には内心すごく物足りなさを感じ、その後半年ぐらいギターから離れるという時期がありました。それまで1日8時間は練習という、あまりにもギター漬けの生活で狭い世界にいたものですから、もっと視野を広げていかなければと思い始め、本を読んだり、友達とお酒を飲んだり、映画を観たり、それまでしていなかったいろんなことをやり始めました。そして再びギターに戻った時に、しみじみとギターの音っていいなあと、それまで感じてこなかった感情が沸き上がってくるような変化がありました。

―スペインでイエペス先生から教わる中で、どのような言葉が印象に残っておられるでしょうか。

荘村さん 留学の最後、帰国間際のレッスンで先生から「自分はいろいろ教えてあげたけれど、これからはキヨシ・ショウムラがここにいるという存在感をギターの音で表現していかないとだめだよ」というようなことを言われました。それは習ったことの真似事ではなく、あくまで荘村清志の音楽を作り上げていくということが大切だよということでした。

―荘村さんの長い演奏家生活の中で、音楽に対する姿勢はどのように変化してこられましたか。

荘村さん 先ほどデビューリサイタルの後に最初の壁があったことをお話しましたが、その後も根本には上手くなるための修行という感覚が根強くあり、表現力が増していかないという悩みを抱えていました。言わば「ギターと戦っている」ような感じでした。
45歳くらいの時に、思うように指が動かない、これまで練習すれば出来ていたことが出来なくなってきたという局面がありました。そこで色々考えた末に、これまで自分は必要以上の力で一生懸命弾き過ぎていたということに気がつき、そこから無駄な力を省いていく、脱力して弾くという方向に転換していきました。楽器を持つ姿勢や右手の位置、左手の抑え方など、5年ぐらいかけて総合的に変えていきましたが、脱力することがだんだん分かるようになるにつれて50歳ぐらいからは自分の内側から音楽を感じるようになってきました。それは外から作る音楽ではなく、内面から感情が自然に込み上げて生まれる音楽で、それが年々増えていきました。その結果、一番大きな変化は、ギターとは戦うのではなく、ギターが自分の一番の理解者でありベストフレンドだという姿勢になったことです。その辺りが大きな転換期でした。
あと演奏する時の姿勢では、若い頃の私は割と猫背で前のめりでしたが、そういう姿勢が力みにつながる、背筋をまっすぐに伸ばすことによって脱力がしやすくなるということに気がつきました。それ以来、背筋をまっすぐにして脱力する、軽く弾くことで音が伸びていく、そうしたことを自分で意識するようにしています。


―今回のプログラムについて、前半は作曲家・武満徹さんの没後30年に寄せてという内容ですが、世界的に著名な作曲家の武満さんがギター独奏曲を作曲されたのは荘村さんが依頼されたことがきっかけだったとお聞きしています。武満さんに曲を依頼しようと思われたきっかけや、武満さんとのエピソードを教えてください。

荘村さん 当時私が25、6歳だった頃、ギターのレパートリーはスペインものが中心でしたが、やっぱり日本人の作曲家に素晴らしい曲を作ってもらわないと、という意識が強くありまして、武満さんを含めて何人かの方に依頼したところ、武満さんが興味を持ってくださったことがきっかけです。
武満さんと最初に電話で話をした時、すごくぶっきらぼうな感じで大丈夫かな?と思ったのですが、遊びに来なさいと言われたもので武満さんのご自宅へ伺いました。最初は朝8時ぐらいに来てくださいと言われたのですが、当時の私の生活は昼間まで寝ている夜型人間だったので、頑張って朝の8時に起きて伺いました。何度か伺う中でちょっと二日酔いで行った時があったのですが、そうしたら武満さんが「君、お酒飲めるの?飲めるんだったら夕方来なさい」となり(笑)、でもそこからお酒飲みながらご飯食べながらで打ち解けていきました。そうして半年ぐらい経って「作れそうな気がするから大丈夫」だよと言って作っていただいた曲が武満さんの初のギター独奏作品『フォリオス』で、1974年の7月に上野の東京文化会館小ホールで初演をしました。
この作品は、「すごい不協和音の連続の現代音楽」という感じではなく、意外とムーディって言うとおかしいですが、柔らかい雰囲気の曲で、逆にびっくりしました。ある意味ですごく綺麗な響きがいっぱいあり、最後にバッハの「マタイ受難曲」のコラールの一節が出てくるのですが、聞くところによるとこの曲は武満さんがいつも作曲をする前に必ず1節をピアノで弾いてから作曲に取りかかっていたというぐらい、武満さんにとっては大切な曲だったということです。その1節がこのフォリオスの最後に8小節ぐらい出てきますが、非常に印象的な終わり方をする作品です。

―荘村さんにとって武満徹さんは、どういう方でしたでしょうか。

荘村さん 武満さんは写真など外から見るとすごく怖そうな雰囲気ですが、実際に親しくなると本当にとても人間的で、周りの人を楽しませようというサービス精神の旺盛な方だったのがすごく印象に残っています。本当に気取らず楽しい会話でいつもみんなが喜ぶのを見て自分も楽しむというような、エンターテイナーのような方でした。
あと、武満さんは人間的な交流をとても大切にされていた方という印象があります。例えばどこかから作曲を頼まれても、契約書にサインしてはい一丁上がり、というような作曲のされ方はほとんどなかったと思います。まずは個人的にも相手の方と深く繋がり、お互いに理解尊敬し合えるような雰囲気になった上で作曲をしていく、それが世界的演奏家のために書くのであっても、有名なオーケストラのために書くのであっても同じで、その人たちと仲良くなって、その人たちのために作曲するということをすごく大事にされる方でした。

―後半のプログラムについても教えてください。

荘村さん 後半は「ラテンの風」というテーマなのですが、私自身スペインで何年か暮らし、スペインの文化に自分自身も大変影響を受けている、イエペス先生から大きく影響を受けているということで、スペインの曲を中心に、思い入れの強い作品を気持ちを込めて弾きたいと思い選曲しました。
最初の賢王アルフォンソ十世「聖母マリア頌歌集」、これは中世の音楽なのですが、深い表現力を持ったメロディ数曲から成っている作品です。とても古い曲ですが古さを感じさせない表現力があり、古のスペインを思い起こさせるような曲です。次にカタロニア民謡、これはスペインでは有名で国歌のような感じで歌われている曲ですが、それをギターにアレンジされたもの。それから「アルハンブラの思い出」、これはクラシックギターの代表曲で、何と言っても名曲ですね。最後は「ラテン」ということで、ボサノバやサンバといったリズムが使われている、バーデン・パウエルというブラジルの有名なギタリストに捧げられた曲「バーデン・ジャズ組曲」でプログラムを閉めます。

―最後に荘村さんが長年第一線でご活躍を続けてこられた原動力、そのためにご自身で大切にされてきたことを教えてください。

荘村さん 先ほど50歳ぐらいの頃から転機があったと申し上げましたが、それから後は自分の心の中の内面をいかに豊かにしていくかが一番大切だと思うようになりました。いろんなところからエネルギーを吸収することによって表現力がどんどん増えていく、そうすると同じ曲を弾いても以前と比べて表現力が増したなど様々なことを感じられるようになった、それが私が前に進んでいける力で、演奏活動の源です。
最もダイレクトなエネルギーを得る方法は音楽会を聞きに行く、本当に素晴らしい演奏に出会って感動するということ。でもそれ以外にも、例えば映画を観たり、本を読んだり、絵を見たり・・・それぞれ感動したことが自分の中に表現力として蓄積されていき、ひいてはギターの音に繋がっていくということです。

インタビュー記事は7/21に電話にて取材させていただいた内容をもとに編集しました。
上記写真は6/19サンポートホール高松(香川県)「荘村清志トリオエレガンス」公演にて撮影。



荘村清志(ギター)プロフィール
9歳からギターを始め、父・荘村正人と、後に小原安正に師事する。1963年、来日した巨匠ナルシソ・イエペスの歓迎演奏会で氏に認められ、翌年スペインに渡りイエペスに師事。同時期にスペインに滞在していた岩崎洋に音楽理論も学ぶ。1967年イタリア各地で18回、翌1968年にはミラノなど22都市でリサイタルを開き、各地で好評を博す。帰国後、1969年の日本デビュー・リサイタルで、「テクニック、音楽性ともに第一人者」との高い評価を得る。1971年にイタリアで開かれた世界青少年協会国際フェスティヴァルに日本代表ギタリストとして参加し、この成功により北米各都市で28回にのぼる公演を開き、国際的評価を確実なものにする。
1974年にはNHK教育テレビ「ギターを弾こう」に講師として出演し、一躍、日本全国にその名と実力が知られることになった。1977年と1980年に再びスペインに渡り、イエペスのもとでさらに研鑚を積み、ヨーロッパ各地でコンサート活動を行なう。以後、リサイタルや、日本の主要オーケストラとの共演で活躍を続けている。
99年マルク・グローウェルス(フルート)、2001年グローウェルスと、インマ・ゴンザレス(カスタネット)との共演、2004年女優の岸田今日子とのコラボレーションによる《ギターと朗読の庭》のツアーを行い、カステルヌオーヴォ=テデスコの「プラテーロとわたし」をメインにした内容が好評を博す。05年にはCD「郷愁のショーロ」をリリース、アコーディオンのシュテファン・フッソングをゲストに、猿谷紀郎の委嘱新曲と新アレンジを含む意欲的なアルバムで、東京や大阪で記念コンサートを開催するなどギターの魅力をさまざまな形で伝えている。
07年にはNHK教育テレビ「趣味悠々」に講師として登場し、改めて日本ギター界の第一人者としての存在を強く印象づけた。
08年ミラノ弦楽合奏団の日本ツアーにソリストとして参加。同年ビルバオ交響楽団の定期演奏会に出演。「アランフェス協奏曲」を録音し、09年にCDをリリース、また同団との日本ツアーを行い好評を博した。14年デビュー45周年を記念して東京にて大友直人指揮東京都交響楽団と協奏曲3曲を演奏。2015年10月にはイ・ムジチ合奏団と共演、レコーディングを行い、ジュリアーニ、ヴィヴァルディのギター協奏曲を含むアルバムが16年1月にリリースされた。
17年から20年にかけてギターの様々な可能性を追求する「荘村清志スペシャル・プロジェクト」(全4回)に取り組み、注目を集めた。さだまさしとの共演、またcoba、古澤巌、錦織健と共演したガラ・コンサートではジャンルの垣根を越えたコラボレーションが話題となる。最終回ではcobaに委嘱したギター協奏曲も演奏し、好評を得る。
19年はデビュー50周年に当たり、初のバッハ・アルバム「シャコンヌ」もリリース。20年には朝日新聞の連載「人生の贈りもの」をまとめた書籍『弾いて飲んで酔いしれて ギターとともに50年』(吉田純子編著)を出版。CD録音も継続的に行っており、22年にはcoba編曲による世界のポップス名曲選「ゴットファーザー~愛のテーマ~」をリリース。
現代のギター作品を意欲的に取り上げるだけでなく、日本人作曲家に多数の作品を委嘱、初演するなど、ギターのレパートリー拡大にも大きく貢献している。特に武満徹には74年に「フォリオス」、93年に「エキノクス」を委嘱、77年荘村のために編曲された「ギターのための12の歌」を初演・録音、96年には「森のなかで」を全曲初演している。16年は武満徹没後20年に際し、同氏のギター曲を各地で演奏し好評を得た。
現在、東京音楽大学特任教授。
オフィシャルウェブサイト https://www.kiyoshishomura.com/

三木労音8・9月例会(第214回)
荘村清志 ギターリサイタル ~武満徹没後30年に寄せて~
2026年9月27日(日)14:00開演
三木市文化会館小ホール
<参加費>会員/会費のみ 一般/4,500円(高校生以下2,000円)
一般券お申込みの方はこちら⇒https://www.mikiroon.com/tickets.html
三木労音会員へ入会希望の方は、チラシ裏の入会申込書に会費2か月分(荘村清志ギター例会から参加希望の方は8・9月分)と入会金(1,000円)を添えて、三木労音会員か事務局までお申し込み下さい。
ホームページからの入会申込みはこちら→http://www.mikiroon.com/info.html
詳細は三木労音事務局 TEL 0794-82-9775、またはメールinfo@mikiroon.comまでお問い合わせください。

2026年8月18日火曜日

初めて聴いた衝撃のタンバリンワールド!

お盆も過ぎて、夏の陰りを感じるこの頃(まだまだ暑い日は続きますが)。
学生の皆さんは夏休みも終わりが見えてきて、ブルーになっていませんか?

さて、もう1か月近くが経とうとしていますが、前回例会「あなたの知らないタンバリンの世界 田島隆(タンバリン博士)」を7月26日(日)に開催しました。

その頃はまさに夏真っ盛りでしたが、真夏の暑さに負けないくらい熱い演奏がステージで繰り広げられました。
今回の例会は「タンバリンが主役」という珍しいコンサートでしたが、タイトルの通りタンバリンの固定観念を覆す驚きのライブ!

まずは開場前にロビーで歓迎会を・・・

髪長っ!!
田島さんのTシャツに注目!
宮川さんの衣装にも!!

そしてコンサートが開演!


ステージに登場されていきなり大きなタンバリンの演奏からスタート。
まるで教祖のような風貌に、客席に「今日は一体何が始まったんだ?」と衝撃が走ったようでした。
コンサート前半は舞台に並べられた10種類ぐらいのタンバリンを演奏する、「タンバリンで巡る世界旅行」でしたが、タンバリンの歴史を語る田島隆さんのトーク(しゃべられると親しみやすいトークで皆さん安心されたようでした笑)と、世界各地のタンバリンの祖先といえる楽器を、その地域で伝わるリズムでの演奏、また時に歌も歌われ、その風貌も相まって、時空を超えた異国の旅の気分が味わえました。



前半では客席の皆さんも一緒に手拍子をする場面がありましたが、一味違ったのはトルコやブルガリアの民謡でそれぞれ9拍子、11拍子と、1回聴いただけではとてもできそうもないリズムだったこと!
それが田島さんのマジック?で、何と一瞬で皆さんそれが出来るようになったのです!
ある呪文を唱えながら叩くといとも簡単に!ご自身でも「タンバリン教」と言われていましたが、まさにご利益がありましたね(笑)

前半最後は田島さんが独自にチューンナップしたタンバリン「タジバリン」の独奏で「大きな古時計」。
聴いているとタンバリンの打撃音と一緒にメロディーが聞こえてきて、さらにはタンバリンに棒を突き立ててコントラバスの擦弦のような持続するメロディーが!
休憩では皆さんキツネにつままれたような顔をされていましたよ。


そして後半は白熱する演奏をたっぷりと。
特に三木労音3回目のご出演となったピアニストの宮川真由美さんとの熱いバトル、変幻自在、遊び心満載のパフォーマンスに興奮しました!


ジプシーヴァイオリンの名曲「チャルダッシュ」では、なんとタンバリンがメロディーパートを。音程を変えれるティンパニのような機能を持つタジバリンでの演奏でしたが、細かい装飾音、早いパッセージを瞬間瞬間で音程を合わせていかれるのには脱帽!まさに超絶技巧!

「チャルダッシュ」の時はクラシックの演奏会風で

そして後半炸裂したのは田島さんだけではありません。
三木労音では3度目のステージ出演となられたピアニスト宮川真由美さんも凄かったです!
クラシックからジャズから民族音楽から何でも弾きこなされることも凄いですが、そのピアノプレイが見ていてワクワクするのが本当に素晴らしいです!

立ち上がって弾くうちに・・・
ピアノを離れて踊り出す宮川さん
ズッコケる宮川さん(笑)


前半後半を通して、随所に様々な用意が仕掛けられたコンサートで、最後まで盛り上がって楽しませていただきました!
終演後のアンケートでも「『あなたが知らないタンバリンの世界』というタイトル通りの目を見開かされたコンサートでした」という声がたくさん寄せられましたが、今回の例会も「生で聴いて初めて体験できる衝撃的なライブ」という、三木労音らしい例会になりました。
この魅力をもっとたくさんの方に知ってもらいたいですね!

素晴らしいステージをお届けくださった田島隆さん、宮川真由美さん、そして制作していただいたHarmony Fieldsさんに感謝です!! 

2026年7月13日月曜日

第36回定期総会を開催しました。

梅雨が明けましたね。
例年より10数日早いそうですが、昨年に比べたらまだマシなのでしょうか・・・?
これから暑い夏が始まりますので、くれぐれも体調管理に気をつけましょう!

さて、梅雨明け前の去る7月5日(日)、三木労音の定期総会を開催しました。
今年の総会はいつものように前年度の活動報告、決算報告と今年度の活動方針案を討議し、前年度・今年度それぞれの例会の動画を観て、三木労音で取り上げるアーティストの素晴らしさをみんなで確認しました。

冒頭の会長あいさつでは「平和でないと文化を享受できない」という内容で、日頃モヤモヤしている気持ちを言ってもらったと共感を呼びました。

議長はかりんサークルのFさんで、和やかに進行しました。

今年は会員からの発言の時間を少し多めに取り、数年前に一人で入会され現在はサークルになられたミロサークル(今回初めて名前が付きました)のFさんが「私の車にはあと2人乗れるので、あと2人は増やします」と発言され大きな拍手が沸き、発足時からの会員で多くの会員を増やし、副会長や運営委員も務めてこられたラ・ルピナスサークルのKさんの「私の人生と労音」の発言には、敬意が込められた拍手が起きました。

また議事終了後には、3月の黒坂黒太郎コカリナ例会でステージ共演させていただいた三木コカリナアンサンブルのメンバー9人が例会で披露した「村のかじや」「故郷」に加え「浜千鳥」「エーデルワイス」の4曲を演奏。またそれぞれの曲の演奏前にメンバーの中から3人が代表して一人ずつコカリナに取り組んでの感想などをスピーチし、とても良い場面となりました。

今年度も楽しい活動が展開できることを確信した、定期総会になりました。

2026年6月22日月曜日

【次回例会紹介】ひとつの太鼓から無限に広がるサウンド! これぞまさにタンバリンのパラダイムシフト ― 田島隆 (タンバリン奏者)

次回例会は、世界でも大変珍しいタンバリンの専門家、“タンバリン博士”こと田島隆さんの登場です。
今回のブログでは、田島隆さんへのインタビューをご紹介します。
聞き手 小巻健(三木労音事務局長)
制作協力 ハーモニーフィールズ

田島隆さん



―はじめにタンバリンという楽器について教えていただけますか?

田島隆さん(以下、田島さん) 「タンバリン」と命名されている楽器は、一般的には小学校や幼稚園で使っている、枠に皮が張ってあり、周りに小さいシンバルみたいなものが付いているあの楽器、あとはカラオケとかスナックなどにある皮がついていない輪っかだけの楽器、それと100均などで買えるような子どものおもちゃの楽器、それにもう少し専門的になるとクラシックのオーケストラでのパーカッション打楽器で使われている楽器、僕が思うにはその4種類だと思っています。
しかし世界各地には、同じような枠に皮が張ってある太鼓が古くから存在していて、その起源は紀元前まで遡ります。考古学的記録に初めて登場するものは、紀元前5600年、つまり今から7600年前にチャタル・ヒュユク(現在のトルコ辺りの村)ですが、他にも世界各国の壁画や土偶などに描かれています。またギリシャ神話を始めとする各地の神話にも登場します。
こういった枠に皮が張ってある太鼓を「フレームドラム」と総称しますが、フレームドラムは他の太鼓の起源と言われていて、神事や祭事などに使われていたようです。
初めは枠に皮が張ってあるシンプルなフレームドラムでしたが、打つ事でより響くように共鳴するツールが付き始めました。ある地域は小さなシンバル、ある地域は枠の内側に小さなリングをぶら下げているもの、またある地域では皮の裏に響き線を張ったもの、そしてある地域では両面に皮を張り、中に木の実などを入れたもの・・・地域によって共鳴するツールが少しずつ違いながら発展していきました。
時代が大きく経ち、クラシック音楽がヨーロッパに誕生しますと、モーツァルトの時代辺りから次第に打楽器が登場するようになり、その時にイタリアで伝わってきたタンブレッロやバスク地方のパンデロアという楽器を元にして作られたオーケストラ用の楽器がタンブール・ド・バスク(バスク地方の太鼓)と呼ばれ、それが次第にタンバリンと呼ばれるようになったようです。そしてクラシック音楽でのタンバリンの演奏法はそれまでのような皮の音を響かせる、いわゆる太鼓の様な扱いではなく、皮を強く叩いたりジングルの鳴りを重要視した奏法へと変わっていきました。
そしてヨーロッパのクラシック音楽が全世界に広がっていき、後に日本にも入ってきました。クラシックの音楽と共に多くの楽器も入ってきて、その中でタンバリンは、 学校などの教育用の楽器として広く知られるようになりました。また西洋ではロックやフォークミュージック、日本でもグループサウンズが流行した頃に、歌手が片手にタンバリンを振りながら演奏している光景も良くみられました。その中で、皮の必要性がないということで取り外されます。これがいわゆるカラオケなどで使われる「モンキータンバリン」です。ちなみにこの呼び名は日本のみで、正式名称はヘッドレス・タンバリン(=皮のないタンバリン)です。
最初に言いました「タンバリンは4種類」というのは、このようにクラシック音楽と共に普及した「タンバリン」と名の付く楽器がこれだけということで、世界には「叩く」「小さな太鼓」という意味の名前を持つ太鼓がたくさんあります。
例えばインドやペルシャでは「ダフ」(小さな太鼓、手で持って叩く太鼓の意)、トルコや中東では「ベンディール」(手で持って叩く太鼓)、他にもタンブレッロやタンブーラやタンブロー・・・など無数にあるのですが、全部その語源は「手で持って打つ小さな太鼓」という意味のようですね。本当にどこが発祥か分からないぐらい各地に同じような枠に皮が張ってある太鼓が伝わっていることは、本当に不思議です。

―田島さんはどういう音楽体験を経て、タンバリンに出会われたのでしょうか。

田島さん 実はタンバリンは僕の中ではわりと最近なのです。
最初の音楽体験は、4歳の時のエレクトーンでした。当時エレクトーン奏者だった松田昌さん(注:三木労音では2017年にピアニカ奏者として出演)のコンサートへ親に連れていってもらったことがきっかけでした。当時まだ電子音楽は珍しく、たった一つの箱から低い音や高い音のメロディー、和音、リズム、言ってみればオーケストラのような音を一人で演奏していることにすごく驚き、親に頼んで習わせてもらいました。
エレクトーンというのは、トランペット、バイオリン、チェロ、ギターなどあらゆる種類の楽器の音が入っていて、リズムもサンバとかボサノバとか、いろんなパターンが入っているのですが、次第に今度はひとつひとつの音色に、この楽器はどんな楽器なのだろうと無限に関心が広がっていきました。一方で当時流行っていたテクノポップなどのエレクトリックミュージックにも興味が沸き、とにかく音が出るもの全部に興味があるような子供時代でした。
そして幸運だったことに、親に買ってもらったエレクトーンを家に運んでくれた運送業者の人が、この楽器を練習するのなら録音の仕方を教えてやろうと、ラジカセ二台を使って多重録音(片方のラジカセで最初録音した音を再生しながら演奏し、もう片方のラジカセでそれを録音する)、いわゆるオーバーダビングのやり方を教えてもらい、それを延々とやったら何十人の編成が一人でできるので、もうそれに完全にはまってしまいました。身の回りのいろんなものを叩いてリズムを作って、それをオーバーダビングしたり、自分で歌ったり、ちょっとしたメロディーを作ったり、学校から帰ってきたらひたすら作品作りにいそしんでいました。また近所の水道工事をやっていた人からいらないプラスチックの水道菅をもらってきて、火で炙って(今思えば危険でした)ぐるっと巻いてトランペットみたいな管楽器にして吹いたり、いろんなことをしていました。
それで中学生になった時に吹奏楽部に入って、晴れて本物の管楽器に触れることになり、それから高校までチューバ、クラリネット、トロンボーンと色々やらせてもらいました。そうこうしながらもオーバーダビングによる作品作りの趣味はずっと続いて、いろんな楽器を入れたりしていましたが、高校三年生の時にギターを入れたくなって、夏休みに友達にエレキギターを借りて録音しました。これは面白い楽器やなと思い、一旦返したもののその後ギターにすごくはまっていきました。それまで鍵盤楽器が中心でしたが、ドレミの音が固定されているエレクトーンに対し、ギターはチョーキング(弦を引っ張って音程を変える)やチューニングで音を変えることができる、その時の自分にとっては信じられないくらいの自由度を感じて、そこから急にギタリストに転向していきました。
ギタリストとして活動する間も、ドラム奏者をしたり、曲を作って提供したりと散らかったような状態でしたが、39歳の時、学生時代の友人に見せてもらったアメリカのハードロックバンド「Mr.BIG」のライブビデオを見たことが、大きな転機になりました。
ご存じでしょうか?ギタリストのポール・ギルバートとベーシストのビリー・シーンが電気ドリルの先端にピックを付けてそれぞれギターとベースを演奏するというパフォーマンス。それに衝撃を受けたのです。電気ドリルは日本のマキタ製でした(笑)。これをやってみたいと思いながら、でもマキタのドリルは高いし、ポール・ギルバートはマキタでないとダメと書いてあったし(笑)。悶々としていて、結局買わずに手をドリルみたいに回して、これで何とかなれへんかなと思ったのです(笑)。子供の時に見た「ゲッターロボ」のゲッター2になりきって(笑)。でも最初からそれでギターを弾くと弦に手がこすれて痛そうなので、まずは太鼓で試してみよう、と手にしたのが小学校のタンバリンだったのです。
そうして打ってみたら想像を絶する音が出たのです。いわばドラムのソロでいろんな太鼓を一度にドドドーンと叩いているような音でした。その時に、タンバリンって単純な音しか出ない子供の楽器って思っていたことが覆された、これはひょっとして世界的な大発見じゃないかなと思いました。それで打楽器をやっている知人に見てもらったところ「タンバリンでそんな音や奏法は聞いたことがない。タンバリン専門の奏者になるしかないよ」って言われ、その言葉を真に受けて僕はタンバリン奏者になりました。
さらに、ちょっとドリルみたいにと思っただけで自分の想像を絶する音が出たので、これは相当ポテンシャルの高い楽器かもしれないと。よく見たら太鼓で、かつシンバルがついているから、これドラムセットと同じ音が出せるのじゃないかと思い、自分で打ち方など研究をし始め、それからどんどんとタンバリンにのめり込んで、現在に至っています。


―田島さんは現在、どれくらいの種類のフレームドラムをお持ちですか。

田島さん どうでしょう、100種類以上はありますが、数えきれていません(笑)。
2024年に「世界を巡るタンバリン100」という本を出版したのですが、その時編集者から出版するにあたって100種類のタンバリンを紹介するというコンセプトにしたいと言われ、その時何種類あるか自分で把握していなかったので、もし足りなければ他の人に協力をしてもらって100種類にしましょうと、帰って数えてみたら普通に100を超えて全然大丈夫でした(笑)。逆にこれは入れたいけれど入らないからどっちにしよう、みたいな感じになっちゃって。なので120種類ぐらいは多分ありますね。
それでもまだ私も知らないものもきっとたくさんあるし、知っているけど持っていないものもあります。例えば、フィンランドのサーミ族が使っているあのフレームドラムのように、シャーマンが使っているドラム。そういうのは楽器ではないので、楽器屋さんで売っていないし、その人からもらうわけにはいかない。あと楽器奏者が自分で演奏するために自分で楽器を作る事が結構あり、そういう場合は予備の楽器なんかはもちろんないですし、売るために作っていない。そういう楽器は手に入りにくいのです。また海外の国は、同じ地域でも時代によって国境線が変わり、その都度文化も替わることから、同じ国に何種類も楽器がある場合もあります。
でもたくさん楽器を持っているからといってもあくまで演奏するためであって、コレクターではないです。見た目から全く音が想像できない、またこの音がどうやってこの楽器から出るのか、構造がどうなっているのか、そういう興味から手に入れることはあります。

―どのようにしてそれぞれの楽器の叩き方を習得されたのですか。

田島さん よく「世界中を回って習ったのですか」と聞かれるのですが、世界中も回ってないし、習ってもないです。元々子どもの頃から、習うより自分の中から湧き出てくるものをやると、生意気ながら決めてやってきました。タンバリンをやる中で思ったことは、形や皮の材質などに奏法のヒントが隠されている、特に歴史が古ければ古いほどそれが顕著で、打った時に鳴る音、その鳴らし方から、演奏するうちにだんだん進化していったことに気づくのです。例えばリングがぶら下がっていたら、楽器を倒したらジャンと音が鳴る、揺さぶったらシャンシャンと鳴るとか。何というか、奏法とリンクしているのです。現代の電子楽器は発音と奏法とがリンクしていませんが、太鼓のような原始的な楽器であればあるほど、奏者と作り手が工夫をしながら楽器の形が変化していき、それに伴って奏法も変化し成長していった痕跡があり、そこから奏法を辿ることもある。そうやっていくとほぼ正解というか、間違った方向には行かないですね。
その反対に、この楽器がこうなったら面白いのにな、そんな楽器ってないのかなと探してみて、なかったら自分で作ります。例えば、他の楽器にタンバリンの要素を組み込む、ギターや管楽器にジングル(小さいシンバル)をつけて叩きながら弾く、振りながら吹くとどうなるか(笑)。なんか子どもの時にやっていたことと変わっていませんね(笑)。
先ほどタンバリンでドラムセットみたいな奏法を研究したと言いましたが、タンバリン自体もドラムセットに近づけようと、スネアドラムの響き線を付けて、タムとバスドラムの違いを出すために音の高さを変えられるようにしたり、ハイハットのようにジングルを開け閉めできるスイッチをつけたり・・・そうして出来た楽器が、私の代名詞的な楽器「タジバリン」です。

―田島さんが伝えたいタンバリンの魅力とはどんなところでしょうか。

田島さん 楽器としてはやっぱり何と言っても、一般的に思われているイメージと実際のポテンシャルとのギャップの大きさですよね。多分どんな楽器でもあると思いますが、それがはっきり分かると思います。
タンバリンという楽器は打楽器の奏法の主な3つの奏法「叩く」「振る」「擦る」、この3つの奏法が全部できる楽器、ということが音楽辞典やウィキペディアに書いてあります(笑)。
叩く打楽器は太鼓など、振る打楽器はマラカスなど、擦る打楽器はギロなど・・・と色々ありますが、この奏法がタンバリンひとつで全部できる、しかもそれぞれの奏法を別々にではなく同時にすることができる。片方の手で振りながらもう片方の手で打つ、まあちょっと難しいですけどね。そうしたら複数の人が演奏しているような音になるのです。
それと、タンバリンは素手で音が出る部分に直接触れる打楽器で、皮に触れると皮の音が鳴るし、金属部分に触れると金属の音が鳴る。当たり前ですが、これが精神衛生上とても良いのです(笑)。気持ちいい。バイオリンは弓を介しているし、ギターはもちろん手で弾く部分はありますが、右手だけでなく左手で押さえるなど複雑なところがある、鍵盤楽器はハンマーが叩く・・・その点タンバリンは音を出す動作が身体と直結しているので、気持ちが良いのです。セルフマッサージみたいな感じといえばいいのでしょうか。

―最後に7月26日のコンサートの聞きどころを教えてください。

田島さん チラシのタイトルが「あなたの知らないタンバリンの世界」となっているように、先ほどと重複しますが、一般的にタンバリンの知られている音とはもう全然違う音が聞こえてくる、今聞こえている音は全部タンバリンから出ている音という発見、太鼓の音、シンバルの音はもちろん、他にいろんな音が聞こえますし、その上メロディーも聞こえてくる、それがひとつのタンバリンから聞こえてくるということはぜひ聞いてもらいたいです。ひいては私が最初にタンバリンを叩いた時の驚き、もっと言うとエレクトーンの音を初めて聞いた時のようなひとつの楽器から全部の音が鳴っている不思議さ、そういう感覚を感じてもらえたら嬉しいですね。
プログラムはソロ演奏もやりますが、宮川真由美さんのピアノにもサポートしてもらいます。ピアノとパーカッション、ピアノとドラムなどはよくありますが、ドラムじゃなくてタンバリンでここまで行けますよ、といったところにご期待ください。その中でひとつ演奏する曲を紹介しますと、モンティの「チャルダシュ」を演奏します。この曲は大体バイオリンなどでメロディーを演奏しますが、それをタンバリンでやります。太鼓って普段ほぼ伴奏側ですが、タンバリンがメロディーを奏でて、ピアノに伴奏してもらう、という自分の中でのひとつの夢を披露します。
それと、コンサートはステージで演奏する人、客席で聴く人と分かれているよりも、聴くことは音楽をやっているのと変わらない、いわば聴き手も芸術家であると思っています。だから両方で受け取り合うことができれば音楽はもっと楽しめる。そのために私は演奏をするともいえます。
私がドリルのようにタンバリンを叩いたことで音がこんなに変わるということは、他の楽器、他の道具もちょっと視点を変えれば面白いことになるかもしれない、そんなひとつのきっかけになれば幸いです。


6/8ホテルグランヴィア大阪にて取材



<プロフィール>

田島隆(タンバリン)
世界で最も珍しいタンバリン専門の演奏家。ドラムセットの音やあらゆるパーカッションの音、さらには音階やメロディー演奏が可能なオリジナルタンバリンを演奏し脚光を浴びる。そして世界各国に存在するすべてのタンバリンやフレームドラムを演奏できる日本で唯一の演奏家でもある。
幼少期より管・弦・打・鍵盤楽器を習得し、また作曲もする。その経験を生かし独自の演奏方法や楽器製作など、かつてない方法論で音楽を表現する。そのオリジナルタンバリンと世界のフレームドラムを使い、国内外で演奏する。世界中のフレームドラムを学ぶための教室を各地に持ち、また各国のフレームドラムを作るためのワークショップも行っている。
ワールドフレームドラムフェスティバル「Tamburi Mundi」など海外のフレームドラムフェスティバルに初めて日本人のメンバーとして招待される。
リットーミュージックより出版された世界中のフレームドラムを100種類オールカラーで紹介、動画視聴もできる書籍 「世界を巡るタンバリン100」の著者でもあり、記念カレンダーも販売中。
ウェブサイト https://tazy.jp/

宮川真由美(ピアノ)
3歳より鍵盤楽器に親しむ。大阪音楽大学 器楽学科ピアノ専攻卒業。
クラシックを基礎に、ジャズ、ラテン、邦楽、民族音楽などジャンルを越えた幅広い音楽活動を展開。ライブやコンサート出演のほか、アーティストサポート、作編曲など多方面で活躍している。
躍動感あふれる演奏スタイルから「踊るピアニスト」とも称される。
主な受賞歴に、大阪国際室内楽コンクール(フェスタ部門)銀賞、金沢ジャズコンペティション優勝、奈良大仏フェスティバル グランプリ。
そのほか、ジャズライブや各種イベント、地域コンサートなどに多数出演し、ジャンルを越えて音楽の魅力を伝えている。

三木労音6・7月例会(第213回)
あなたの知らないタンバリンの世界
田島  隆 (タンバリン博士)
2026年7月26日(日)14:00開演
三木市文化会館小ホール
三木労音会員へ入会希望の方は、チラシ裏の入会申込書に会費2か月分(田島隆タンバリン例会から参加希望の方は6・7月分)と入会金(1,000円)を添えて、三木労音会員か事務局までお申し込み下さい。
ホームページからの入会申込みはこちら→http://www.mikiroon.com/info.html
詳細は三木労音事務局 TEL 0794-82-9775、またはメールinfo@mikiroon.comまでお問い合わせください。

2026年6月8日月曜日

チェロと二胡、お二人が紡ぐ音の会話にゆったり聴き入ったひとときでした

6月、梅雨に入りましたね。
水田に並ぶ苗が美しい季節です。

さて、先月行いました三木労音例会「植草ひろみ&鳴尾牧子 チェロと二胡の調和」のご報告です。
西洋の弦楽器・チェロと東洋の弦楽器・二胡の異なる文化背景を持つ2つの楽器が、どのようなハーモニーを奏でられるか、とても楽しみに当日を迎えました。

開場前ロビーにて行いました歓迎会にて

会員の例会スタッフ一同と記念撮影

コンサートが始まると、最初からとても自然な音の調和が。
重厚な和音、そして感情豊かにメロディーを歌い上げるチェロと、繊細な節回しとポルタメントやビブラートが艶やかな二胡が、音楽の中で自然に溶け合います。


お二人がそれぞれに「なるぽん」「ひろみん」と呼び合う仲の良さと、お互いに共通する「クラシックや中国伝統音楽にとどまらない、オリジナリティあふれる音楽活動」が、異なる楽器を自然に結びつけたのではないかなと思います。
コンサートではお互いの作曲作品あり、オペラ曲あり、中国伝統曲あり、と、なかなか他で聴けないプログラムでしたが、中でも平和を祈る「鳥の歌」を、東西で異なる文化の楽器で演奏されたことは象徴的な演目だったように感じました。


二胡とチェロとの、合わせて6本の弦で演奏する「リベルタンゴ」もユニークでした。
それぞれがメロディーと伴奏という役割分担をせず、それぞれが弾くメロディーが絡み合って時にバトルし、時に共に歌い、リズム隊がいない分逆に刺激的なセッションでした。
西洋楽器と東洋楽器ということを忘れて、たっぷり、ゆったり、お二人が紡ぐ音の会話に聴き入ったひとときでした。

アンコールは植草さんのチェロ独奏に合わせて、鳴尾さんが花道から龍を回しながらステージに。鳴尾さんが健康法としてはまっておられる龍舞のパフォーマンスに会場が沸きました。


例会終演後、運営スタッフの有志で植草さん鳴尾さんを囲んで、一休庵にて食事交流を行いました。
植草さん鳴尾さんをはじめ、スタッフの皆さんの感想も聞く楽しいひとときで、なごやかに一日を締めくくりました。
植草さん、鳴尾さん、そしてお二人をつないでくださった中北さん、本当にありがとうございました。
そしてスタッフのみなさんもお疲れ様でした。

2026年4月27日月曜日

【次回例会紹介】音楽、そして人間性が共鳴し合う ― 6本の弦から生まれる、愛と信頼のハーモニー ― 植草ひろみ(チェロ奏者)& 鳴尾牧子(二胡奏者) 

次回例会は、チェリストの植草ひろみさんと、二胡奏者の鳴尾牧子さんのお二人の名手による、〝東西の弦楽器〟のコラボレーションのステージです。
今回のブログでは、お二人へのインタビューをご紹介します。
聞き手 小巻健(三木労音事務局長)

写真左:植草ひろみさん、右:鳴尾牧子さん



植草ひろみさん、鳴尾牧子さん、楽器も異なるお二人を結びつけたのは、西宮市在住の中北富代さんという方。鳴尾さんの二胡の生徒でもあり、自身のお身内の方を通じて植草さんを知りファンになられ、いつかこのお二人で演奏を、と夢見るようになられたのは随分前からだったとのこと。
それが実現したのが昨年2025年1月。中北さんが中心となり神戸で開催された阪神・淡路大震災30年メモリアルコンサートの時でした。震災で娘さんを亡くされた中北さんは、亡き娘さんに後押しされるように、これまでに外国語大学受験、ドキュメンタリー映画製作など、様々な挑戦をされてきました。そして昨年開催されたメモリアルコンサートでは、中北さんの思いから新たな素敵なデュオが誕生。それが今回、三木労音例会にご登場いただくお二人です。
先日4月11日には神戸市灘区の音楽ホール&ギャラリー里夢でCD発売記念コンサートを開催。コンサート終了後にお二人にお話を伺いました。


―植草さん、鳴尾さん、お二人は昨年初めて一緒に演奏されたとは思えないほどとても仲が良い印象ですが、お二人がそれぞれ相手のお人柄や楽器に対してどんな魅力を感じておられますか?

鳴尾牧子さん(以下、鳴尾さん) 最初は中北さんや他の方から「植草さんというすごいチェリストがいる」と聞いていたので、初めてお会いした時はちょっと緊張しましたが、実際はすごくお茶目な方。本当はすごい演奏や経歴の持ち主ということを忘れさせてリラックスさせてくれるお茶目なお姉さんです。
チェロの音色はものすごく響きが深く、カッコいい。その響きに合わせて弾ける幸せ!響いている幸せを噛みしめながら、「自分も擦弦楽器をやっててよかったな」という気持ちで演奏しています。

植草ひろみさん(以下、植草さん) 私がどうも年上らしいのですが(笑)、鳴尾さんのほうが全然「ゴッド姉ちゃん」という感じでね(笑)。「ついてくよ」みたいな(笑)。鳴尾さんの哀愁を帯びた、心の底から出てくるようなメロディについていく心地よさに醍醐味がありますね。

―ちなみにお二人それぞれが「なるぽん」「ひろみん」と呼び合っているのもいいですね。

鳴尾さん 私は普段周りの方から「まきぽん」と呼ばれているのですが(笑)。

植草さん 私、間違えちゃうんです(笑)。皆さんが「まきぽん」って呼んでいらっしゃると分かっていながら、なぜか私の中では「なるぽん」になっちゃう(笑)。

鳴尾さん 私は中北さんが「ひろみん」って呼ばれているのでつい(笑)。それを許してくれる心の広さが・・・(涙)。

―お二人の親密さが音楽にも表れていてすごくリラックスして聴けました。楽器については西洋と東洋との楽器の響きの違いなどもあると思いますが、合わせる時にどのような工夫をされていますか?

植草さん まず音響面では、多少チェロの方が響きが大きいので、ステージで二人が並んだ時により共鳴する場所を見つけるために、リハーサルの時に少しずつ場所をずらしながら探します。
アレンジについては私が担当しています。鳴尾さんも曲を書かれますし、アレンジもたくさんなさるのですが、「チェロの奏法は奏者じゃないとわからない」と私に任せてくれています。アレンジでは二人の役割が、例えばピアノで言うと右手と左手のように、メロディーと伴奏というふうにならないようにしています。二人のソリストがひとつのサウンドを作り上げることを目指しています。

鳴尾さん それは相手が二胡だと本当はすごく難しいことだと思います。二胡は和音も出ない、音域もバイオリンと比べて狭い、基本的にはメロディーしかできないような楽器なのに、それを感じさせず、チェロがメロディーにまわった時も物足りなくならない、かつ私もそれなりに弾いていて気持ちいい伴奏や裏メロディーを作ってくれるというのは、実はすごく難しいことだと思っています。

―お二人は、昨年1月の阪神・淡路大震災30年メモリアルコンサートでの共演以来、6月の移情閣コンサート、8月の姫路労音会館コンサートと演奏を重ねて来られ、今年3月にはCD『ゆりかご/一番星』を発売、記念コンサートを千葉と神戸で開催されました。演奏を重ねて来られてどのようなことを感じておられますか?

鳴尾さん 曲に慣れてきて、どんどん感情移入できるようになってきました。演奏するのがどんどん楽しくなっています。

植草さん 初めはどんな感じになるだろうと手探りでしたが、今では私たちじゃなければ作れないサウンドが出来てきましたので、いっぱい聴いてもらいたいです。
昨年1月のメモリアルコンサートで初めて共演をさせてもらった時、帰り際になるぽんから「これ中国で買ってきたチェロの楽譜だけど、あげる」と、音源付きのメロディー譜をもらったのですが(珍しくて嬉しかったです)、6月の移情閣では絶対この曲をやろう、とそこからアイデアが色々と湧いてきました。この他にも何かしらの導きがあって次のアイデアが湧いてくる、というような進行を、これまで私たちはしてきました。

鳴尾さん ひろみんはクラシックの演奏家としても物凄いと思うのですが、それ以外の引き出しもすごく多くて。二胡を二胡らしく弾いても、それを面白がってさらに盛り上げてくれるところが一緒に演奏してもすごくやりやすいです。普段クラシックだったら「音外したらあかんのとちゃうか」「こんなえげつないポルタメント(笑)かけたら引かれるんちゃうか」など思うことが、意外にすっと引き取ってくれるというか、一緒にやってくれる感じが嬉しい。
植草さん 知ってる?なるぽんの二胡の最後の音、ビブラートの速度まで見て合わせてるよ。

鳴尾さん あ、そうなんや。私も「チェロのビブラートってこんな感じかな」って合わせるけど、逆にこっちに合わせてくれてるのですね。
一緒に演奏させてもらっているうちに、自分の弾き方がちょっとずつ変わってきているのを感じます。そういった新しい発見をもらえるのも楽しく、いいご縁をいただいたと思っています。

―CD『ゆりかご/一番星』についてお聞きしたいのですが、この企画はいつ湧いたのですか?

CD「ゆりかご 一番星」植草ひろみ 鳴尾牧子
※画像をクリックするとCD紹介のページへ移動します。

植草さん 去年の9月に突然鳴尾さんが東京に来ると分かった時に「今録るしかない」と、急遽レコーディングが決まりました。その前の8月に姫路労音さんでコンサートをさせていただきレパートリーが増えていたこともあり、私達が残したいと思ったのと、中北さんからも残したいとおっしゃってくださったタイミングが合致しました。
ちなみになるぽんが来るって知ったのは一週間ほど前、それもFacebookに書いてあるのを見て(笑)。でも、事が運ぶ時ってそういうものなんだなって思っています。みんなの思いがあっという間に形になる時というのは、何かが背中を押してくれていると感じています。それは今回は中北さんの亡くなられた娘さんの百合さんだったのでしょう。そういうことはこれまでも多かったし、私は割とそういう直感で動きます。

―最後に5/24への抱負を一言ずつお願いします。

鳴尾さん 前回出演させていただいた時は二胡と揚琴で合わせて150本の弦でお届けしましたが、今回は二胡が2本とチェロが4本の合わせて6本。弦の数はすごく少ないですけど、広い会場いっぱいに響かせたいと思います。私達二人の共鳴を皆さんに聴いていただきたいと思います。

植草さん たくさんの人数で演奏することの対極、音の数を減らして減らして、これ以上減らせないという究極の組み合わせを、二人で響かせたいと思います。

神戸・里夢のコンサート終了後に



植草ひろみ(チェロ) プロフィール
東京藝術大学を卒業後、1987年から10年間新日本フィルハーモニー交響楽団に在籍し、その後14年間聖徳大学音楽学部で後進の指導にあたった。
クラシック、タンゴ、自作曲を取り入れたCDと配信アルバムを多数リリース、またフランスやクロアチアでもコンサートを行った。
中村由利子氏とラジオ「今宵もリベロバ」、松野迅氏とラジオ「ピースリー・ミュージック」のパーソナリティを務めた。
ABC/TBSラジオ「Changeの瞬間~がんサバイバーストーリー」では自作曲がオープニング曲として使用されるなど、作曲活動にも力を注いでいる。

鳴尾牧子(二胡) プロフィール
日本二胡界の草分けとして、伝統を踏まえつつ独自の感性で演奏を展開。
06年第1回中国音楽国際コンクールから22年敦煌杯まで国内外のコンクールで優勝。
鳴尾弦楽団主宰。 Xeno Quartet、KIKKA Ensembleリーダー。
音楽クリエーターとして放送BGM等に楽曲を提供。
伝統楽器でありながら現在進行形で発展を続ける現代の二胡を発信、 新時代を拓く実験的な試みを行う。
日本二胡振興会理事。 公益財団法人孫中山記念会理事。

三木労音4・5月例会(第212回)
植草ひろみ&鳴尾牧子 チェロと二胡の調和~東西の弦が織りなす響宴~
2026年5月24日(日)14:00開演
三木市文化会館小ホール
三木労音会員へ入会希望の方は、チラシ裏の入会申込書に会費2か月分(植草ひろみ&鳴尾牧子例会から参加希望の方は4・5月分)と入会金(1,000円)を添えて、三木労音会員か事務局までお申し込み下さい。
ホームページからの入会申込みはこちら→http://www.mikiroon.com/info.html
詳細は三木労音事務局 TEL 0794-82-9775、またはメールinfo@mikiroon.comまでお問い合わせください。

2026年4月21日火曜日

爽やかなコカリナの木の音色と、包み込まれるような歌声のひとときでした

4月も半ばを過ぎました。まだ春だというのに今日の日中は夏のような暑さでしたね。
今年の夏はどうなることやら・・・😓

さて、まだ桜も咲きかけの頃だった先月3月29日(日)に、三木労音例会「黒坂黒太郎 コカリナとうたのコンサート」を開催しました。
黒坂さんは元々フォークシンガーとして全国を回っておられ、30年くらい前にコカリナを考案されてからはコカリナ奏者として様々な演奏活動を展開してこられています。
三木労音でもかなり以前から関心を持っていたのですが、ようやく今回初めてご出演いただく機会を作ることができました。

写真に大勢写っている白黒の服装の方々は、今回共演していただいた関西コカリナアンサンブルの皆さんと、今回共演させていただくために結成した地元メンバーの三木コカリナアンサンブルのみなさんです。

せっかく黒坂さんにご出演いただくのに、地名に「木」が付く三木の市民としては、木でできたコカリナを吹かない訳にはいかない(?)と、「地元メンバーによるコカリナアンサンブルで黒坂さんとステージ共演」というアイデアを黒坂さんに提案、承諾をいただき、昨年末から準備を始めました。
コカリナはリコーダーのように吹けばとりあえず音は出る楽器ですが、独特の運指と音程を綺麗に取るには難しい部分が多くあります。
まずは簡単なメロディーのものをと「故郷」と「村の鍛冶屋」(三木市の第二市歌的)を選び、昔コカリナを買っていたのに寝かせてしまっている人、また新たに楽器購入希望者と参加を募ったところ、まずは15名ほどが集まりました。

最初に関西コカリナアンサンブルから3名の方々に指導にお越しいただき、手ほどきを受けました。
指導に熱心についていく皆さん

その後、三木労音事務所にて皆さんそれぞれの都合に合わせて練習に参加できるよう、全20回の自主練習会を行い、少ない時で3~4名、多い時で10名ほどが、それぞれの練習会に集まり練習しました。
また、途中でサークルフェスティバルやうたごえ喫茶で中間発表も行い、少しずつ自信をつけながら当日に向けて準備を進めていきました。

そしていよいよやってきた例会日。
前日には三木市にやってこられた黒坂黒太郎さんご一行を、インタビューでお話する中で話題になった「コカリナ制作に欠かせない素晴らしい大工道具」を見ていただくために、三木市立金物資料館へご案内。
時代ごとに変わっていった大工道具の歴史をご覧いただくことができました。

当日は本番前にコカリナアンサンブルとのリハーサルをステージで行いましたが、そこで初めて関西コカリナアンサンブルの皆さん(26名)の演奏を聴き、またステージで一緒に合わせてもらい、三木のメンバー一同大感激。
リハーサルの後には、黒坂さん矢口さん新倉さん、そして関西コカリナアンサンブルの皆さんのささやかな歓迎会を行いました。
会長からの歓迎の挨拶

そしてついにコンサートが開演。
1部は黒坂さん矢口さん新倉さんのステージから始まりました。
コカリナは初めての三木労音会員の皆さんに、まずはコカリナの説明からしてくださった黒坂黒太郎さん。

そしてソプラノからコントラバスまで様々なコカリナを使いながら、その音色の素晴らしさを存分に披露してくださりました。
ソプラノコカリナは本当によく通る鳥のさえずりのような愛らしく艶やかな響き、そしてコントラバスコカリナは森の奥深くから聞こえてくるような深い響き。
素朴ながら心に響くその音色に魅了されました。

矢口周美さんの歌声は、コカリナの音色に寄り添い、まるで歌詞のないコカリナの思いを代弁しているかのようでした。
コカリナの音色と相まって、矢口さんの歌声にも魅了されました。

ピアニストの新倉一梓さんは近年の黒坂さんのコンサートには欠かせない存在で、伴奏、そしてアレンジにと、その音楽を支えておられます。

そして2部の最初に、コカリナアンサンブルの皆さんが勢揃い。
黒坂さんの指揮、新倉さんの伴奏で『村の鍛冶屋』『故郷』の2曲を合奏しました。
3列のうち最前列が三木のメンバー(14名)でしたが、練習の甲斐もあり皆さん堂々と演奏されました。

その後関西コカリナアンサンブルだけで2曲演奏していただきました。
2019年に結成され、5月に3回目の定期演奏会を控えられているだけあって、コカリナ合奏の魅力が存分に感じられる素晴らしい演奏でした。

その後は再び黒坂さん矢口さん新倉さんのステージに。

黒坂さん達は演奏活動をされる中で様々な人やコカリナの「木」との出会いがあり、その思いを受け継いて演奏されることもしばしば。
そんなひとつが、広島の被爆樹から作られたコカリナです。
コンサートの最後でその被爆樹コカリナを演奏されましたが、広島の高校生から託された被爆樹が、何ともいえない音色を奏でる楽器に生まれ変わり、黒坂さんの作曲されたメロディーとも相まって、被爆した人々の無念を訴えるような印象深い音色でした。
コカリナは楽器の成り立ちからその音色を聞くだけで、木や森、そして大自然からのメッセージが聞こえてくるような楽器です。
無用な自然破壊、そしてその最たるものが戦争。コカリナの穏やかな音色を聴いていると、それらへの静かなプロテストのようにも思えてきました。
温かな音色、歌声、そしてメッセージが伝わってくる、とっても素敵なコンサートでした。

コンサート終演後は、黒坂さん達を囲んで、関西コカリナアンサンブルメンバーと三木のメンバーとで文化会館B1レストラン夢郷にて打ち上げを行いました。
黒坂さん矢口さん、また関西コカリナアンサンブルメンバーからも三木のメンバーの演奏を褒めていただき、また今回コカリナ演奏、アンサンブルの魅力を教えていただいたことで、三木の皆さんもヤル気がムクムクと沸いてきました。このまま終わるということはないでしょう。

今回の例会を通じて、このような素晴らしい機会を持てたことに、コカリナ創始者でご出演いただいた黒坂さんをはじめ、それをつないできてくださった方々、協力くださった皆さんに心より感謝します!

当日のコカリナアンサンブル共演の模様は、黒坂さんのYouYubeチャンネル「がんばろう人類!コカリナ放送局」でも紹介していただきました。