次回例会は、三木労音28年ぶり3度目のご出演となる、シャンソン歌手の島本弘子さんをお迎えします。
今回のブログでは、島本弘子さんへのインタビューをご紹介します。
聞き手 小巻健(三木労音事務局長)
平位実千代(三木労音事務局)
今回のブログでは、島本弘子さんへのインタビューをご紹介します。
聞き手 小巻健(三木労音事務局長)
平位実千代(三木労音事務局)
島本弘子さん
―島本さんがシャンソンに出会われたきっかけ、そしてシャンソン歌手になろうと思われた理由をお聞かせ下さい。
島本弘子さん(以下、島本さん) 私が子どもの頃はまだ戦後まもない貧しい時代でした。ピアノが好きなものの親に習わせてほしいとも言いだせず・・・そうするうちに高校生の時に演劇コンクールで特別賞をいただき、それをきっかけに、何か表現に関わる仕事に携わりたいと思うようになりました。
大学に入学し、演劇部に入り浸りの毎日の中で、芝居をやりたいという気持ちが強くなり、1、2年自分の気持ちを見つめた後に大学を中退し、劇団に入りました。
劇団の活動をしていた25歳の時、シャンソン好きの友人が私にジュリエット・グレコ、ジルベール・ベコー、越路吹雪さんなどのレコードをたくさん貸してくれました。それまで全然知らなかったシャンソンをそこで初めて知ることになり、メロディーの素晴らしさもさることながら、詞の内容が本当に奥深く、素晴らしいと感動しました。早速私も歌いたいと思い習いに行きました。あの「さとうきび畑」を作った寺島尚彦さんのところにも何度かレッスンに行ったこともあります。
その頃、劇団で小劇場の公演もやっており、芝居の幕間にギターの弾き語りで歌うことがありました。周りから褒められたりする中で、歌なら芝居と違いたった一人でもできるな、こちらのほうが自分の性格に合っているなと思うようになり、30歳の時に、もう歌手になろうと思い、そこで歌手に転向しました。
劇団の活動をしていた25歳の時、シャンソン好きの友人が私にジュリエット・グレコ、ジルベール・ベコー、越路吹雪さんなどのレコードをたくさん貸してくれました。それまで全然知らなかったシャンソンをそこで初めて知ることになり、メロディーの素晴らしさもさることながら、詞の内容が本当に奥深く、素晴らしいと感動しました。早速私も歌いたいと思い習いに行きました。あの「さとうきび畑」を作った寺島尚彦さんのところにも何度かレッスンに行ったこともあります。
その頃、劇団で小劇場の公演もやっており、芝居の幕間にギターの弾き語りで歌うことがありました。周りから褒められたりする中で、歌なら芝居と違いたった一人でもできるな、こちらのほうが自分の性格に合っているなと思うようになり、30歳の時に、もう歌手になろうと思い、そこで歌手に転向しました。
―シャンソンの特徴はどのような点でしょうか。
島本さん 「シャンソンは3分間のドラマ」と言われるほどドラマ性が強く、1曲の中でもメロディーの部分とともに、語りの部分が必ずと言っていいほど入っているのが特徴です。
ですので、歌うこと以外に非常に芝居、朗読、語りの要素が必要となってきます。
そういうところもあり、芝居をやるのもシャンソンを歌うのも、私の中では何の矛盾もありませんでした。もちろん中身は違いますけれど、10年間やってきた芝居の経験も活かせますし、歌は元々好きでしたので。
―島本さんが舞台に立たれる際に大切にされていることをお聞かせ下さい。
島本さん ステージでは「伝える」ということをとても大切にしております。今自分の口に出して発した言葉、歌詞がちゃんとお客様に伝わっているかなと、それを反芻しながら、客席にいるお客様一人一人に語りかけるつもりで歌っています。
そのため作品は必ず日本語で歌います。シャンソンはフランス語の「歌」という意味で、原曲は当然フランス語ですが、日本で歌われる際には日本語訳詞で歌われます。これが大変なのですが、いくら曲が良くても訳詞の内容がピンとこないということもあります。そんな時は、私の演出を担当して頂いていたアン・あんどう氏(作詞家、構成・演出家。故人)や、矢田部道一氏(シャンソン歌手、作詞家。故人)によく頼んでおりまして、私のために作っていただいた訳詞も20曲ぐらいあります。それらを含めて既存の訳詞の中から、自分にいいなと思うものを今まで歌い続けてきました。
本番前のリハーサルは必ず本番と同じ通りに行います。今は足腰が悪いので椅子に座って歌いますけれど、声を出すことについては今も全く平気です。出せば出すほど声は出てきます。
―島本さんといえば反戦や平和をテーマにした歌が印象的ですが、その原点の思いをお聞かせ下さい。
島本さん 私は1940年生まれですので、多少なりとも戦争を体験しております。幼少の頃は京都でしたのでそんなに戦災には遭わなかったですが、やはり経験した人間ですので、そのことは何が何でも伝えなければならないという気持ちがあります。
今も戦争ほど非人道的なものは絶対ないと思っておりますので、現在のロシアのウクライナ侵攻にしても、イスラエルのガザ侵攻にしても、本当に憤りを感じています。一日も早く戦争が終わることを心から願っております。
―50年以上にわたり長く歌手活動を続けていらっしゃいますが、その中で得られた思い、また今のご境地をお聞かせ下さい。
島本さん 50年以上も続けてこられた仕事に巡り合えたことは、本当に幸せなことだと思っております。今後も声と身体が続く限り少しでも長く歌い続けたいと思っています。昔と今と舞台に立つ時の気持ちは全く変わっておりません。
これまで各地で労音のステージに立ってまいりましたが、労音のお客様はとても熱心で、私大好きなのですよ。できることなら毎回でも、どこへでも出ていきたい気持ちです。
―4月14日の三木労音例会にむけて、会員の皆さんへメッセージをお願いします。
島本さん 今回初めてシャンソンをお聞きになる方にも、シャンソンの素晴らしさを分かっていただけるように、私も一生懸命丁寧に歌いたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
(2024年3月2日 電話にてインタビュー取材)
島本弘子 プロフィール
京都生まれ。京都教育大学を中退。新劇を志して上京。
舞台芸術学院を卒業後、劇団「新劇場」を経て、シャンソンを宇井あきら氏に師事。
1975年、東京厚生年金ホールで第一回リサイタルを開き、以後、各地でリサイタルを催す。現在、東京では春と秋の2回(春は小金井宮地楽器大ホール、秋は大手町よみうりホール)のリサイタル、そして京都では毎年、11月に新・都ホテルでディナーショーを開催している。
“人生を、愛を、自由を、人間らしく生きる喜びを”、これは島本弘子が一貫して追い求めてきたテーマです。
1994年秋のリサイタルで文化庁芸術祭賞を受賞(越路吹雪氏、深緑夏代氏に続きシャンソン界では3人目の受賞です)。
これまで6枚のCDをリリース。2020年には歌手生活50周年を迎え、現在も精力的に活躍中。
ピアノ伴奏 にしかわまこと プロフィール
大阪教育大学特設課程音楽科ピアノ専攻在学時より、ポピュラー音楽の研修を重ね、同大学中退後演奏活動に入る。
現在は主にシャンソンの分野において伴奏ピアニストとして演奏に携わる傍ら、編曲・録音などの活動も行っている。
立川清登、ボニー・ジャックス、伊東ゆかり、北村英治、紙ふうせん、坂本スミ子各氏のサポートメンバーピアニストとして活躍。
三木労音4・5月例会(第200回)
島本弘子 シャンソンリサイタル2024
2024年4月14日(日)15:00開演
三木市文化会館小ホール
三木労音会員へ入会希望の方は、チラシ裏の入会申込書に会費2か月分(島本弘子例会から参加希望の方は4・5月分)と入会金(1,000円)を添えて、三木労音会員か事務局までお申し込み下さい。
ホームページからの入会申込みはこちら→http://www.mikiroon.com/info.html
詳細は三木労音事務局 TEL 0794-82-9775、またはメールinfo@mikiroon.comまでお問い合わせください。
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