次回例会は、全国に広がっている木でできた小さな笛「コカリナ」の創始者・黒坂黒太郎さんにご登場いただきます。
今回のブログでは、黒坂黒太郎さんへのインタビューをご紹介します。
聞き手 小巻健(三木労音事務局長)
黒坂黒太郎さん
―まずはじめにコカリナとの出会いを教えてください。
黒坂黒太郎さん(以下、黒坂さん) 僕は大学を卒業してからフォークシンガーとして活動していました。一方で高校時代からフルートも好きでやっていました。コンサートでもフルートを吹いたり、笛が好きでいろんなところへ行ってはそこの土地の笛を買って集めたりしていました。
ハンガリーの作曲家・コダーイに興味があり、ハンガリーにも何度か行くようになりましたが、その延長線上で今のコカリナの基になった小さな笛にたまたま出会いました。
実は最初に見つけたのは私ではなく、私の笛好きを知っている、ハンガリーに度々行っている友達で、お土産にと1本買ってきてくれたのが出会いでした。その小さな笛に私はとっても魅力を感じてしまったんですね。今まで出会った笛と構造が全く違っていて、しかも全部木で出来ている。リコーダーとも違う。
僕が育ったのは長野県の小さな村で、木に囲まれて育ちましたから、「あ、これが木の音だ」と雷が落ちたような衝撃を受けました。これほど木の音を出してくれる笛はおそらく他にないでしょう。
これは絶対やっていきたいと思いました。ただ最初のそれはおもちゃみたいな感じで、音色は良いのですが、音程があんまり良くない。でもこれは絶対もっといいものになるはずだと思いました。その笛を作っている方を探してハンガリーまで行き、作っている方に出会い、どうやって作っているかを教えていただいて、その笛を大量に買って日本に持って帰ってきました。日本で何人かの木工家の知人に依頼して作ってもらったところ、さすがに日本の木工家の方は優れていましたね、京都・芦生の木工家の方はすぐに作ってくださり、それがとてもいいのです。僕も色々アドバイスはしましたが、向こうのものよりもとても精巧に作ってくださいました。以後、フォークソングのコンサートの中でも紹介していきました。
この笛がお土産として手元に来たのが1995年1月、阪神淡路大震災の直後ぐらいでした。同年4月に、神戸で前から予定されていたコンサートを急遽被災者支援コンサートとして開催しました。いざステージに立つと、被災されてどん底にいる目の前の人たちにどうやって言葉をかけていいかわからない、どういう風に歌っていいかわからない、そんな時たまたま持ってきていたその笛で『浜辺の歌』を吹いたところ、皆さん涙をポロポロ流しながら聞いてくださいました。それがおそらく日本で一番最初に聴いていただいた音ではないでしょうか。そこからスタートしました。ちょっと因縁めいていますが、神様が導いてくれたのかもしれないと思っています。
この笛はハンガリーでは「桜の木で出来たオカリナ」と呼ばれていましたが、名前が長いので日本は「木」を「コ」とも読むということで「コカリナ」と呼ぶようにしました。
―黒坂さんがフォークシンガーの活動をしておられた頃に影響を受けられたという民俗学者の故・宮本常一氏について教えてください。
黒坂さん 宮本常一先生との出会いは、僕にとってはものすごく大きなことでした。僕の歌手活動のデビューは大手レコード会社のキングレコードからでした。メジャー路線でレコード会社のほうでも結構力を入れてくれたのですが、時流に合わせてヒット曲を狙うという商業的な部分がどうも自分に合わない、売れる・売れないを気にするより、まずはいろんな人を元気づけるような歌を歌っていきたいと思うようになり、生意気盛りの20代後半もあって会社の人と言い争って辞めてしまったのです。当時、労音の皆さんが各地で一生懸命コンサートを開いていて、いろんなところで僕のコンサートも組んでくださっていたので、全国各地を回り始めていました。宮本先生に出会ったのはその時期で、引き合わせてくれたのはその頃友人となった周防猿回しの村崎修二さんでした。
宮本先生にお会いして、いろんなところを歩いて、コンサートをやっていきたいという話をしましたら、それはすごくいいと励ましてくださり、「文化というのは中央にだけあるのじゃない、地域ごとに素晴らしいものがあるから、そういう人たちと一緒に何かを作っていきなさい」という言葉をかけてもらいました。これはレコード会社をやめてこれからどうしようかなと思っていた当時の僕にとって、まさに天の声のように励まされました。それからは宮本先生が当時されていた観光文化研究所に出入りするようになり、活動の中で出会った人たちとのことを文章にすることを勧められて、宮本先生の「あるく みる きく」という、シリーズで150巻ぐらいある雑誌の120巻のところを僕が全部書かせていただいたりもしました。宮本先生が亡くなられた時は、猿回しと、鬼太鼓座(現:鼓童)、坂本長利さんという一人芝居の方、そして僕の4人で追悼コンサートをやらせていただいたりして、これからは宮本先生の遺志を継いで、とにかく丁寧にコンサートをやっていこうと心に誓いました。そしてその流れの中でコカリナにも出会った、宮本先生に出会わずメジャー路線で行っていたら、きっとハンガリーに行くこともなかっただろうし、ハンガリーに行っていてもコカリナに出会うことも、また出会ったとしても気に止めることもなかったかなと思います。
―そのコカリナが広がっていくきっかけとなったエピソードを教えてください。
黒坂さん あれは長野オリンピックの時のことです。コカリナに出会ったのが阪神淡路大震災の1995年、長野オリンピックが1998年、その前々年1996年の春のことでした。当時オリンピック準備もすでに始まっていて、会場のひとつ長野県の志賀高原のある山ノ内町、僕はそれまで何度もコンサートやっていて町の人たちとも親しくしていましたが、そこで町の人とオリンピックの話をすると、オリンピックはいいんだけども、そのために町の木が結構切られていて辛いよね、という声を聞きました。その時にパッと「伐採された木でコカリナを作れないかな」と閃きました。行ってみると切られていたのはイタヤカエデというカエデの木で、すごく硬く、バイオリンにするには最高の木と言われている木でした。
早速その話をすると、町の人たちが木を運ぶ手伝いをしてくれて、先にお話しました京都の木工家の知人へ送り、早速作ってくれました。出来てきた小さなコカリナを見て、これは子供たちに吹いてもらうのが一番いいだろうということで、近くの山ノ内東小学校の子供達に100本プレゼントしました。そうしましたら子供たちがすごく喜んで。その中に一人、志賀高原から山ノ内町にスクールバスで通ってくる女の子がいて、彼女は自分が大好きだった楓がある日突然伐採されてしまった、すごく辛い思いでそれを見ながら登校していた彼女のもとに、その木が笛になって戻ってきた、という非常に運命的なことがありました。このことが基になって『コカリナの海』という児童文学が生まれました。
それで山ノ内東小学校の子供達みんながコカリナを吹いてくれた。それをオリンピック委員会が聞きつけてくださり、ぜひオリンピックのイベントでやって欲しいと依頼があり、長野市内で行われた表彰式などで演奏することになりました。この様子はテレビや新聞でも色々報道してくださり、全国から問い合わせがたくさん来ました。
それが広がっていくひとつの起点になりました。九州は鹿児島、福岡から、関西では神戸、大阪、また小さなサークルは無数にあるのですが。そして仙台、長野、東京、静岡・・・と広がっています。僕も最初、コカリナは独奏楽器としてある程度は広がると思っていたのですが、今のようにアンサンブルで広がっていくようになるとは思っていませんでした。
その大きな要因は、楽器の種類が増えたこと。これは木工家の方々の力です。普通はC管といってハ長調ですが、G管、またクラリネットと同じB♭管・・・私の埼玉の自宅の庭に小さな小屋があり、そこで試作品を作るのですが、それをもう少し綺麗な、しっかりしたものにしてくれと木工家の方に頼みます。これは専門の技術がないとできません。
例えば、コカリナはリコーダーのように下まで空洞が抜けていないのですが、これは上からくり抜いているためです。これがすごく難しい。特にC菅バスコカリナという大きな楽器では、20㎝以上掘っていって、下まで厚みが全く一緒じゃないといけない。こういうものを作れるのはみんな日本の木工家の技術のおかげです。いろんな楽器の種類ができて、アンサンブルができるようになったことで音楽的にもレベルが上がっていきます。僕は難しい曲じゃなければコカリナアンサンブルの響きはウィーンフィルよりいいんじゃないかと思っていますよ(笑)。ニューイヤーコンサートでラデッキー行進曲を聞いて、コカリナの方がいいんじゃないのと思ってしまいました。
すごいのは木工家の力だけでなく、木工家が使う道具もまたすごい。笛の胴体にリップという音が出る穴がありますが、この部分を鑿で一発でパシンって取るのです。また秋田では秋田杉で箪笥を作っていた職人にコカリナ作りをしていただいているのですが、その職人の方達が使っている道具はご自身が大将から頂いたもので今ではもう作れないという道具を使われています。
―今回のプログラムの中に被爆樹で作られたコカリナでの演奏がありますが、この楽器を演奏するようになられたきっかけを教えてください。
黒坂さん 僕の音楽活動のテーマのひとつとして「平和」について取り組んでいきたいという思いがあります。広島にはフォークソングをやってる頃から何度も伺っていますが、特に広島の高校生たちと出会ってからは、毎年8月6日に高校生たちとのコンサートをずっと続けてきて、彼らと一緒に歌を作るなどの取り組みもやってきました。
コカリナに出会った後、広島のコンサートの中でも吹きました。それを聴いた高校生たちから「僕たちは被爆した木を持っているので、それでコカリナは作れないだろうか」と話がありました。その木は真っ黒に焼けて炭みたいになったエノキでした。最初は無理だと思いましたが、焼けてない部分も少しあったのでとりあえず送ってもらい、音も出るかどうか確信のない中で作ってみました。そうしたらこれが何とも言えない音を出しまして。綺麗なというだけじゃなくて、何か魂があるような、焼けた部分が少し残っているせいかは分かりませんが、普通のエノキで作った楽器とは全然違った音が出てきてました。こうしてこの被爆樹コカリナでの演奏を始めました。
そうしていますと、広島市で8月6日前後に世界中の人たちが集まり開催される国際平和シンポジウムという催しで演奏する機会が巡ってきまして、そこでの演奏を聴いたアメリカ代表の方から、ぜひアメリカへ来てくれないかということで呼んでいただき、シアトルで演奏しました。そこで被爆樹コカリナのために作った「空」という曲や、アメージンググレースを吹いたのですが、この時の反響がすごかった。大変な感動で、涙を流される方も。アメリカという国は原爆を落とした側なのですが、やっぱり良心的な方もたくさんいらっしゃることを感じました。それからはアメリカではカーネギーホールでもやらせていただき、他にもオーストリアのウィーン、中国、韓国など、いろんなところで演奏しました。被爆樹コカリナの説明をしてから演奏を聞いていただくと、皆さんとても感動してくださる、やはり世界の皆さんはヒロシマ・ナガサキの悲劇はもうあってはいけないと思っておられるのです。特に昨年は被爆・終戦から80年ということで、広島、また沖縄でも、いろんなところで演奏させていただきました。
―今回共演していただく矢口周美さんと、新倉一梓さんについてご紹介ください。
黒坂さん 矢口周美は私の連れ合いでございまして、実はちょうど私がコカリナと出会った頃に彼女と結婚しました。前の奥さんを病気で亡くし、男の子二人を育てていてどうしようかという時に、たまたま彼女のお姉さんと東京で音楽活動を一緒にやっていた縁で知り合いました。彼女も和歌山の新宮というとこで労音の活動していまして、僕も呼んでもらったりしていました。
新婚旅行で僕も古くから付き合いのある函館労音(現・はこだて音楽鑑賞協会)を訪れた時、「周美さんも何か歌っていたんでしょう」と促されて歌いましたら、事務局長の梶原さんに、「お、いいじゃん。黒坂さんと一緒に音楽活動をやっていくといいよ」と言っていただいたことが、彼女の歌手活動の出発点となりました。それからコカリナの音と彼女の声が非常にマッチする、だんだんコカリナに添うような、木の声のような感じになってきたものですから、これはコンサートでも使えるなと思い、それからずっと一緒にやってきています。
新倉君とは、たまたまCDを作っている時にレコード会社の関係で知り合った、まだ若いピアニストです。でももう10年近く一緒にやってきているかな。東京藝大の作曲科を首席で卒業した素晴らしいピアニストで、アレンジも色々やってくれたりと、今では活動に欠かせない人です。
―最後に今回三木で立ち上げたコカリナアンサンブルとの共演についてコメントをお願いします。
黒坂さん 三木の皆さん、とっても嬉しいです。最初はたどたどしくても全然大丈夫です。音がとにかくいいですから、自信を持って一緒にやりましょう!神戸を拠点に練習している関西コカリナアンサンブルも一緒にコンサートに出演してくれます。コカリナはソロもいいですが、合奏になると木と木の重なり合う音が本当に美しいです。お楽しみください。
※このインタビューは黒坂黒太郎さんにご協力いただき、2月19日に神戸市内で実施させていただきました。
出演者プロフィール
黒坂黒太郎(正文)(くろさかくろたろう/まさふみ)/コカリナ
長野県上田市出身。コカリナの創始者。
1995年ハンガリーの民族楽器を楽器として精度の高いものに改良し「コカリナ」と命名。コカリナの第一人者として幅広く活躍している。海外での演奏も多く、ウィーンフィルの本拠地ウィーン楽友協会黄金のホールで3回、ニューヨークカーネギーホールで2回コンサート。被災地の子ども達を支援する活動も続け、東日本大震災の際は被災した松からコカリナを製作し、被災地の子ども達にプレゼント。また、ウクライナの子ども達を支援するコンサートを続けている。また、25年以上前から広島で被爆した木からできた被爆樹コカリナを演奏し続けている。戦後80年の2025年には広島市が管理していた被爆樹の剪定枝から新たな被爆樹コカリナを製作、広島の子ども達にプレゼントし、共に演奏した。その模様はNHK「おはよう日本」で全国放送された。また近年は小説も書き2023年「独鈷山(とっこざん)」を、2024年「少年と少年」を出版。「独鈷山」は映画化に向けて活動中。
NPO法人日本コカリナ協会ホームページ https://www.kocarina-k.or.jp/
矢口周美(やぐちかねみ)/うた
和歌山県新宮市出身。現在コカリナ奏者黒坂黒太郎のコンサートにボーカルとして参加。黒坂やコカリナアンサンブルとの共演で、ウイーン楽友協会黄金のホール、N.Y.カーネギーホールなどでも歌声を披露。高い評価を得る。また、東京紀尾井ホールや東京浜離宮朝日ホールなどでもリサイタルを開催、成功させる。「ユーレイズミーアップ」の作者B.グラハム氏から「私は彼女が歌にもたらす、その美しい叙情的な声質が本当に好きなのです」と絶賛された。
新倉一梓(にいくら かずさ)/ピアノ
東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。卒業時アカンサス音楽賞(首席)受賞。
東京芸術大学大学院作曲専攻修了。作曲を末吉保雄、夏田昌和、小鍛冶邦隆に師事。書家で詩人の相田みつを作詞の「ひとりでもいい」の作曲を担当。また、矢口周美のCD「あなたにあえて」の編曲を担当。また、黒坂黒太郎のコカリナコンサートに伴奏者として参加。他、多数の作曲、アレンジに携わる。
関西コカリナアンサンブル
2019年6月に定期的に黒坂が指導を行う西日本初めてのコカリナ合奏団として誕生。兵庫・大阪・奈良・滋賀などから集まったメンバー(約40名)が、月に1度、黒坂の指導のもと、コカリナの演奏技術を磨いている。2024年4月第2回の定期演奏会をハーバーホールで開催。満員の観客を美しい音色で魅了した。2026年5月には第3回定期演奏会を予定。
三木労音2・3月例会(第211回)
黒坂黒太郎 コカリナとうたのコンサート
2026年3月29日(日)14:00開演
三木市文化会館小ホール
三木労音会員へ入会希望の方は、チラシ裏の入会申込書に会費2か月分(黒坂黒太郎コカリナ例会から参加希望の方は2・3月分)と入会金(1,000円)を添えて、三木労音会員か事務局までお申し込み下さい。
ホームページからの入会申込みはこちら→http://www.mikiroon.com/info.html
詳細は三木労音事務局 TEL 0794-82-9775、またはメールinfo@mikiroon.comまでお問い合わせください。



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