次回例会は、日本のフォークシンガーの第一人者である高石ともやさんのコンサートです。
高石ともやさんにはこれまで三木労音結成第2回目の例会をはじめ、2003年のアンコール例会、そして2010年はサークルフェスティバルのゲストとして、これまでに3回ご出演いただきました。
高石ともやさんのステージは、お一人でフォークギターを抱えて登場され、歌いながらその歌にまつわることを語られ、そしてそこから着想を得てまた次の歌を歌い・・・というスタイル。「歌とトークで一つの流れ」となり、それぞれの歌の心とともに、高石ともやさんの生き方、考え方が伝わってきます。
高石ともやさんと労音
高石ともやさんが初めて労音のステージで歌われたのは、デビュー直後の1966年9月、大阪労音フォークコンサートでした。それ以降全国各地の労音で歌ってこられましたが、中でも深いつながりが生まれたのが岐阜県の中津川労音でした。
当時中津川労音の事務局長だった笠木透さんが高石ともやさんを呼んでコンサートをされたことがきっかけとなって、1969年に今や伝説となった「中津川(全日本)フォークジャンボリー」が開催されました。そこには多くの若者が集まり、今も活躍される多くのミュージシャンがステージに立ちました。中津川フォークジャンボリーは1971年の3回目で打ち切られましたが、その後中津川労音の笠木徹さんはご自身もフォークシンガーとしての活動を展開され、高石ともやさんとはフィールド・フォーク(大地に立ち、大地に根差したフォークソング)を歌う同志として笠木さんが亡くなられる2014年まで交友が続きました。
中津川労音では、入場税闘争(※コンサート入場料にかかる税=入場税に対し、文化に税金をかけることに反対して払うことを拒否し、告訴された裁判闘争)が起きた際に、高石ともやさんは岐阜の裁判所まで出向かれ、証人として「労音のコンサートは娯楽ではなく文化運動だ」ということを法廷で証言されたということもあったそうです。
高石ともやさんとマラソン
高石ともやさんといえば、数々のマラソンやトライアスロンの大会に出場され、数々の記録を打ち立てておられることはご存じの方も多いと思いますが、少しご紹介します。
高石ともやさんにとって「走る」ことの原点は、小学校のマラソン大会で1位になったことでした。その後、アメリカに渡られた時に、現地で走ることは「順位を競うことでなく、走ったことを共に喜び合うこと」だという考え方に触れ、共感されたことが、その後のマラソン人生のスタートとなりました。
1977年36歳の時に初めて参加されたホノルルマラソンは、以後2019年(78歳)まで43回連続して出場されました。これは外国人参加者としては最多だそうです!(2020年以降はコロナ感染拡大のためバーチャルラン参加)
その他にも数々のマラソン、トライアスロン大会に出場。また、1993年トランス・アメリカ・フットレース(アメリカ大陸4700キロメートルを64日間で横断するレース)に52歳で出場し見事完走されたことや、2009年には西国33か所を走って巡り、それぞれの札所で巡礼歌を奉納する「西国巡礼ラン991キロ」に68歳で挑み、見事満願達成されたことなども話題になりました。
余談になりますが、1996年アトランタオリンピックの女子マラソンで銅メダルを獲得した有森裕子さんが残した名言「自分をほめたい」は、有森さんが以前女子駅伝の大会に参加された際、その大会に高石ともやさんが寄せられた詩が有森さんの心に残って発せられた言葉だそうです。
80歳を迎えた高石ともやさん
昨年2021年12月に80歳(傘寿)を迎えられた高石ともやさん。今も元気なステージを届けておられますが、その秘訣をお聞きしようと、4月末に京都でお会いしました。
お会いしたのは2010年以来、実に12年ぶりでしたが、本当に変わらずお元気で、ニコニコと笑顔で様々なお話を約2時間に渡ってお聞きしました。
そんな高石ともやさんの歌の原点は、お商売をされていたお父様が、寄合の席で歌った民謡。場を明るくする父親の姿に影響を受けられました。また子どもの頃は各家々を回って歌う「門付け」にも憧れておられたとか。
また高石ともやさんといえば「平和」をテーマにした歌もたくさんあり、兵役拒否を歌った「拝啓 大統領殿」や「イマジン」の日本語訳をはじめ、「死んだ男の残したものは」、「戦争は知らない」など多く歌われています。今、ロシアによるウクライナ侵攻により世界に再びきなくさい戦争の臭いが広がる中、高石ともやさんは6~7月にかけて京都、大阪、東京で「平和が一番」と題したコンサートツアーを行われ、その流れで三木労音例会も「平和を歌う夏」というテーマで歌い、語っていただくことになりました。
高石ともやさん曰く「この年まで元気に歌い続けてこられたのは、マラソンと同じで自分のゴールを定めて自分のペースで走ってきたからです」。自分のゴールを見失ったり、他の人のペースに惑わされたりすると、自分自身が壊れてしまう、マラソンで培われてきた高石ともやさんの生き方が80歳を迎えてなお多くの人々に元気と勇気を与え続けます。
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