次回例会は、国内外の第一線でご活躍されている津軽三味線奏者・浅野祥さんの登場です。
今回のブログでは、浅野祥さんへのインタビューをご紹介します。
聞き手 小巻健(三木労音事務局長)
浅野祥さん
―浅野さんが津軽三味線を始められたきっかけは、お祖父さんの三味線だったそうですね。
浅野祥さん(以下、浅野さん) はい。祖父は大工の棟梁で、毎日朝から晩まで外で仕事をして、帰ってきて趣味の津軽三味線を弾いて、お風呂に入ると気持ちよさそうに民謡を歌う、そんな人でしたので、子どもの頃私も祖父と同居していましたが、家の中は常に民謡や三味線の音がしているという環境でした。
私が三味線をするようになると、祖父は「とにかく楽しくやりなさい」と。とはいえ、コンテストに挑戦するようになると、時に練習が嫌だと感じることもあり、そんな時祖父は、「じゃあ今日は1分だけでいいから一緒にやろう」と言って三味線に向かわせてくれました。そうして一旦弾きはじめると、気がついたら6時間ぐらい経っているのですけど(笑)。今思えばそうやってうまく導いてくれていました。
あともう一つ、「芸は身を助ける」ということもよく言われていました。子どもの頃はよく意味が分からなかったのですけれど、今になると三味線を弾いていることで世界中の色んな人と出会えましたので、三味線をやっていて良かったなと思います。
そんな祖父でしたが、大会三連覇を前に60代で他界しました。もし今、祖父に声をかけるとしたら「おかげさまで楽しくずっと弾いてるよ」と言いたいですね。
―浅野さんは海外での演奏機会も多いですが、海外で演奏したいと思うようになったきっかけ、また実際に演奏して気づかれたことを教えてください。
浅野さん 小学生の頃、自分でテーマを見つけてそれについて調べていくという授業があり、私は世界の戦争・紛争について調べました。その時に、被害を受けている人々に三味線を聞いてもらって癒しを届けたいなと思い、それが初めて海外の人に三味線を聞いてもらいたいと思うようになった時でした。
戦争について関心を持ったのは、前述の祖父から戦争の話を何度も聞かせてもらったことです。私の出身の仙台は、太平洋戦争の時に「仙台大空襲」という、東北の中で最も空襲の被害を受けた土地で、祖父もそれを経験しました。
実際に海外で演奏したのは、デビュー後にアメリカのワシントンDCにある「ケネディセンター」という、音楽家にとって登竜門のようなコンサートホール、そこで演奏したのが初めてでした。アメリカの聴衆は、三味線に対し無垢な状態で聴いてくださいましたが、演奏後スタンディングオベーションをいただき、そのストレートな反応にすごく驚いて、三味線という楽器、音は人に訴えかける力がすごくあるのだろうなと漠然と感じました。
私が10代の頃、三味線をやっているというと周りから奇異の目で見られがちだったのですが、心が折れることなく、自分の演奏をただ一生懸命届ければいいんだという考え方になれたのは、そのアメリカでのコンサートがとても大きな影響を及ぼしているなと思います。
―東日本大震災をきっかけに変化されたことがあったそうですね。
浅野さん 東日本大震災が起きたのは私が21歳の時、デビューして4年目くらいの時でした。それまではありがたいことに膨大な数のコンサートを行っていたのですが、東日本大震災が起きて、その流れがパタッと断ち切れ、一旦ゼロに戻りました。そこで僕は何のために、何がやりたくて頑張っていたのだったかと今一度心に問い、ショーアップされた三味線のコンサートだけでなく、今目の前にいる一人を喜ばせたい、そういう気持ちになれたことは、今思えば現在の演奏活動につながる大きな分岐点だったなと思います。
また震災で仙台の実家が全壊したのですが、その家は大工だった祖父が自分で建てた家だったので、ただ廃棄処分されるのが嫌で、床柱から三味線を2挺作り、今でも時として使っています。
―浅野さんは津軽三味線演奏の他に民謡も歌われますが、民謡の魅力とは?
浅野さん 私は楽器の音だけで何かを伝えるということに特化してやってきましたが、一方で「人の声」が持つパワー、何かを伝えたい時に、楽器を演奏するよりも声で伝えた方が、明らかに伝わるスピードも深さも違うということを感じるようになり、自分でも歌うようになりました。
日本の民謡の面白さは、一つはその歌が生まれた土地の風土などが歌になって残っているということです。その土地の人々の気風なども歌として残っているものもあり、世界的に見てもここまで地域ごとに豊富に残っていることは珍しいそうです。今、グローバル化が良しとされ、インターネットでいつでも地球の裏側の情報が得られる時代ですけれども、ここに至るまでのそれぞれの地域での人々の歩みというのは、ネットや教科書で知るだけでなく、伝わってきた歌を聴くことでより身近に親しみをもって感じ、感謝する、そういう部分を僕は大切に歌って伝えていきたいです。
今、小学校公演に行くと、6年生でも東日本大震災を知らないくらい時が経ちましたが、あの時仮設住宅を100軒ぐらい回った時に聞かせてもらったお話は、また起り得るものなので、未来に教訓として伝えていくという点でも、民謡はその手段としても優れていると僕は思っています。
また、民謡という音楽を残していきたい、そのためには時代に合った進化をしていかないといけないと思い、ソロ以外に「MIKAGE PROJECT」という若手邦楽器3人によるユニットで、民謡を現代のサウンドで再構築する試みをしています。
民謡もその昔は、歌い手が結構自由に独自のアレンジをして進化し続けてきたのですが、昭和の後期ぐらいからそれがピタッと止まった。コンクール文化が生まれたことで、ここの節は何回回してとか、そういう教則本が出たことで型が決まってしまい、それ以外の歌い方をした人、個性を出した人が排除されていった時代が続きました。本来、民謡というのは自由なはず、民の歌ですから。
私たちはJ-POPを聞いて育ってきた今の30~40代の方々に向けてサウンドの入口を広げて、どこからでも入ってきて下さいねという気持ちで活動を展開しています。
―津軽三味線の大切にしたい部分は?
浅野さん シンプルに言うと音色です。私は津軽三味線の音色がとにかく好きで、祖父の津軽三味線によって三味線の音色にズドーンと心を射抜かれた自分がいたので、その感動は三味線を弾いている限りいろんな方に届けたいですね。
その上でプロの演奏家としては、やっぱり自分が一番納得する音色を追求したい。それは楽器職人さんとも相談しながら、しかし一方的に職人に頼るでなく、奏者としては撥の厚みや当て方、角度などを研究し、最高の楽器から最高の音を出す努力を、大切にしています。
私は津軽三味線の音色の中でも「美しい弱音」が何より好きで、3枚目のアルバム『BELIEVE』をフランスのお城で録音した際、日本で弾くのと同じようにバシバシ叩いていると、石造りの壁に反響しすぎてメロディーがまったく分からず撥の音しか聞こえない(笑)、その時にやっぱり津軽三味線も弦楽器なのだから、メロディーを届けたいと思い、色々な奏法や音色を編み出したのがそのきっかけでした。
―他のジャンル、楽器とのコラボレーションも多く経験されていますが、そこからどのようなことを得られましたか?
浅野さん 津軽三味線は基本的に津軽の民謡を弾く楽器で、そこを突き詰めていくと津軽の音階でしか音楽を奏でられません。例えばジャズとやるのだったらジャズの音階やセオリーをしっかり勉強して、サルサをやるならサルサのリズムを一から勉強して、他ジャンルとコラボレーションする時にはそのように向き合っています。そうすると、例えば三味線は基本的に人差し指、中指、薬指の3本しか使わないですが、ジャズの音階を弾くためには小指を使わないといけない、またハープと合わせる時にはどうすれば津軽三味線の強めの音とハープが交わるのかと撥の当て方を変える、そんな風にいろんなことをやっていくと、逆にそれらの経験を持って津軽じょんがら節を弾くと、これは間違いなく自分だけのじょんがら節になると思いました。いろんなフィールドで様々ことを吸収して、それらをじょんがら節に還元したい、そこは常に意識していますね。おそらくそれを最初に実践したのが高橋竹山さん(初代)ではないでしょうか。当時は突拍子もない演奏と思われたと思いますが、それが津軽三味線の歴史の分岐点だったわけです。私もそのような創作的な音楽家でいたいし、伝統音楽を弾いているからこそ、一歩その型を破った新しいスタイルというものを生み出していきたいと強く思っています。
―影響を受けたアーティストを教えてください。
浅野さん 幅広く言うとフォークシンガーですね。僕がとても好きだったのは井上陽水さん、泉谷(しげる)さん、三上寛さんなど。あとは日本以外ではカントリー&ウエスタンのジョニー・キャッシュ。とにかく声とギター1本で観客を沸かせられるという、そこに憧れました。デビューした時は、上妻宏光さんとか吉田兄弟さんのようにバンドを従えてツアーをしたい思いもありましたが、そこをぐっとこらえて、まずは一人で90分なり2時間なりを、目の前のお客様を楽しませられる底力をつけようと思いました。それが出来るようになればバンドを従えたらより楽しいライブができるぞと、なぜか10代の時にそう思いました。
さらに幅広く言うと、マイケル・ジャクソンが僕の中でのバイブルです。彼の音楽ももちろん大好きなのですけれど、あのカリスマ性。後ろに従えているダンサーは世界各国から集めた一流の人達なんだろうけれど、真ん中で踊っているマイケルが一番観客の目を弾くというあのカリスマ性とステージング、あの感じがとても好きです。私も今では一流のゲストを迎えてのコンサートも行いますが、その人達に呑まれず常に自分が音楽を仕切るという時は、マイケルの姿を思い出しています。
―12月1日の三木労音例会は、どんなコンサートになりますか?
浅野さん もちろんコンサートでは津軽三味線のすべてを聞いていただきたいです。あの津軽らしさ、他の楽器には決して持ち合わせていない、津軽三味線だからこその音色、曲をたっぷり演奏します。と言うと、堅苦しそうと思われる方ももしかしたらおられると思いますが、初めて聴く方でもとても楽しめる、多分聞いたことのない津軽三味線のコンサートであることは間違いないです。
あと、津軽三味線は半分弦楽器、半分打楽器の楽器だと思っています。リズム感が命みたいな部分と、一方で小川が流れるような清らかな音色というのも実は持っている楽器で、それは津軽の人達の哀愁にも起因しているのかもしれません。とにかくその音色の幅広さというところにもぜひ注目してもらいたいです。
最近、日本のアニメが世界中で流行っていますが、そんなアニメにも津軽三味線の音色が結構使われています。私も今『推しの子』という作品で弾いていますが、そんなふうに知らず知らずのうちに耳にしている津軽三味線という楽器を、ぜひ目でも見に来て、楽しんでいただきたい。
民謡や三味線を全く知らない方でもきっと楽しめるステージになると思います。そこはご心配なく(笑)来ていただきたいです。
(このインタビューは浅野祥さんのご協力をいただき、9月17日にZoomにて実施しました。)
浅野 祥 プロフィール
宮城県仙台市出身|1990年3月2日生まれ
仙台第一高等学校|慶應義塾大学 卒業
祖父の影響により、3歳で和太鼓、5歳で津軽三味線を始める。
その後、三絃小田島流 二代目小田島徳旺氏に師事。
7歳の時、青森県弘前市で開催される津軽三味線全国大会に最年少出場し、翌年から各級の最年少優勝記録を次々と塗り替える。
2004年 津軽三味線全国大会、最高峰のA級で最年少優勝(当時14歳)その後、2006年まで連続優勝し、3連覇を達成。同大会の規定により、殿堂入りを果たす。※津軽三味線世界大会(旧大会名:津軽三味線全国大会)
2007年17歳でビクターエンターテインメントより「祥風」でメジャーデビュー。以降、コンセルトヘボウ(オランダ)、ケネディ・センター(アメリカ)でのコンサートをはじめ、アメリカ、ヨーロッパ、カナダ、アジア各国でコンサートツアーを行うなど、海外に向けても積極的に発信する。
民謡、Classic、Rock、Jazz、Pops、フラメンコなどジャンルにとらわれない演奏スタイルにより、石川さゆり、山下洋輔、宮沢和史、yamaなど、様々なアーティストとの共演を果たす。中学生時には元BO?WY・高橋まこと(ドラム)とバンドを組んでいた。
自身のアルバムでは世界的なミュージシャンとの創作にも取り組み、ジャズ界の巨匠ウィル・リー(ベース)や、同じくジャズ界の若きスタープレイヤー、マーカス・ギルモア(ドラム)、2度グラミー賞に輝いたリチャード・ストルツマン(クラリネット)らとアルバム制作を行う。
和楽器奏者としては初めて日本最大級の音楽フェス『MONSTER baSH』に3年連続で出演するなど、様々なロックフェスやジャズフェスに出演。
近年では”日本遺産×芸能”をテーマに掲げる文化庁主催『NOBODY KNOWS』への参加など、日本文化の掘り起しや普及にも積極的に取り組む。また、日本各地の民謡を現代の感覚で作編曲する「MIKAGE PROJECT」や複数の邦楽演奏家からなる「ART歌舞伎楽団」に参加し、新たな音楽シーンを切り拓いている。
愛用する三味線は三絃工房の「滋丹」
日本屈指の三味線メーカーである三絃工房と、2023年に三味線奏者として世界初のエンドースメント契約を締結。
このような国内外に向けて日本の伝統文化である津軽三味線の魅力を発信していく活動が認められ、浅野の活動が令和元年より政府公式プログラム「beyond2020」の承認事業プログラムに正式決定した。
本来の民謡、古典芸能の追及はもちろんのこと、幅広い世代に三味線の魅力を伝えるべく、津軽三味線の可能性を追い求める孤高の若き津軽三味線奏者。
◆レギュラー番組 TBC東北放送『杜の都信用金庫 プレゼンツ 浅野祥 ラジオ “祥”case』 毎週火曜日16:40~放送中
◆レギュラー番組 AuDee “TOKYO FM & JFN系列38局” 『いぎなり!! ミカゲ民謡!!』
毎週金曜日20:00~放送中
◆レギュラー番組 NHKラジオ第1『民謡をどうぞ』(番組放送作家:浅野祥)
毎週金曜日12:30~放送中
三木労音10・11月例会(第203回)
浅野 祥 津軽三味線コンサート
2024年12月1日(日)14:00開演
三木市文化会館小ホール
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