次回例会は、長きにわたって日本のクラシックギター界を牽引してこられた、まさしく日本を代表するギター奏者の荘村清志さんの登場です。
今回のブログでは、荘村清志さんへのインタビューをご紹介します。
聞き手 小巻健(三木労音事務局長)
今回のブログでは、荘村清志さんへのインタビューをご紹介します。
聞き手 小巻健(三木労音事務局長)
荘村清志さん
―荘村さんがギタリストになろうと決意されたのはいつ頃、どのようなきっかけでしたでしょうか。
荘村清志さん(以下、荘村さん) それにはもう少し遡ってお話します。私がギターを始めたのは9歳の時、きっかけはそもそも私の父親です。父がクラシックギターを愛好していて、ギタリストになりたいと思っていたらしいのですが、当時クラシックギターで生活している例がほぼなく、また父は長男ということもあり、諦めてサラリーマンになりました。ギタリストの夢を捨てざるを得なかったことが心残りだったのか、自分の子供ができ、4人兄弟の1番末っ子が9歳の時にギターを教え始めた、それが私でした。
当時、私も何がなんだかわからない状況で、父親が会社から帰ってくると必ず1時間のレッスンを言われるままに受けていました。父は私がうまく弾けている時はすごくご機嫌なのですが、弾けなくなるとだんだん顔が鬼のようになってきて(笑)。当時「地震・雷・火事・親父」と言われていましたが、まさにそのような存在。ただでさえ日頃から怖い存在なのに、私が弾けないと「なんで出来ないの」とだんだん苛ついて一層恐ろしくなり、ひっぱたかれたりこそなかったですが、時々怖くて泣いたりもしました。でも父親としてはこれでやめられては困るので、泣いている私を宥めてレッスンを再開させようとする、最初はそんなことの繰り返しでした。
その頃の私の家族の住まいは岐阜でしたが、私が中学生の時に父親の会社の関係のため家族で東京に引っ越すことになり、それからは小原安正先生という、日本のギター界の基礎を作られた方にレッスンを受けるようになりました。この先生がまたすごく怖い、風貌が昔の剣豪宮本武蔵みたいな方(笑)。レッスン中もニコリともしなくて、子供心に怖かったという記憶がありますが、基本を全て教えてくださり、すごく感謝しています。
そんな生活が続く中、ある時スペインからナルシソ・イエペス先生(映画「禁じられた遊び」の演奏で有名な巨匠)がいらして、歓迎パーティーで私がギターを弾きましたところ、先生から「スペインに来たら教えてあげる」という確約をいただき、1964年に16歳でスペインに留学することになりました。
この頃の私はまだ父親のレールに乗っかっていて、背中を押されて行ったという感じでした。スペインで約4年間ギターの勉強をして、日本に帰ってきたのが1969年。帰国後デビューリサイタルを行いました。でもここまでの過程は好きとか嫌いではなく、もっと上手くなりたい一心で、ひたすら努力をしていたという感じでしたので、ある時点で何かきっかけがあってギタリストになろうと決意したというより、なんとなくじわじわとこうなっていって、気づいたらギターの道に入っていたという感じです。
そのデビューリサイタルは、技術的には上手くいった一方、内容的には内心すごく物足りなさを感じ、その後半年ぐらいギターから離れるという時期がありました。それまで1日8時間は練習という、あまりにもギター漬けの生活で狭い世界にいたものですから、もっと視野を広げていかなければと思い始め、本を読んだり、友達とお酒を飲んだり、映画を観たり、それまでしていなかったいろんなことをやり始めました。そして再びギターに戻った時に、しみじみとギターの音っていいなあと、それまで感じてこなかった感情が沸き上がってくるような変化がありました。
―スペインでイエペス先生から教わる中で、どのような言葉が印象に残っておられるでしょうか。
荘村さん 留学の最後、帰国間際のレッスンで先生から「自分はいろいろ教えてあげたけれど、これからはキヨシ・ショウムラがここにいるという存在感をギターの音で表現していかないとだめだよ」というようなことを言われました。それは習ったことの真似事ではなく、あくまで荘村清志の音楽を作り上げていくということが大切だよということでした。
―荘村さんの長い演奏家生活の中で、音楽に対する姿勢はどのように変化してこられましたか。
荘村さん 先ほどデビューリサイタルの後に最初の壁があったことをお話しましたが、その後も根本には上手くなるための修行という感覚が根強くあり、表現力が増していかないという悩みを抱えていました。言わば「ギターと戦っている」ような感じでした。
45歳くらいの時に、思うように指が動かない、これまで練習すれば出来ていたことが出来なくなってきたという局面がありました。そこで色々考えた末に、これまで自分は必要以上の力で一生懸命弾き過ぎていたということに気がつき、そこから無駄な力を省いていく、脱力して弾くという方向に転換していきました。楽器を持つ姿勢や右手の位置、左手の抑え方など、5年ぐらいかけて総合的に変えていきましたが、脱力することがだんだん分かるようになるにつれて50歳ぐらいからは自分の内側から音楽を感じるようになってきました。それは外から作る音楽ではなく、内面から感情が自然に込み上げて生まれる音楽で、それが年々増えていきました。その結果、一番大きな変化は、ギターとは戦うのではなく、ギターが自分の一番の理解者でありベストフレンドだという姿勢になったことです。その辺りが大きな転換期でした。
あと演奏する時の姿勢では、若い頃の私は割と猫背で前のめりでしたが、そういう姿勢が力みにつながる、背筋をまっすぐに伸ばすことによって脱力がしやすくなるということに気がつきました。それ以来、背筋をまっすぐにして脱力する、軽く弾くことで音が伸びていく、そうしたことを自分で意識するようにしています。
45歳くらいの時に、思うように指が動かない、これまで練習すれば出来ていたことが出来なくなってきたという局面がありました。そこで色々考えた末に、これまで自分は必要以上の力で一生懸命弾き過ぎていたということに気がつき、そこから無駄な力を省いていく、脱力して弾くという方向に転換していきました。楽器を持つ姿勢や右手の位置、左手の抑え方など、5年ぐらいかけて総合的に変えていきましたが、脱力することがだんだん分かるようになるにつれて50歳ぐらいからは自分の内側から音楽を感じるようになってきました。それは外から作る音楽ではなく、内面から感情が自然に込み上げて生まれる音楽で、それが年々増えていきました。その結果、一番大きな変化は、ギターとは戦うのではなく、ギターが自分の一番の理解者でありベストフレンドだという姿勢になったことです。その辺りが大きな転換期でした。
あと演奏する時の姿勢では、若い頃の私は割と猫背で前のめりでしたが、そういう姿勢が力みにつながる、背筋をまっすぐに伸ばすことによって脱力がしやすくなるということに気がつきました。それ以来、背筋をまっすぐにして脱力する、軽く弾くことで音が伸びていく、そうしたことを自分で意識するようにしています。
―今回のプログラムについて、前半は作曲家・武満徹さんの没後30年に寄せてという内容ですが、世界的に著名な作曲家の武満さんがギター独奏曲を作曲されたのは荘村さんが依頼されたことがきっかけだったとお聞きしています。武満さんに曲を依頼しようと思われたきっかけや、武満さんとのエピソードを教えてください。
荘村さん 当時私が25、6歳だった頃、ギターのレパートリーはスペインものが中心でしたが、やっぱり日本人の作曲家に素晴らしい曲を作ってもらわないと、という意識が強くありまして、武満さんを含めて何人かの方に依頼したところ、武満さんが興味を持ってくださったことがきっかけです。
武満さんと最初に電話で話をした時、すごくぶっきらぼうな感じで大丈夫かな?と思ったのですが、遊びに来なさいと言われたもので武満さんのご自宅へ伺いました。最初は朝8時ぐらいに来てくださいと言われたのですが、当時の私の生活は昼間まで寝ている夜型人間だったので、頑張って朝の8時に起きて伺いました。何度か伺う中でちょっと二日酔いで行った時があったのですが、そうしたら武満さんが「君、お酒飲めるの?飲めるんだったら夕方来なさい」となり(笑)、でもそこからお酒飲みながらご飯食べながらで打ち解けていきました。そうして半年ぐらい経って「作れそうな気がするから大丈夫」だよと言って作っていただいた曲が武満さんの初のギター独奏作品『フォリオス』で、1974年の7月に上野の東京文化会館小ホールで初演をしました。
この作品は、「すごい不協和音の連続の現代音楽」という感じではなく、意外とムーディって言うとおかしいですが、柔らかい雰囲気の曲で、逆にびっくりしました。ある意味ですごく綺麗な響きがいっぱいあり、最後にバッハの「マタイ受難曲」のコラールの一節が出てくるのですが、聞くところによるとこの曲は武満さんがいつも作曲をする前に必ず1節をピアノで弾いてから作曲に取りかかっていたというぐらい、武満さんにとっては大切な曲だったということです。その1節がこのフォリオスの最後に8小節ぐらい出てきますが、非常に印象的な終わり方をする作品です。
武満さんと最初に電話で話をした時、すごくぶっきらぼうな感じで大丈夫かな?と思ったのですが、遊びに来なさいと言われたもので武満さんのご自宅へ伺いました。最初は朝8時ぐらいに来てくださいと言われたのですが、当時の私の生活は昼間まで寝ている夜型人間だったので、頑張って朝の8時に起きて伺いました。何度か伺う中でちょっと二日酔いで行った時があったのですが、そうしたら武満さんが「君、お酒飲めるの?飲めるんだったら夕方来なさい」となり(笑)、でもそこからお酒飲みながらご飯食べながらで打ち解けていきました。そうして半年ぐらい経って「作れそうな気がするから大丈夫」だよと言って作っていただいた曲が武満さんの初のギター独奏作品『フォリオス』で、1974年の7月に上野の東京文化会館小ホールで初演をしました。
この作品は、「すごい不協和音の連続の現代音楽」という感じではなく、意外とムーディって言うとおかしいですが、柔らかい雰囲気の曲で、逆にびっくりしました。ある意味ですごく綺麗な響きがいっぱいあり、最後にバッハの「マタイ受難曲」のコラールの一節が出てくるのですが、聞くところによるとこの曲は武満さんがいつも作曲をする前に必ず1節をピアノで弾いてから作曲に取りかかっていたというぐらい、武満さんにとっては大切な曲だったということです。その1節がこのフォリオスの最後に8小節ぐらい出てきますが、非常に印象的な終わり方をする作品です。
―荘村さんにとって武満徹さんは、どういう方でしたでしょうか。
荘村さん 武満さんは写真など外から見るとすごく怖そうな雰囲気ですが、実際に親しくなると本当にとても人間的で、周りの人を楽しませようというサービス精神の旺盛な方だったのがすごく印象に残っています。本当に気取らず楽しい会話でいつもみんなが喜ぶのを見て自分も楽しむというような、エンターテイナーのような方でした。
あと、武満さんは人間的な交流をとても大切にされていた方という印象があります。例えばどこかから作曲を頼まれても、契約書にサインしてはい一丁上がり、というような作曲のされ方はほとんどなかったと思います。まずは個人的にも相手の方と深く繋がり、お互いに理解尊敬し合えるような雰囲気になった上で作曲をしていく、それが世界的演奏家のために書くのであっても、有名なオーケストラのために書くのであっても同じで、その人たちと仲良くなって、その人たちのために作曲するということをすごく大事にされる方でした。
あと、武満さんは人間的な交流をとても大切にされていた方という印象があります。例えばどこかから作曲を頼まれても、契約書にサインしてはい一丁上がり、というような作曲のされ方はほとんどなかったと思います。まずは個人的にも相手の方と深く繋がり、お互いに理解尊敬し合えるような雰囲気になった上で作曲をしていく、それが世界的演奏家のために書くのであっても、有名なオーケストラのために書くのであっても同じで、その人たちと仲良くなって、その人たちのために作曲するということをすごく大事にされる方でした。
―後半のプログラムについても教えてください。
荘村さん 後半は「ラテンの風」というテーマなのですが、私自身スペインで何年か暮らし、スペインの文化に自分自身も大変影響を受けている、イエペス先生から大きく影響を受けているということで、スペインの曲を中心に、思い入れの強い作品を気持ちを込めて弾きたいと思い選曲しました。
最初の賢王アルフォンソ十世「聖母マリア頌歌集」、これは中世の音楽なのですが、深い表現力を持ったメロディ数曲から成っている作品です。とても古い曲ですが古さを感じさせない表現力があり、古のスペインを思い起こさせるような曲です。次にカタロニア民謡、これはスペインでは有名で国歌のような感じで歌われている曲ですが、それをギターにアレンジされたもの。それから「アルハンブラの思い出」、これはクラシックギターの代表曲で、何と言っても名曲ですね。最後は「ラテン」ということで、ボサノバやサンバといったリズムが使われている、バーデン・パウエルというブラジルの有名なギタリストに捧げられた曲「バーデン・ジャズ組曲」でプログラムを閉めます。
最初の賢王アルフォンソ十世「聖母マリア頌歌集」、これは中世の音楽なのですが、深い表現力を持ったメロディ数曲から成っている作品です。とても古い曲ですが古さを感じさせない表現力があり、古のスペインを思い起こさせるような曲です。次にカタロニア民謡、これはスペインでは有名で国歌のような感じで歌われている曲ですが、それをギターにアレンジされたもの。それから「アルハンブラの思い出」、これはクラシックギターの代表曲で、何と言っても名曲ですね。最後は「ラテン」ということで、ボサノバやサンバといったリズムが使われている、バーデン・パウエルというブラジルの有名なギタリストに捧げられた曲「バーデン・ジャズ組曲」でプログラムを閉めます。
―最後に荘村さんが長年第一線でご活躍を続けてこられた原動力、そのためにご自身で大切にされてきたことを教えてください。
荘村さん 先ほど50歳ぐらいの頃から転機があったと申し上げましたが、それから後は自分の心の中の内面をいかに豊かにしていくかが一番大切だと思うようになりました。いろんなところからエネルギーを吸収することによって表現力がどんどん増えていく、そうすると同じ曲を弾いても以前と比べて表現力が増したなど様々なことを感じられるようになった、それが私が前に進んでいける力で、演奏活動の源です。
最もダイレクトなエネルギーを得る方法は音楽会を聞きに行く、本当に素晴らしい演奏に出会って感動するということ。でもそれ以外にも、例えば映画を観たり、本を読んだり、絵を見たり・・・それぞれ感動したことが自分の中に表現力として蓄積されていき、ひいてはギターの音に繋がっていくということです。
最もダイレクトなエネルギーを得る方法は音楽会を聞きに行く、本当に素晴らしい演奏に出会って感動するということ。でもそれ以外にも、例えば映画を観たり、本を読んだり、絵を見たり・・・それぞれ感動したことが自分の中に表現力として蓄積されていき、ひいてはギターの音に繋がっていくということです。
インタビュー記事は7/21に電話にて取材させていただいた内容をもとに編集しました。
上記写真は6/19サンポートホール高松(香川県)「荘村清志トリオエレガンス」公演にて撮影。
荘村清志(ギター)プロフィール
9歳からギターを始め、父・荘村正人と、後に小原安正に師事する。1963年、来日した巨匠ナルシソ・イエペスの歓迎演奏会で氏に認められ、翌年スペインに渡りイエペスに師事。同時期にスペインに滞在していた岩崎洋に音楽理論も学ぶ。1967年イタリア各地で18回、翌1968年にはミラノなど22都市でリサイタルを開き、各地で好評を博す。帰国後、1969年の日本デビュー・リサイタルで、「テクニック、音楽性ともに第一人者」との高い評価を得る。1971年にイタリアで開かれた世界青少年協会国際フェスティヴァルに日本代表ギタリストとして参加し、この成功により北米各都市で28回にのぼる公演を開き、国際的評価を確実なものにする。
1974年にはNHK教育テレビ「ギターを弾こう」に講師として出演し、一躍、日本全国にその名と実力が知られることになった。1977年と1980年に再びスペインに渡り、イエペスのもとでさらに研鑚を積み、ヨーロッパ各地でコンサート活動を行なう。以後、リサイタルや、日本の主要オーケストラとの共演で活躍を続けている。
99年マルク・グローウェルス(フルート)、2001年グローウェルスと、インマ・ゴンザレス(カスタネット)との共演、2004年女優の岸田今日子とのコラボレーションによる《ギターと朗読の庭》のツアーを行い、カステルヌオーヴォ=テデスコの「プラテーロとわたし」をメインにした内容が好評を博す。05年にはCD「郷愁のショーロ」をリリース、アコーディオンのシュテファン・フッソングをゲストに、猿谷紀郎の委嘱新曲と新アレンジを含む意欲的なアルバムで、東京や大阪で記念コンサートを開催するなどギターの魅力をさまざまな形で伝えている。
07年にはNHK教育テレビ「趣味悠々」に講師として登場し、改めて日本ギター界の第一人者としての存在を強く印象づけた。
08年ミラノ弦楽合奏団の日本ツアーにソリストとして参加。同年ビルバオ交響楽団の定期演奏会に出演。「アランフェス協奏曲」を録音し、09年にCDをリリース、また同団との日本ツアーを行い好評を博した。14年デビュー45周年を記念して東京にて大友直人指揮東京都交響楽団と協奏曲3曲を演奏。2015年10月にはイ・ムジチ合奏団と共演、レコーディングを行い、ジュリアーニ、ヴィヴァルディのギター協奏曲を含むアルバムが16年1月にリリースされた。
17年から20年にかけてギターの様々な可能性を追求する「荘村清志スペシャル・プロジェクト」(全4回)に取り組み、注目を集めた。さだまさしとの共演、またcoba、古澤巌、錦織健と共演したガラ・コンサートではジャンルの垣根を越えたコラボレーションが話題となる。最終回ではcobaに委嘱したギター協奏曲も演奏し、好評を得る。
19年はデビュー50周年に当たり、初のバッハ・アルバム「シャコンヌ」もリリース。20年には朝日新聞の連載「人生の贈りもの」をまとめた書籍『弾いて飲んで酔いしれて ギターとともに50年』(吉田純子編著)を出版。CD録音も継続的に行っており、22年にはcoba編曲による世界のポップス名曲選「ゴットファーザー~愛のテーマ~」をリリース。
現代のギター作品を意欲的に取り上げるだけでなく、日本人作曲家に多数の作品を委嘱、初演するなど、ギターのレパートリー拡大にも大きく貢献している。特に武満徹には74年に「フォリオス」、93年に「エキノクス」を委嘱、77年荘村のために編曲された「ギターのための12の歌」を初演・録音、96年には「森のなかで」を全曲初演している。16年は武満徹没後20年に際し、同氏のギター曲を各地で演奏し好評を得た。
現在、東京音楽大学特任教授。
オフィシャルウェブサイト https://www.kiyoshishomura.com/
三木労音8・9月例会(第214回)
荘村清志 ギターリサイタル ~武満徹没後30年に寄せて~
2026年9月27日(日)14:00開演
三木市文化会館小ホール
<参加費>会員/会費のみ 一般/4,500円(高校生以下2,000円)
一般券お申込みの方はこちら⇒https://www.mikiroon.com/tickets.html
三木労音会員へ入会希望の方は、チラシ裏の入会申込書に会費2か月分(荘村清志ギター例会から参加希望の方は8・9月分)と入会金(1,000円)を添えて、三木労音会員か事務局までお申し込み下さい。
ホームページからの入会申込みはこちら→http://www.mikiroon.com/info.html
詳細は三木労音事務局 TEL 0794-82-9775、またはメールinfo@mikiroon.comまでお問い合わせください。

Hiromichi%20NOZAWA%20(2).jpg)
.jpg)

0 件のコメント:
コメントを投稿